ドラマーIN US #16 開けられない手紙

矢野アヤ

開けられない手紙

 結婚する前の二年近く、遠距離恋愛をしていた時期がある。

 留学先のアメリカで知り合ったのだが、私が先に帰国したため、日本とアメリカの距離はコミュニケーションで埋めるしかなかった。当時はまだインターネットはなく、国際電話は一分間360円程もした。学生同士、手段は手紙しかない。と初めは思った。

 人間は視覚タイプと聴覚タイプに分けられると言うが、ミュージシャンの夫は極端に偏った聴覚タイプだ。ソファーの配置を変えようが、クリスマスツリーを飾ろうが気が付かない。もちろん髪型を変えたくらいで気づいてもらうことなど、とうの昔に諦めている。でも車の運転で事故を起こしたことはないので、見る気になれば見えることはわかっている。

 そんな夫とのコミュニケーションは、直ぐにカセットテープに録音された音声手紙に取って変わった。彼は多分お酒を飲みながら、ほろ酔い気分で話し続けていたのだろう。夜眠る時用と言って、優しいジャズピアノの調べに合わせゆっくりと話しかけてくれるテープ。好き放題な即興演奏で気持ちをぶつけてくるテープなど。次々と届くカセットテープを、いつからか心待ちするようになっていた。次のテープが届くまで、何度も繰り返し聞いていた。

 このことは、実はエッセイ塾のお題に「手紙」と出されるまで、すっかり忘れていた。結婚後の再渡米後の、波乱万丈なアドベンチャーライフで、遠い昔の甘い記憶など今の今まで吹っ飛んでいた。いや、長年思い出したくもなかったのかも、というのが正直なところかも。

 夫は今でも毎晩ほろ酔い気分で話し続けている。これをロマンチックに感じたのだから、視覚タイプの私も盲目になっていたということか。良くも悪くも、恋は盲目とは恐るべし真理。

 そういえば、テープレコーダーなどはとっくの昔に処分してしまった。今ならまだどこかで手に入るだろうか。その前に、カセットテープを探さないと。

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