第3話 負けヒロインの現在地は

 この学校に通っていて、"井原ネム"という名前を知らないものはいないだろう。

 高嶺の花ならぬエベレストの頂上の薔薇。誰とも馴れ合わないとびっきりの美少女として、入学当時から自他ともに認める有名人だった。

 

 勇猛果敢に告白し、あっさりと振られた男は数知れず。

 そんな私が、そんな高貴で美しい私が、唯一仲良くしてやってもいいかなと思っていた男がいた。

 

 ──同じクラスのボンクラ。音木桜路おとぎ おうじ

 

 保育園が一緒だった彼は、いわゆる幼馴染の腐れ縁というやつだ。昔からやたら真面目で不器用なボンクラだった。

 中学に入ったあたりから、あまりのカースト格差にあんまり関わり合わなくなってしまったけど、高校に入った時、あのボンクラが「探偵部」なんて部活を作っていたもんだから、心配して見に行ったのが全てのはじまりだった。

 決して当時悩まされていた振っても振ってもしつこく迫ってくる男をどうにかしてほしくて頼ったわけじゃないし、久しぶりに桜路としゃべりたかったわけでもない。決して。

 

 真面目でバカなアイツは私の抱えていた問題の解決をはりきって申し出たと思えば、鮮やかに解決した。それだけじゃない。仲間に、探偵部の輪に引き入れてくれたのだ。

 感謝を言葉でうまく伝えられない私は行動で返そうと……いや、この私が小声だろうと「ありがとう」と言ったのだからむしろ感謝されてほしいぐらいだが…………兎に角、この私はとびっきり美少女な上に恩を忘れない女なのである。頼りない桜路を支えてあげようと、探偵部への入部を承諾したのだった。

 

「あれ? 井原先輩?」

 

 何も考えていなさそうな軽薄な声がこの私の歩みを止めた。

 声のした方を振り向くと、過去に探偵部に依頼に来ていた後輩の女生徒が立っていた。いや、今は林檎と同じく桜路に心を寄せていた女の一人だと言った方が、良いだろうか。空港に行くことすらできなかった女の割に随分と軽い調子をしている。

 

「桜路先輩元気ですか? 連絡先知ってます?」

 

 やはり、質問は桜路関連のことだった。

 

「なんで私に言うのよ。アンタが勝手に連絡すればいいじゃない」

「もー、怒らないでくださいよ、やっぱ引きずってますよねぇ」

「まるで私がアイツに気があったみたいな言い方やめてくれるかしら」

「ありゃ、違いました? 乙女の勘ってはずれるんですねぇ」

「……むしろアンタこそ、桜路が好きだったのバレバレよ。失恋で髪切ったのかと思ったけど違った?」

 

 彼女は確かに以前はポニーテールに結んでいた髪の毛を切り、ボブカットになっていた。

 

「私は引きずらない女なんですよ」

 

 ふふん、と自慢げに笑うと、やたら派手なケースに入ったスマホをとりだした。

 スマホの画面には一人の知らない同年代の男性と腕を組んでピースをしている写真。

 

「アンタ、これって……」

「もう次の恋行ってま~す♡」

 

 写真から導き出される事実を明るい調子で言われた。

 正直言って、意表をつかれていた。二人が消えて、一か月経っても、まだ現実感がなく、流れるように日々を過ごしていた私には、次の青春を始めるという発想がなかったのだ。

 

「中途半端な知り合いが男と腕を組んでいる写真見せられてどんな反応すればいいのよ。自慢でもしにきた?」

「違いますぉ。純粋に桜路先輩どこいったんかな~って気になってたから聞きにきただけですって」

 

 私の声があからさまに苛立っていて、吹っ切れたのであろう相手の声が軽やかなのが余計に惨めだった。

 

「そう簡単に割り切れる恋じゃないですよね。さっさと忘れちゃった方が良いですよ。青春は有限なんだから」

 

 この女の言う通りだ。もうとっくに折り返しが過ぎている高校生活。時間は、青春は有限なのだ。このままだと、桜路に置いて行かれた思い出で青春が終わってしまう。

 このままでは、桜路に置き去りにされた思い出だけで青春が終わってしまう。次のコミュニティを見つけて、探偵部での日々は綺麗に過去へ置いていくべきなのだろう。

 

 私の歩みを止めたのは彼女だけではなかった。

 

「おーい、井原」

 

 放課後、さっさと帰宅しようと歩いていると、背後からけだるげな男の声が聞こえた。探偵部の顧問の男性教師。乙都だ。

 

「何よ」

「何よじゃねぇよお前、部活どうすんの?」

「は? 部活?」

「ほら、探偵部だよ探偵部」

 

 それと同時に、私は桜路がいなくなってから一度も部活に足を向けていないことに気づいた。もう、活動なんてしてないんだから関係ないけども。

 

「部長の音木がいなくなっちゃったから書類書けねぇんだよ。新しい部長決めて書類だせよ。まぁ、部長になるならアンタかなと思って」

「……」

「まぁ、あの二人が中心になってた部活だもんな。廃部にするならするで申請だせよ。部室欲しがってる部活はいるだろうから」

「廃部……」

 

 乙都がもう一枚プリントを渡してきた。

 仮にも顧問のはずだが、随分冷たい物言いをする。いや、何年か教師をやってれば、途中で空中分解するマイナー部活なんて星の数ほどあるのだろう。

 

「あんま引きずんなよ。お前美人だし良い男すぐ見つかる……いや、これセクハラか」

「は? 私がアイツのこと引きずってるみたいな言い方やめてくれない?」

 

 どいつもこいつもなんなんだ。私があんなボンクラ一人にいつまでも執着するわけないだろう。

 

「まーお前が割り切ってんならいいや。さっさと忘れろよ、アイツのことは」

 

 そう言って乙都はサンダルをパコパコとさせながら去っていった。

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