第134話 同時代の悲劇
人間というのはいい加減なものである。
あるいは特別にわがままであると言うべきか。
昇馬の入学してからここまで、白富東は県内の試合で、一度も負けていない。
正確には一年生主体などの、練習試合では負けたこともあるが。
しかし公式戦では、春も夏も秋も負けていない。
ここまで負けなしだと、負けた姿が見たくなる、などと言ってくる人間もいる。
また何度となく昇馬に負けていると、もはや県内では悲劇ではなく喜劇めいてくる。
どのような負け方をするか、それだけを気にしてきたりもするのだ。
とりあえず春の県大会は、準決勝までに勝ち進めばそれで問題はない。
Aシードを手に入れれば、夏の大会が楽になるのだ。
シードであればどこであっても、さほど変わらないのが今の白富東であるが。
ここのところの白富東は、県内のチームとも練習試合をしている。
だがそれを相手にする時は、昇馬は投げないようにしている。
単純に考えれば、手の内を隠すということになるだろう。
実際のところは昇馬が投げると、相手の心があっさりと折れてしまうからである。
公式戦で対戦しても、すぐに心は折れてしまうだろうが。
県内ではもう、故障でもしない限り、白富東の負けはない、とまで思われている。
あまりにも一強であるので、県内の強豪私立は、今の二年生の代に、優れた選手が少ない。
白富東が存在するため、二年の夏までは甲子園に行けない、と感じさせてしまうからだ。
だが昇馬の存在を詳しくは知らず、今の三年生になった選手こそ、気の毒であったろう、
一度も甲子園の機会を得ずに、高校野球を終えるのであるから。
似たようなことを言われるのは、桜印などもそうであった。
ただここは東名大相模原が、先日のセンバツに出場していた。
他にも神奈川の名門には、後にプロに入るような選手がいたりする。
シニアの段階ではまだ未熟であったが、高校野球で鍛えられて、急激に伸びた選手がいるのだ。
千葉と神奈川はそういう意味で、相当に辛い立場であった。
もっとも栃木なども、刷新の一強体制が、かなり長く続いている。
他にも一強や二強の地区はあるのだ。
高知などは二強と呼ばれているが、中浜が入ってからはずっと瑞雲が甲子園に来ている。
高校野球はやはり、ピッチャーをどう揃えるか、どう運用するかで勝負が決まる。
鬼塚は今年の一年生、二人の左右のピッチャーを、どう育成するかで頭を悩ませている。
さすがに次のセンバツは無理だろうが、なんとか夏には甲子園に行きたい。
昇馬たちが卒業した後、和真の最後の夏を、甲子園で終わらせてやりたいのだ。
もっとも鬼塚も、プロ生活は長かった。
最後の夏に甲子園に行けなくても、和真はもう充分に、スカウトにはアピールしている。
パンチ力を備えた上で、足まである外野というのは、昨今のNPBで求められるタイプである。
今はライトかレフトを守ることが多いが、アルトが投げる時はセンターにも入る。
外野のどこでも守って、そして打撃力がある。
こういった選手は潰しが利くので、需要がかなり高い。
攻走守の全ての値が、おそらく鬼塚よりも上であろう。
野球の能力は年月を重ねるごとに、その技術は向上して行く。
実際に鬼塚の選手時代と比べれば、どうであったかは分からない。
それに鬼塚はその長身の割には、そこそこ内野も守れたのだ。
NPBのプレイヤーの中で、MLBで通用した内野手は少ない。
だが外野手ならば、そこそこ存在している。
一番多いのはピッチャーであり、少ないのはキャッチャーだ。
数年間一軍で立派に通用したと言えるのは、樋口と坂本ぐらいであろう。
特に樋口は日本型のキャッチャーとして、かなり特異な存在であった。
キャッチャーとしての技術もだが、MLBでも打率や長打を残したので、バッターとしても評価されていた。
和真のためにこの春の大会は、基本的に一年生ピッチャーを使っていく。
経験を積ませて秋以降に備えるのだ。
左右の二人で継投していけば、まず大量失点はない。
そしてキャッチャーも、一年生をある程度育てていく。
だがこちらは本格的にバッテリーを組むのは、夏が終わってからになるだろうか。
二年生の六人のピッチャーは、二年生のキャッチャーに任せている。
これだけの人数とバッテリーを組むのは、キャッチャーとしてもかなり大変であろう。
いざ春の大会が始まると、白富東は一回戦と二回戦、簡単に勝ってしまった。
コールドで勝っているので、特に問題はない。
一番から三番に加えて、四番以降の打撃力もそこそこ育っている。
