第91話 家出

 ソフィーが部屋から出ていく音。

 マリアはしばらく耳を澄ませる。


 そして、シーツからおそるおそる顔を出した。

 キョロキョロと当たりを見回す。

 ゆっくりとシーツを退ける。

 

 ベットから下り、靴を履く。


 忍び足で机まで行くと、中から紙とペンを取り出す。

 これで、メイドはソフィーと必要事項のやり取りを行っていたと聞いている。


 最後にもう一度、周囲の確認をした。

 何の気配もない。

 安堵の息が漏れる。


 ――マリアは前から気になっていた。

 ソフィーはどこで人の感情を読み取るのかと。


 声ではなく、おそらく顔からではないかと――マリアは推測する。

 そして、あまり複雑な感情が読み取れるとは思わない。


 先程、ソフィーからどこにも行かないでください、と言われた。


 そのとき、マリアは躊躇しながらも、分かりましたと、返事をした。


 それなのに、何も疑わず部屋から出ていったのが何よりもの証拠である。

 何せ、ここから出ていかないつもりなど――彼女にはないのだから。


 紙にペンを走らせる。


『聖女様より仕事を頼まれたため、教会に戻ります。3日ほどこの部屋には帰れませんが、気にしないでください』


 マリアは満足そうに頷き、部屋から飛び出した。


 あと3日もすれば、さすがにソフィーも落ち着くだろうと、マリアは能天気に考えた。




 ***




 教会へ戻ると、アンナが買い出しに出かけるところだった。

 マリアはそのまま、ついていくことにした。



 

 買い物が終わったあと、二人でベンチに座る。

 空は夕焼け色に染まりはじめた。


「そう言えば、ソフィー様って今日か明日には帰ってくるんだっけ?」

「もう、帰ってきてますよー」


 マリアが不機嫌そうな声を出したため、アンナは首を傾げる。


「じゃあ、向こうに戻るのは今日から?」

「いえいえ、もう3日ほど教会へご厄介になってから、向こうに帰るつもりですよぉ」

「そっか……」


 アンナは、どこか寂しげに笑う。


「……どうかしたんです?」

「いや、マリアにとってはさ――向こうはもう、帰る場所なんだなって思ったら、ちょっとね」


 その言葉で、マリアは自覚する。あの部屋は、自分の帰る場所なのだと――。


 ソフィーの顔が思い浮かぶ。


 書き置きしたメモを見て、彼女は何を思うのだろうか?

 今更になって、自分の考えなしの行動に嫌気が差す。

 誰にも言わずに飛び出してきた。

 ソフィーの食事は一体誰が用意するのだろうか?

 

 今までひとりで、今日もひとり。


 それは――なんか、嫌だ。

 

 ソフィーの顔が思い浮かんだまま、消える気がしない。


 マリアだって、ソフィーに触れたい。でも、ほんの少しでいい。ほんの少しだけで、マリアには十分なのだから。


 それを――ちゃんと、伝えるべきなのかもしれない。

 やっぱり、帰ろう。――そう、思った。

 

 少しだけ、気が楽になる。


 おやつ用に買った、カップアイスを紙袋からふたつ取り出す。チョコ味はアンナに、バニラ味は自分の手におさめた。


 取り敢えず今だけは、余計なことを考えずに美味しいものを食べることにした。


 久々のアイスを一口食べ、マリアは身悶えた。

 美味しいと、声を大にして叫びたい気分だ。


 マリアは隣のアイスに目がいってしまう。


 その目線だけで、アンナは理解する。自分のアイスをスプーンで掬うと、マリアの口元に近づける。


「代わりにそっちも一口貰うからね」

「分かってますよぉ」


 そう言って、マリアはアンナが差し出したアイスを口に入れた。

 これも美味ですねーと考えながら顔を上げた瞬間、声がした。


「これは浮気ですか? マリア」


 ヒヤッとした。


 ――寒気と同時に、目の前にソフィーの姿が現れる。無表情で、マリアを見下ろしている。


 アンナは恐怖のあまりか、スプーンとカップを地面に落としてしまう。


 それを横目で確認し、自分は落とすまいとカップを持つ手を強める。


「そ、そのー、メモは見ていただけましたかね?」

「ええ、確認しました。しかし、3日は駄目です。長すぎます。私も手伝いますので、今日で終わらせますよ、マリア」

「そ、その件はもう大丈夫です。解決しましたので。だから、今日はもう――そっちに帰りますので」

「そうですか、それならば良かった」

「はいー、それはもう、良かったですよー」


 ははは、とマリアは笑う。


「で、これは浮気ですか?」

「ち、違いますからぁ! 友達なら、これぐらい普通ですからね!」


 ソフィーから、じっと見られる。


 ――正直、生きた心地がしない。しかし、嘘ではない。何ら後ろめたい行為などではないのだから。


「分かりました。しかし、二度目はないですよ、マリア」


 その言葉に――マリアは何度も、頷いた。


 ソフィーに顎を持ち上げられ、唇が触れた瞬間、口内に舌が這う。それは念入りに、入念に、マリアの舌を逃さない。


 マリアの手が下がり、アイスとスプーンが地面に落ちた。


 その光景は卑わいでありながら、あまりにも美しい。


 ――アンナも、遠巻きに見ていた通行人も、固唾を呑んで見守った。


「これで上書きはしたので、もう大丈夫です」


 そう言って、ソフィーは満足気な表情となる。

 マリアが口をパクパクさせる姿は、あまりにも愛らしいと――ソフィーは思う。


「とは言え、不安は残ります。マリアとは早速、子作りに励み私の子を孕んで貰わねばなりませんね」

「な、何でです?」


 マリアは恐怖でおののいた。


「私の子を孕めば、マリアは完全に私のものです。だから、私の子を孕んでください」

「いやー、あれですよ? 子供が生まれたら、ソフィー様は永遠に2番目ですからね!」

「意味が分かりません。どういうことでしょうか?」

「知らないんですか? 全ての夫婦がそうなるんですよぉ。子供が生まれたら、その子が一番になるんですからぁ」


 ソフィーは悩みだす。確かに、そのような話は聞いたことがある。

 

「分かりました。子供を孕むのはマリアにアヘ顔をさせてからにします」


 マリアは首を傾げた。


「何ですか、それは?」

「よく分かりませんが、それが究極の証だと聖女様より伺っています。なので、それをひとつの到達点として、頑張ります。そうすれば、マリアの一番は永遠に私ということになります」


 よく分からないが、ろくでもないことだろうと理解した。

 しかし、とりあえず子供のことを諦めてくれたのなら、今は良しとしておこう。


「それでは、帰りますよ」


 そう言って、風の魔法でマリアの体を浮かすと、お姫様抱っこで持ち上げる。ソフィーはもう一度、彼女にキスをしてから、ふたりの部屋へと向かった。

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