第111話 歪な世界

 司朗はシニア時代から、価値観が体育会的でないとは言われていた。

 才能は誰もが認めていたが、指導者と合わずに何度もチームを変えている。

 高校でこそジンがいたため、それに任せることが出来た。

 しかし同じチームメイトからでも、なんだかちょっと独特だな、とは思われていたのだ。

 帝都一の特待生には、寮暮らしの生徒が多かったのも、その理由の一つであろう。

 高校野球の華はピッチャーであると言われていたが、司朗は外野を大きく駆け回り、その守備力も高く評価されていた。

 ただ女性の守備範囲は、結局誰も分からなかった。


 通いの生徒を含めて、何度か学校で合宿を行ったことがある。

 そこでの余興では司朗は、ピアノを弾いたりヴァイオリンを弾いたり、またギターまで弾いたりした。

 ちょっと普通の日本の、高校球児とは違う雰囲気。

 それでも実力は確かであり、一年の夏から四番をずっと打っていたのだ。

 なんだかちょっとミステリアスなところがあり、そこも女子からの人気を集めることとなった。 

 司朗としては確かに、色々と隠していることはあったのだし。


 帝都一は今年の秋、都大会は決勝で敗北している。

 そして優勝した早大付属も、さほど神宮では勝ち進めなかったため、おそらくセンバツには出られないのでは、と言われていた。

 ジンとしては司朗という主砲を失って、それでも新チームで都の決勝まで進めたのだから、それで充分と思っている。

 重要なのは夏の大会で、しっかりと甲子園に行くことなのだ。


 この代の帝都一は、相当のタレント揃いではあった。

 司朗とエースの長谷川以外にも、球団の調査書は来ていたのだ。

 支配下では二名だが、育成ならばどうか、という打診が二人あった。

 もっともそちらは、春の時点で既に、大学進学をほぼ決めていた。

 支配下契約ならばともかく、育成ならば大学に行った方がいい。

 その監督のジンの判断を、選手たちは受け入れたのである。


 帝都一からは他に、野球推薦で大学に進学した生徒が、何人もいる。

 その中にはどの球団からも注目されておらず、ジンも最後の夏のベンチからは外したが、充分な素質の持ち主もいたのだ。

(強豪校に集まりすぎなんだよな)

