宇宙人
この街の空は、雲が出ている事が多い。雲一つない晴れは見られない。夜もそれは変わらず、私は満月を探して雲に霞んだ朧げな光を見たに過ぎなかった。
今夜の満月は大きいと聞いて、住んでいるアパートの前に出て月を探した。田舎街のこんな時間でも車の音は忙しなく聞こえた。線路が近いから、貨物列車が走る長い足音も静かに聞こえた。実家の辺りでは虫が鳴いているだろうか、この街では虫の声は聞こえない。
朧げな光と街灯の怪しい、人工的で古めかしい光の中で、私は空が昔見るよりも狭くなったように感じた。
たとえそれが心身の成長による副作用、あるいは精神の摩耗による弊害だったとして、残念な事であるのに違いはない。
肉体が窮屈だというのに、どうして空まで狭いのか。
鍵を開けて、アパートの中に入る。
玄関から一間の中に入った時に、私は妙な気配を感じた。
暗い部屋の中には私しかいない筈なのに、誰かに見られているような感覚がした。カーテンは閉めている。
灯りをつける。妙な感覚は消えない。物干しがある窓の前に立ち、カーテンを僅かに開ける。部屋の灯りは外の袋小路を照らした。そこに人影はなく、猫も何もいない。
タタッ、外から音が聞こえた。同時に、私のポケットに入っている携帯が鳴る。通話だった。
私は通話がきた時の癖で、慌てて応じた。受話ボタンを押して気づく。
着信音は鳴らないように設定しているし、見た所、連絡先に入れている相手でもない。連絡先以外からの着信は非通知にしている。
何故鳴った?
疑問はそのままに、電話先の相手は話し出した。
「私が見つけたのは男か女か両性具有か
何を言っているのか、この誰かは。
水はまだ分かるが、水銀? 悪戯電話などかかってくるのはいつ以来か分からないが、危ない相手に違いないので切ろうとした。
「切らないでくれないか。私は遊覧船から落ちてきたものだ。水は生命に必要なもので、水銀は飛行に必要なものだ。私は無性だが、あなたが異性でも相応の対価は払える。水と、水銀だ」
相手は私が切るのを予知したかのように先手を打ってきた。言っている事をまとめると、この誰かさんは宇宙人か何からしい。
不思議の全ては否定しないが、宇宙人から電話がかかってきたと言われて納得できるほどおめでたくなりたくもない。
私は通話を終了して、番号を着信拒否した。
相手に情報を与えるだけで危険だ。水銀は諦めて貰うにしても、水を与えて帰ってくれる人外ならいい。それよりも人間が訳のわからない事を言って、何かの悪巧みをしていると考えた方が確実で恐ろしい。相手にしないのが一番いい。
電話がくる直前に、窓の外で何か音がしたのは、猫か何かだと思う事にして。
コン、コン、窓が叩かれている。
私はなんだか疲れてきて、キッチンに向かった。冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターをのボトルが一本だけあった。
部屋に戻っても、まだ窓は叩かれている。
私は外を見ないように窓を開けて、少しだけ隙間を作ってミネラルウォーターのボトルを外に投げた。
明日起きて、そのままだったら回収すればいい。人が通る道ではないし、見咎める者もいないくらいには住宅街の奥だ。
「この星の一般家庭に水銀は置いていない」
私は一方的に言って、窓を閉めた。
ペットボトルが凹む嫌な音が外から響いた。
まさか本当に何か、人間の理を超えた存在がいるのか?
だが、確かめる為に外に出るには危険が伴う。不審者の線もまだあるのだから。
タッタッタッ、リズミカルに走り去る音が聞こえて、その何かは消えた。感じていた妙な気配も消えた。
ペットボトルの行方は明日確かめるとして、今日は眠ろう……私は一通り眠り支度を整えた。
翌朝、私が外を見ると、ペットボトルは消えて、物干竿に黄金色の腕輪がかかっていた。
取っていいものか。
他人の物ならば面倒になる。
ひとまず、放置しよう。
私は目の前の現実から逃げていた(いつもそうだ)。インスタントのコーヒーを用意して、ローカルニュースを見る。
市で行なっている水銀式体温計などの回収の為に設置された箱が荒らされていた事件が出ていた。
そして、その場所からさほど離れていない所で、小規模な爆発があった。死傷者はなく、物の破損も軽微だが、原因はまるで不明だという事だ。
私が体験した事が夢でないとするならば、あの宇宙人は無事に遊覧船とやらに乗れたのではないか?
傍迷惑な存在だが、ないものと考える事もできない。
宇宙人の顔を見られなかった事が、急に惜しく思えてしまった。
※大分前に書いた未発表作品があったので載せておきます。
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