第11話 働かざるもの食うべからず

「これは?」

『雌』

「こっちは?」

『雄』


 レグルスが籠から真珠蝶を一匹一匹取り出してウィンに見せる。

 ウィンは羽根をじっと観察しては「雄」と「雌」と書かれた画板をレグルスに見せていた。


 レグルスとウィリーが今いる場所は、先ほどまでいた家の東の森だ。

 2人は網を片手に、陽だまりの中を飛ぶ真珠蝶を捕獲ほかくしていた。


「よし、これで雄15匹分の鱗粉を採れた。あと雌1匹の鱗粉を採ったらノルマ達成っすからね、がんばりましょう、ウィリーちゃん」

「ぽっ」


 偽名のウィリーで呼ばれ、ウィンは元気よく手、もとい翼を上げた。


 ウィンが課せられた労働は、真珠蝶の雌雄それぞれの鱗粉を採ってくることだった。

 真珠蝶は人の目で見ると、みな同じ白い蝶にしか見えない。だから錬金術士は、毎回1匙分の鱗粉を使って実験をし、仕分けをしていたらしい。結構な手間だ。

 しかし、鳥の視界を手に入れたウィンには、真珠蝶の雄雌の区別がつく。これは利用しない手はなかった。

 先ほど真珠蝶の鱗粉で実験を行い、線が入ったほうが雄で、マーブル模様が雌だと判明した。


 というわけで、ウィンは網を華麗にふるいながら、真珠蝶を捕獲しているのである。

 ちなみにそれを命じた兄弟子のリオは、家でウィンを元に戻すアイテムを作る準備の真っ最中だ。


 ウィンは今しがた捕まえた蝶の性別を確認する。マーブル模様。雌だ。


「ウィリーちゃん。捕まえました? これは、ふむふむ、雌。……ということは、ノルマ達成すね!」


 やったー、と手を出してくるレグルスとウィンはハイタッチを交わす。腕に生えた翼がばさっと広がった。

 ふとウィンは気になってレグルスに尋ねる。


『そういえばレグルス。もう私のこと怖くないの?』

「んー。だんだん慣れてきたっす。それに、ウィリーちゃん見てたら思い出してきたんすよ」


 レグは少し遠い目をしながら空を見上げた。


「子どものときに飼ってた鷹のことを……」


 怖がられなくなったのはいいが、ペットとして認識されている。


「さて、予定よりだいぶ作業が早く進んだことだし、せっかくですからもう少し森の奥に行って、材料を取って帰りましょーか」

「ぽっ」


 ウィンは元気よく頷いた。

 錬金術に憧れがあったウィンにとって、素材採取は楽しい作業だ。


「じゃあ、これを渡しておきます」


 レグルスが取り出したのは、小さな笛だ。

 丸っとして、白い陶器のような材質をしている。手のひらに乗せると、中でからころと音を立てた。


「遠吠えの笛っていいます。ちっこい見た目とは裏腹に大音量が出ますよ」

「ぽぽー(へえー)」

「何かあったら、これを鳴らしてください。すぐに駆け付けますから」


 ウィンは素直にうなずいて笛を首元にかけた。

 ここはまだ栗色の柵の中。獰猛どうもうな魔物や熊に出くわすことはないはずだが、警戒しておくに越したことはない。


「よし、いい返事。がんばりましょーね」


 そうして2人は、森の奥へと進むのだった。



 □■□■□■


「それにしても、ウィリーちゃんは素材採取の才能がありますね」

『そうかな?』

「ええ、さっきの蝶をとる姿、まったく無駄のない動きは、まさに虫を捕る鳥って感じでしたよ」


 大変だ、ウィンは焦る。人に戻るためにやっているはずの行為で、どんどんハト本来の姿に近づいていっている。


「まあ、それはともかく、本当に手際はいいと思いますよ、子どもの頃、山で遊んでたんすか?」

「くるっくう(そうだね)」


 ウィンは肯定した。

 8歳になる前、錬金術に興味津々だった子ども時代。父にねだってはお店に連れて行ってもらい、錬金術の素材を眺めていた。さらには自分も採取してみたいと思い、こっそり近くの森に遊びに行っていたのだ。

 めずらしそうな山菜や川の石を拾い集め、なんちゃって素材採取を楽しんでいた。虫捕りの経験はそこでつちかわれたのだろう。

 バレた時の両親の怒りっぷりは今でもよく覚えている。

 そんな懐かしい思い出話を画板に書きながら、レグルスに説明する。


『今になって思うと、自分がどれだけ危険なことをしたのか分かって反省したよ』

「反省したのにハト人間になっちゃったんすね」

「ポォ……(それは言っちゃあならねえ)」


 もっともそういう遊びは、8歳のころ領地が広がり、父が経営に苦労していたあの時期をさかいにすぱんとやめていたのだが。


「子どもの頃からそんなことをするほど、錬金術に興味があったんですね。でも、どうして錬金術師になろうと決心したんです? 実績のある家ならともかく、無名の状態から錬金術師になるなんて、すっごい大変ですよ」