 これが白富東なら、主力となるように上手く、育てながら使っていただろう。

 ただ高校の三年夏の時点で、まだ体が成長途中であったのだ。

 出来れば大学ではなく、社会人に進むべきでは、とジンは思ったりした。

 下手に大学野球に進めると、埋もれてしまうと考えたのだ。


 今の高校野球や大学野球は、歪な世界になっている。

 夏の猛暑を乗り切るため、そして球数制限を考えて、ピッチャーは複数用意するようになっている。

 そして選手は強豪に集まるわけだが、集まりすぎているのも確かだ。

 他のチームなら充分に、ベンチどころかスタメンを狙える。

 そんな選手が応援のため、スタンドにいたりもするのだ。

 強豪に集中しすぎているが、逆にもうスカウトの選手しか、野球部に入れないというチームまである。

 あるいは二軍などを使って、そちらはコーチに任せたりもするのだ。


 大学野球にしても、100人以上の部員が、二軍から三軍に分かれている。

 あるいは四軍までいるぐらいの、巨大な野球部がある。

 別にエンジョイ野球をするだけなら、それでもいいのだ。

 ただガチでやりたい人間が、埋もれてしまっていたりする。

 それでも突破して来い、というのが使う側の言い分なのかもしれないが。




 アメリカの野球の場合、もうずっと前からベンチメンバーは、絶対に試合で出番を用意されている。

 どんな試合であっても、アマチュアの試合であるなら、ベンチメンバーを使って当然なのだ。

 万一それが怪我をして、八人になってしまったら、話し合って一度下ろした誰かを、またメンバーとして戻す。

 日本でもリトルシニアぐらいには、そういうことをやっていたりするようになったのだが。


 いっそのこと高校野球など、帝都一A、帝都一B、帝都一Cぐらいのチームを、公式戦で出せばいいのだ。

 そうすればチーム内の競争は保ったまま、実戦経験も積める。

 もちろん本当は、学校ごとにちゃんと、戦力が分かれた方がいい。

 ただジンは一般入学の生徒の中から、毎年数人はベンチメンバーとして発掘している。

 考えてみれば岩崎はともかく、直史も大介もあのままなら、高校時代にせいぜいベスト16ぐらいで、終わってしまったかもしれないのだ。


 プロに行けるような選手が、すぐにプロに行った方がいいのか。

 これも難しいところである。

 即戦力ならば、確かに行ってもいい。

 しかしそうでないのなら、大学などでじっくりと育てるべきかもしれない。

 また今は基盤が脆弱だが、独立リーグなども増えている。

 社会人野球が少なくなっているのは、ちょっと悲しいことであるが。

 代わりにクラブチームは増えている。


 日本のまずい点で明らかなことの一つは、プレイヤーが指導者になるということである。

 アメリカなどでは選手の実績とコーチの実績は、ほぼ別物として考えられる。

 そもそもフィジカルの優れた選手は、それだけで活躍しているところはある。

 だが技術で上回る選手が、いまだに日本にはいるのだ。

 直史だけではなく大介も、フィジカルモンスターという体型ではない。

 もっとも大介の場合、出せる数値は確かに、フィジカルモンスターであったりするのだが。

 速筋で判定するものをやらせた場合、大介はいまだにチームの中で、誰よりも速く動ける。

 最初の三歩で一気に、トップスピードに入れるのだ。


 この年齢になってまで、まだショートをやっている。

 そういうことを考えると、本当にもうでたらめだな、とジンは思ったりする。

 帝都一は上手く選手の育成が出来て、司朗のいる間に三度も甲子園を制覇した。

 昇馬がいなければ、残る二回も勝っていたかもしれない。

 その時はその時で、桜印がライバルになっただろうが。

 帝都一も負けたのは、白富東と桜印ぐらい。

 高校野球はやはり、ピッチャーで決まるところがある。


 この冬の間にジンは、フィジカルの底上げを行っていく。

 センバツには多分出られないな、と冷静に見ているのだ。

 しかし夏にさえ出られれば、それである程度の面目は立つ。

 この帝都一の監督という椅子を、そうそう他の誰かに譲るつもりはない。

 もっとも老害になるつもりもないので、いずれはまた違う形で、アマチュアの指導はしたいと思っているが。


 大学野球の方の監督なども、考えたりはする。

 しかし一番面白いのは、どうやっても高校野球なのである。

 自分の子供は女の子で、野球以外のスポーツに行ってしまった。

 だが自分の子供に、親のエゴを押し付けるつもりはない。

(次の一年生も、良さそうなのがいるだろうしな)

