建て替えのため、10年住んでいたアパートから引っ越すことになった話

春夏冬 しゅう

最寄り駅の駅前の雰囲気が合うかは大事らしい。

 今住んでいるこの部屋は学業のために上京することになった際に契約した都内某所にある木造アパートである。

 私より結構年上のそのアパートだが、洗濯機は室内に置けるしユニットバスはあるし二口コンロが置けるスペースはあるし、最寄駅から徒歩10分程度だし山手線が通る駅から歩いて30分ほどだし24時間営業のスーパーも徒歩圏内だしセブンもローソンもファミマも近くにあるし、その割にめちゃくちゃ家賃が安くてこの申し出が無ければ引っ越す気が全く起きなかった良物件だ。

 建物の年数など気にもしていなかった私に建て替えの予定を伝える不動産屋さんの話し方は丁寧過ぎるほどに丁寧で、各所で小耳にはさむ立ち退きトラブルに不動産屋さんのほうも心を砕いてるのだと察せられて、先方には申し訳ないが面白かった。

 ちなみに、連絡が来たからといってすぐに引っ越せという話でもなかった。この先2年ほどの間に建て替えの予定が立つことと、また詳しく決まったら連絡することくらいしか話されてはいない。予告の予告。実質的に今は出来ることは何もない。明日明後日に来るのか半年後一年後に来るのか分からない連絡を待ちながら、変わらない日々を過ごす事しかできない。しかし、ずっと変わらなかった日々に前もって明確な区切りをつけられるというのは、人間の心持ちを変えるには十分だ。まだ引っ越してもいないのに、なんだかすべてが懐かしく思えてしまう。私はめちゃくちゃ単純な人間なのだ。


 思えば本当に長く住んでいたものだ。

 出来るだけ学校の近くに住みたいと希望を言った際、「部屋が友達のたまり場にならないように気をつけて」とアドバイスをくれたのは誰だったっけ。結局、同級生とはある程度仲良くはなったけれど、幸か不幸か家に呼ぶ機会は全く無かったな。

 最初の寝床はすのこに敷布団を敷いたものだった。寝床と床の高さに差異があまり無いというのは、今思うと私には向いていなかったと思う。床が床でなくなっていくというか、床ではなく手近に物を置ける広く平坦な場所。というような意識になっていくのだ。このような意識が何を生むかというと、枕元を中心に床に放射状に置かれる大量の酒の空き缶である。今は高さのあるベッドに寝ているためか、床に空き缶を置く気にはなれない。意識とは面白いものだ。

 入居した当初から一緒にいた家電も、ほとんどが2代目かいなくなっている。今も生きているのは電子レンジと冷蔵庫だけじゃないか? 助かってはいるのだけど、いつ壊れるんだろうか。電子レンジはともかく、冷蔵庫は暑い時に壊れてしまったら地獄と聞く。引っ越しが先か壊れるのが先か。出来れば永遠に壊れないでいてほしいけど、機器にそれを求めるのも酷かもしれない。 

 手慰みに買った観葉植物は、枯らしてしまったものもあるがなんとか生き抜いてくれているものもいる。小さいサボテンに花が咲いているのを見た時は嬉しかった。その後植え替えに失敗して枯らしたが。そういえばサボテンの植え替えの時、私は素手でサボテンの上の部分(針がいっぱい生えてるところ)を持って植え替えをして、まぁ痛い思いをしていた気がするのだが、今更だけどゴム手袋か何かを買ってやれば良かったのでは? 当時の私は思いつかなかったのだろうか、それとも面倒で買わなかったのか。今となっては謎である。そのサボテンに使ってたハイドロカルチャーも捨て方が謎で収納の奥に押し込んでいる。なにゴミなんだあれは。

 住み始めた当初近所にあった個人経営の駄菓子屋さんもクリーニング屋さんも精肉店さんも酒屋さんも、店主さんがご高齢という事で閉店してしまった。近所に救急車が来た事ももちろんあるし、特に交流の無い家のお見送りの瞬間を見かけたこともある。当たり前なのだけど、この閑静な住宅街に大勢見知らぬ人が住んでいることも、その人達がこんな近くの別の場所でそれぞれ長い時間を過ごしているということも、いつもは考えてもいなかったなと思う。別にもっと交流すればよかったとか思っているわけではないが。と思ったら、酒屋さんは最近リニューアルオープンしたらしい。せっかくだし、引っ越す前に一回くらい行っても良いかもしれない。

 3.11のあの日あの時いたのもこの部屋の中だった。寝てるところをあの地震で起こされたことをよく覚えている。当時あった小さいポータブルテレビで惨状を見つづけることしかできなくて、しばらくして赤十字に銀行振り込みで募金をした。私にとって初めての大仰な募金だった。それまでにしたことある募金なんて、真っ赤に染まった綺麗な羽欲しさに小銭を入れた赤い羽根共同募金か、お札が入ってようものなら目を見張ってしまうようなコンビニのレジ横の募金だけだった。銀行の支店にわざわざ赴いて、振込用紙に数万の金額を書き込んで。正直、すべてまるっと善意ではなく打算もあった。バイト生活で税金を払うのも苦しくてそんななか地震が起きて、寄付金控除の存在を知って縋るような気持ちで金を突っ込んだ。自分の無力感や目の前のひもじさが解消されますようにと。結局ただでさえお金が無い中数万が自分の懐から消えたわけだから、その後かなり生活に響いて大変な目にあったし、寄付金控除も募金した時に思い描いていたほど恩恵があったわけではなかったし(なんならお金かなり返ってくるくらいの気持ちでいた。計算もしていないのに)、無力感は別の要因でじくじくと深まったりもしていた。けれど、なんだかんだ今の私としてはあの時の私を手放しに褒めたい気持ちである。当時の私は顔を顰めそうだけれども。


 もう10年以上経っているのだ、あの時から。私のこの15㎡の部屋の中がちまちま変わってきたのと同じように、けれどそれと比べられないほど大規模に、あの一瞬と数十時間で壊れ失われたところから、私が知ってるけれど知らない大勢の人達が、私が分かるわけもないたくさんのものをつぎ込んで、私が思ったことも無いような万感の思いを抱えて、私が歩いたことも無いような険しい道を必死に歩いて今同じ時間を生きているんだろう。


 いや、なんか私の郷愁の引き合いに出して付き合わせてるのなんか申し訳ないというか、違うというか、なんかアレだな。最適な言葉が思いつかないけどなんかアレだ。ちゃうわ。すいません。謝るのもどうなんだ? 一気に思考の行先が無くなった。せっかく書いたし投稿はするけど、文章の終わり方がどっかいったわ。


 まぁ、なんだ。10年前の私はよくやった。頑張った。今の私は取り急ぎ普通に生活しつつ、退去とか引っ越しとか物件探しに役立つ豆知識的なの探し始めながら知れる事は知ってやれることやる。で、また10年後。どこか別の場所に住んでいるだろう私が、その時の私に出来ることをする。できれば旅行とか出来るぐらいの余裕があると良いなと今の私は勝手に思ってるから、あとは頼んだ未来の私。

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建て替えのため、10年住んでいたアパートから引っ越すことになった話 春夏冬 しゅう @dragonfly_autumn

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