特に四番には、サウスポーの上総を置いていたりする。
ピッチングだけではなく、バッティングも優れているのだ。
もっとも左であるので、ファーストしか守れるところがなくなってしまうのだが。
今の三年生が抜けたら、外野を守ることもあるかもしれない。
ファーストはなんだかんだ言いながら、やはり打撃に優れた選手を置きたい。
ただ高校野球の段階では、ファーストのキャッチミスは、致命的なことになりうる。
なのでやはり、捕球技術が高い選手を、それなりに必要とするのだ。
日本の野球の場合、ピッチャーをやるのは基本的に、一番身体能力が優れた選手だ。
昨今はショートを守るなら、他のどのポジションも守れる、というように言われているが。
あとはキャッチャーが、特殊技能であろう。
日米でポジション観が最も違うのが、キャッチャーであると言われる。
MLBなどは対戦するバッターの数が多いため、キャッチャーがデータを分析するのには、一人の頭脳で間に合わない。
よってサインがベンチから出るわけだが、高校野球でもベンチからサインを出したりすることはある。
キャッチングにブロッキングに肩といったあたりが、日本よりも強く求められる。
あとは当然、バッティングであるが。
高校野球のレベルだと、これまたキャッチャーのやることが変わる。
そして打てるキャッチャーも少なくない。
だが高校野球レベルのキャッチャーであると、プロ入りしてもコンバートされることもある。
白富東の場合は、真琴がサウスポーでありながらキャッチャーをして、なんとかその役目を果たしている。
キャッチングだけならアルトも出来るが、他の技術を持っていない。
一年生の佐上はまるで打てないが、ある程度昇馬のボールをキャッチ出来た。
なんとか夏までに、真琴の代わりが出来るようになっていれば、いざという時に役立つであろう。
そして県大会も準々決勝から後が始まる。
準決勝まで進めばそれでいいとは言っていたが、ピッチャーの運用で上手くどのチーム相手にも完勝して行く。
だが他のチームを見てきて気づいたのは、一年生を既に出しているチームが多い、ということだ。
おそらく昇馬の代が引退した後、千葉の覇権を巡る戦いがやってくるのだろう。
(和真を一番にするか、それとも四番にするか)
先の話であるが、鬼塚はそんなことも考えていた。
ベスト8以降も白富東は、昇馬をさほど使うこともない。
既にシードは手に入れているのだから、最悪負けても構わないのだ。
もちろんわざと負けることまではしない。
「昇馬が全然投げとらんなあ」
「それでも勝ってるんだからいいんじゃない?」
準決勝でようやく、昇馬は先発で投げる。
決勝まで進めば、関東大会進出は決まるからだ。
準決勝まできてようやく、春の大会の初先発である。
ここまで全く、昇馬のピッチングを必要としない試合が続いた。
昇馬が怪物なのは間違いないが、白富東のチーム全体も、しっかりと強くなっている。
鬼塚としては出来るだけ、素質のある人間はプロの行けるレベルまで、育ててやりたいと思う。
だがプロに行くのが全てではないし、プロになったらそこからが本当の競争なのだ。
アルトはいいとして、和真は大学進学も想定しておいた方がいいだろう。
もっとも鬼塚も現在の日本の経済状況など、色々と話を聞いている。
野球選手のタフな肉体は、今ならインフラ整備のために、直史の会社で雇うことも出来る。
普通に高い給料で、サラリーマンになるのも悪くはない。
なんなら社会人野球に進んだ方が、いいのかとさえ考える。
不況により減っていった社会人チームだが、逆に言えばそれでも維持できているのは、大企業なわけである。
そこに入社して社会人野球をするのは、悪い選択でもないのだ。
鬼塚自身はプロに進もうと思っていた。
自分がサラリーマンに向いているとは、全く思っていなかったからだ。
だが今の自分なら、普通にサラリーマンも出来るのでは、と思ったりする。
もっともずっと野球ばかりをやってきて、この年齢からサラリーマンというのも、ちょっと無理があるだろうが。
準決勝までも白富東は、コールドで勝利する。
昇馬が投げたことで、あちらのチームの心が折れたのだ。
こういった使い方はいいな、と鬼塚は考えている。
試合の序盤で、もう試合を決めてしまうのだ。
一度折れた心が、その試合中に復活することは、まずありえない。
甲子園でさえも、そういった試合は少なからずある。
序盤で相手の心を折って、あとは他のピッチャーに任せる。