 問いかけられて、ウィンは画板に答えを書いた。

 昔、市場で錬金術師の少年に出会ったこと。

 少年が紙の鳥を飛ばせて見せてくれた時の感動が今も忘れられないこと。

 想いの丈をつづった長文を、レグルスは読んで頷いた。


「はあー、なるほど。なるほど。ロマンですねえ」


 ウィンは昔に思いを馳せる。今頃あの少年はどうしているのだろう。

 幼いころからあんなにすごい錬金術が使えたのだ。今頃は、どこかで店でも開いて大繁盛しているかもしれない。


『とはいえ、さすがに勢いのままやり過ぎたね。リオの言う通り、反省しなくては』

「あー……、兄弟子。その、ウィリーちゃん。ごめんね。きついでしょ、あの人」


 レグルスは眉間にしわを寄せて、口元をもごもごとさせた。


「あんまり気にしないでくださいね。誰に対してもあんな感じだから」

「ぽおう」


 ウィンは頷く。別に気にしていなかった。

 そもそもレグルスしかいなかったら、ドアパンされて終わりだったので、話を聞いて、元に戻す道具を作ってくれるだけでありがたい。

 そんな感じのことを画板を通して伝えると、レグルスはほっとした顔をした。


「よかった。兄弟子は、小さいころ苦労したからひねくれちゃったんですよー。俺が拾われる前、兄弟子と師匠が2人だったころはキャスパー領に住んでたんですけどね、師匠が平民って理由で、貴族の錬金術師に目をつけられちゃって……。色々あったらしいです」


 それで貴族が嫌いなのかと、ウィンは納得した。

 貴族による選民思想。自分たちは平民とは違う、選ばれた存在なのだという意識。

 それがいらぬ争いを産むことがあることは、貴族であるウィンはよく分かっていた。


「だから……、ん?」


 レグルスの言葉が止まる。彼は目を凝らして木の上を睨んだあと、突然駆け出して木登りを始めた。

 後を追おうとしたウィンだったが、いきなりなにかが右頬に激突して倒れ込む。


「ぽっ」


「もふっ」とした感触に悲鳴が呑み込まれてしまう。

 先に解説しておくと、ウィンに激突したのは「雪わたげ」と呼ばれる生き物である。

 もふもふとした丸い毛に、短い手足。あまり生存競争に向いていなさそうなフォルム。一応魔物だ。

 ウィンとレグルスがいるのは魔物が出ない区域のはずだ。だが、雪わたげは臆病でめったに人前に出ないため、魔物として判定されていないのだ。なにせ愛玩用に飼う人間がいるくらい安全な生き物なのである。


 ではなぜ、そんな臆病な雪わたげが、ウィンにタックルをしたのか。

 理由は単純明快だ。

 2足歩行する巨大なハトの頭がめちゃくちゃ怖かったのである。

 パニックを起こした雪わたげは、なけなしの力でウィンに突撃をかました。

 雪わたげに飛びつかれ、前後不覚になったウィンはよろめき、そして。


「ぽ」


 足を滑らせて斜面を転がり落ちた。


「ぽぽぽぽぽー!」


 ころころと地面を転がり3回転。

 固い地面にぶつかるのを覚悟したが、もふっとしたクッションに着地した。

 そのおかげで外傷はなかった。ぐるぐると回る視界にしばらく辟易していたが、やがてはっと我に返って上を見上げた。

 今しがた転げ落ちた土の斜面。かなり急な傾斜でよじのぼるのは難しそうだ。

 レグルスを呼んで助けてもらうしかあるまい。鳴き声を上げようと息を吸う。そしてハト胸をふくらませたところでぴたっと動きを止めた。

 自分を取り囲む「気配」を感じたのだ。

 ウィンはおそるおそるあたりを見回す。


 そして、彼女は見た。

 自分から少し離れたところで、10匹近い雪わたげがこちらを見つめているのを。

 さらに、落ちた時にもふっとしたクッションだと思っていたのが、目を回している雪わたげだということに気付く。


 ウィンは汗をたらりと流した。

 これは。まずい。そろり、そろりと後ずさる。

 そんな彼女目掛けて、雪わたげが乱れ飛ぶ!!


「ぽーう!」


 ウィンは絶叫とともに逃げ出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る