 ただ他の選手まで、しっかりと見ていく必要はある。

 アマチュアの指導者というのは、優れた選手を見出すこと。

 ただ高校の段階においては、まだ育てきる必要はないのである。




 リトルからシニア時代には色々とチームを変えた。

 実際のところシニアの監督から、高校野球の監督やスカウトにつながっていることは多く、名門シニアに入る選手は、それも期待しているのだ。

 だが司朗の場合は直接ジンとの関わりがあったため、自分のやりたい環境でシニアを選ぶことが出来た。

 思考が体育会系でないのは、それが原因でもあるだろう。

 司朗は自分にとって、いい環境へと移動して行く。

 日本人の保守的思考にはあまりないが、それは育った環境や両親の影響もある。


 アメリカの場合はこのぐらいの年代でもう、自分の将来のキャリアを考えている選手が多い。

 高校生でドラフトにかかっても、下位指名なら奨学金を貰って大学に行く。

 そこからのアーリーエントリーで、上位指名をもらって中退、というのが一番多いパターンだ。

 大学までに上手く伸びなかったら、野球の方は諦める。

 小賢しいぐらいに将来の、リスクを考えているのである。


 もっとも小賢しくても、それが悪いはずもない。

 人生にセーフティをかけておくのは、より豊かに生きるためには必要だ。

 日本人の場合は子供の頃から、野球に人生を賭けてしまう人間が少なくない。

 それも親が止めないというパターンがある。


 アメリカの場合はアマチュアの期間は、トップアマでもシーズンオフに、他のスポーツを行うことが推奨される。

 そのため四大スポーツでも、複数の競技からドラフト指名を受けることが珍しくない。

 司朗もオフシーズンには色々とやっている。

 水泳などは心肺機能の強化には、かなり効果的なものである。

 なおその一環として、この間はゴルフをやって、手加減の苦手な従妹にクソミソに負けてしまった。


 ボールを一番遠くまで飛ばすスポーツだ。

 だが同時に、ボールをほんの1cm、上手く転がすスポーツでもある。

 打つ瞬間には1mmずれていても、全く違う打球になる。

 止まっている球を相手に、ティーバッティングもしたことはあるのだ。

 それでも素人では、全く勝てないスポーツであった。


 バッティングとゴルフのショットは似ている。

 基本的にはボールは飛ばしたほうがいい。

 だが状況によっては、ホームランはいらずヒットで充分であるのだ。

 そういった考え方の違いを、プロ入り直前に司朗は、学ぶことになったのだ。


 日本の野球において、投手と外野手はMLBでも通用するようになった。

 ただキャッチャーは樋口と坂本ぐらいであるし、内野手も大介を含めてわずかである。

 その理由としては内野の動きが、まだ昔のまま教えられている、ということがある。

 逆シングルでキャッチせず、正面で受けてボールを前に落とす、という馬鹿な教え方をする指導者が、未だに多い。

 またボールはしっかりグラブの中で受ける、というのも古い考えである。


 もちろん状況によっては、それが必要な場合もある。

 しかしグラブでわざと弾くように、自分の右手にボールを飛ばす当て捕りというものもある。

 MLBのショートの中には、大介のように150km/hを投げられるどころか、160km/hを投げる選手もいる。

 ショートとサードなどであると、肩だけで投げる力が、相当に必要になるのだ。

 司朗が学んだ送球技術だと、投げ槍をメニューに組み込んだりもした。


 外野手こそ単純なスピードボールが必要になる。

 ピッチャーはもちろん球速はあった方がいいが、そこから先の話になる。

 高校時代にはピッチャーもやっていたという選手が、果たしてどれだけ多いことか。

 司朗も二番手三番手で投げていたし、白富東ではアルトも投げている。

 将来のメジャー移籍を考えれば、フィジカルの強さは絶対に必要なことだ。




 正月が終わり、入寮日がやってくる。

 これは担当したスカウトと一緒に、球団の寮に入る日になるのだ。

 司朗の担当は、比較的若手であった。

 もちろん編成部全体で、注目はしていたのだ。

 しかしチームの状況からすれば、一位指名は投手が必須。

 それが上からの一言で、覆ってしまった。


 契約内容においても、編成部長と司朗の間で、必死で調整をすることになった。

 胃が痛くはなったろうが、ちゃんと司朗を契約させたことで、全ては終了したこととなる。

 もっとも実際には、入寮から実際の合同自主トレまで、馴染めるかどうかまでフォローするのだが。

「高卒は基本五年となってるけど、早く結果を出してくれれば、すぐに出て行ってもらうことになるから」

 この入寮においても、野球中心のスポーツマスコミは、取材にやってきている。

 司朗は王子タイプの人間であるが、それよりもより呼ばれやすい呼び名があったりする。

 貴公子というものだ。


 実際に母方の世界を見れば、上流階級との付き合いが多い。

 クラシックの楽器を弾くなど、野球選手とは思えない趣味もある。

 もっとも一軍になってさっさと出て行く、という方針は司朗も同意である。

 東京ドームにはこの球団寮よりも、実家からの方が近いのだ。

 二軍のグラウンドは、寮に付属しているというような距離にある。

 ここにも確かにトレーニング施設は備わっているのだが、そもそも実家に武史専用のトレーニング設備がある。

 なんならそこで、司朗もトレーニングをすればいい。


 防音室やトレーニングルームと、神崎家の財力は裕福である。

 代々の財産に加えて、武史の蓄積した年俸。

 だが一年目か二年目ぐらいまでは、寮の設備を利用すればいいだろう。

 そもそも最初の合同自主トレで、様々な身体能力を計測するのだ。


 タイタンズは支配下選手を、新入団に合わせて解雇している。

 70人の支配下契約に加えて、育成契約の選手もいる。

 寮で管理するというのは、主に食生活を管理することにつながる。

 人間の肉体はどうしても、高校生の時点では完成しない。

 MLBでもそれが分かっていて、おおよそ24歳から25歳でメジャー昇格する選手が多い。

 ただ小柄な選手はむしろ、その時点で完成していたりもする。

 また筋肉だけではなく、体全体を使うということも、技術の一種である。


 司朗は自分の役割を理解している。

 もうすぐ伯父たちは、その衰えをはっきりと見せるだろう。

 そこに完全に、継承の一撃を与えるのが、自分の役目だ。

 だからこそ二人は、司朗に色々と教えているのだ。

「荷物を置いたら、簡単に案内してもらうから」

 寮長がいて、それと共に球団寮を移動する。

 トレーニングルームがあるので、ここでいくらでもトレーニングすることは出来る。

 ただ重要なのは、野球に不必要な筋肉は、つけないようにすること。

 もっともある程度はそういう筋肉もないと、故障しやすくなるのだが。


 レギュラーシーズン開幕まで、およそ三ヶ月。

 だが先に、新入団選手は活動を開始する。

 五年もすれば直史と大介は48歳で、武史も47歳。

 巨星が一気に去っていく中で、新星の輝きが始まろうとしていた。

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