全国レベルのチームであっても、かなりはこれで通用するだろう。
ただ超強豪ともなれば、投手戦に持ち込むことが出来る。
その代表的な例が桜印であり、あそこならば終盤まで1-0程度の試合で済ませて、昇馬が降板したら逆転を狙ってくるだろう。
五点ほども点差があれば、アルトと真琴のリリーフで、どうにか勝つことが出来るだろうが。
決勝もまた昇馬を使うことなく、白富東は勝利した。
関東大会のレベルは、ほぼ全国大会と同レベル。
神奈川や東京などは、下手な県代表よりも、よほど強かったりする。
埼玉も強いし、群馬も強豪が争っている。
一強と言われる栃木でも、刷新ばかりが強いわけではない。
今年の開催は茨城県なので、千葉からは直接当日に移動できる。
もっとも選手は学校の、合宿所を利用するが。
そこからバスで向かって、試合をするということだ。
他の地区の代表を見れば、桜印や帝都一は普通に出てきている。
だが意外であったのは、東京代表の準優勝校が、都立であったことである。
東京は西も東も、私立が全盛の地区である。
他にも強いチームは、しっかりと強かったはずなのだ。
だが春の大会というのは、変な紛れが起こったりもする。
もっともここ最近、21世紀枠以外では、出場したチームなどはないが。
春はまだどのチームも、編成が完了していないのだ。
白富東のように、学年が上がるにつれて、普通に強化されてきたチームは珍しい。
都県の代表が出揃えば、今度はトーナメントがクジで決められる。
まあ決勝かどこかは分からないが、どうせ桜印とは当たることになるのだろうが。
この春のあたりから、鬼塚は強豪校の戦力分析をする。
県大会の結果も無視するわけではないが、おそらく夏には問題なく甲子園に行けるだろう。
重要なのはどれだけ、昇馬を温存して甲子園に行けるかだ。
また甲子園で、どんなトーナメントになるのか。
センバツはかなり、強豪との連続対決になると思われた。
だが花巻平が獅子堂の故障で、楽に戦えたものである。
1-0での勝負となったのは、上田学院戦と桜印戦。
他に瑞雲や尚明福岡とも対戦しているので、クジ運がいいとはとても言えない。
ただ去年の夏は、比較的楽だったと言えるだろうか。
昇馬を温存出来るトーナメントになれば、それだけでかなり楽になる。
あとは一番怖いのが故障である。
昇馬もそうであるが、真琴が故障したらどうなるか。
一応はキャッチングだけなら、アルトが出来なくはない。
だが他のことは全て、真琴しか出来ないことだ。
一年に入ったキャッチャーは、キャッチャーとしてはかなり上等である。
だがついこの間まで中学生であった選手に、昇馬のボールを捕れというのは気の毒である。
似たようなことをしたのが樋口であるが、樋口はあれでもう、レジェンドクラスのキャッチャーであったのだ。
それでも上杉を完全には活かしきれず、春日山は最後の夏、優勝までは届かなかった。
今の白富東の戦力なら、故障者が出ない限りは、狙って全国制覇が出来る。
そのための準備とでも言うか、戦力比較をするのに、この関東大会はうってつけである。
鬼塚は都内に出向いて、帝都一のジンと話してみたりもする。
あちらはあちらでどうにか、今年の春の大会を制した。
しかし本番が夏だというのは、やはり共通した認識である。
お互いの情報交換と言うよりは、鬼塚が教えられることが圧倒的に多い。
やはり帝都一は東京にあるため、都外からの有力校が、練習試合にやってくるのだ。
東北地方などの展望は、おおよそ去年と変わらない。
花巻平の獅子堂が、ちゃんと復帰していることを聞かされたぐらいである。
近畿地方に関しても、相変わらず粒揃いと言っていいだろうか。
大阪代表はやはり大阪光陰が、チーム力で近畿大会には出場している。
白富東が果たして、今年の夏も制することが出来るのか。
スイッチピッチャーである昇馬がいるので、その可能性はかなり高い。
もっとも一部の選手に、戦力が集中しているということは変わらない。
そこで事故が起これば、絶対に勝てるとも言えないであろう。
「二年の夏、樋口に打たれたからなあ」
こういうことを話していると、ジンの口からは愚痴が漏れてくるのだ。
仕方のないものなのかもしれないが、キャッチャーは過去を振り返る生き物だ。
監督となった今もまだ、ジンは過去の多くの失敗を、忘れることが出来ない。
忘れないからこそ、監督として優れた手腕を発揮しているのであろう。
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