全ての犬を破壊する。それは再生出来ない。メメのために。

水銀コバルトカドミウム

1話完結

メメは短毛種で焦げ茶色のミニチュアダックスフンド。

俺が物心付く前、父親が犬を飼いたくなった際に、ホームセンターに併設してある場末のペットショップから5万円で買ってきたらしい。

概して短毛種のミニチュアダックスはあまり人気が無く他の種と比べて安い。

きっと、メメは父親の衝動買いの癖が無ければ、売れ残りとして保健所で処分されていたのだろう。

メメという名は、まだ上手に発音出来なかった俺が、買われたばかりのその犬を指さして「メメ」と言った事から取ったらしい。

メメは弟であり兄であったし何より家族だった。

幼い頃は、毎日のように父と俺とメメで散歩に出かけた。

父の仕事が休みの日は、車を走らせ、そこそこ広い公園にも行って遊んだ。

散歩の結果、愛犬家の知り合いが何人か出来たりもした。

学校で上手くいかなかった日は、俺の言葉が通じないと分かっていてもメメに話しかけた。

メメの瞳は真っ直ぐ俺を見ていた。

それだけで救われた訳では無いが、単純だった俺の心はある程度癒された。

父と母の喧嘩は絶えなかったが、醜い言い争いになるとメメは諌めるように夫婦に向かって吠えてくれた。

夫婦喧嘩は犬も食わないなんて言うけどあれは嘘だったな。

冬になるとコタツに入って一緒に暖まった。

メメはきまって長い胴を猫のように丸まらせる。

今にして思えばメメと過ごした毎日が特別だっだんだ。


生きていれば必ず別れの時が来る。

それは、メメの目が濁った事から始まった。

失明したメメに気遣って父と俺で家中の角張った部位に補助用のスポンジを付けた。

目は見えなくなったがメメは変わらない。

そう思えた時期は幸せだった。

盲目犬の介護生活に慣れた頃、なんの前触れも無く興奮したメメが父の足にいきなり噛み付いた。

父はメメを何度も叩いて、なんとか咬合を振り解き、口輪をメメに付けて外科医へ。

幸い全治3週間程度の怪我で済んだが、もしかしたら足の小指が無くなっていたかもしれない大変なものだった。

この日を境にメメは変わってしまった。

普段はいつもの彼だが、一旦スイッチが入ると暴れて手が付けられなくなる。

他に手の施しようがないのでやむを得ず、メメに口輪を付けたまま生活させるようになった。

まだメメに会える、まだメメは生きている。

それに気付ければ幸せだったのに、父に噛み付いたメメが俺は怖かった。

目に見えて衰弱していくメメを抱き締めてやることすら出来なかった。

忘れもしない4月18日。

俺がいつものように風呂に入り、上がったら、メメは死んでいた。


18歳の春。

進路なんかどうでもいい。

勉学なんてどうでもいい。

週に50回はペットショップに赴いてメメの姿形を探す。

どの犬の値もメメの2倍から5倍はするが、そんな価値があるようには見えなかった。

メメの匂いが染み付いた口輪や首輪を嗅ぐ。

日が経つ度に少しづつ匂いが消えていくのが分かる。

まるでメメが衰弱していったように。

昔撮った写真を見てまだ幸せだったあの頃に帰る。

今はいない愛犬といつもの散歩道を歩く。

これが、今の俺だった。


「こんにちわ」

散歩道で、ふと声をかけられた。

振り返ると、中肉中背のスーツの男。

容姿も上背も服装も特徴を把握しにくかった。

と言うより特徴が無かったと言っても差し支え無いだろう。

見かけた顔では無いし誰だろう。

「この辺の方?」

「遠くから来ました。とても遠くから」

濁すような喋り方に怪しさを覚えつつもオレは会話を続ける事にした。

「突然ですが、私は未来から来ました」

目の前の男の戯言に俺は耳を疑った。

この男は自分が未来から来たなんて事を、何故平然な顔をして告げれるのか。

仮に未来から来たとして、何故俺なんか平凡な高校生に会うのか。

おかしな人の発想はいつも突飛だ。

「あなた、私を狂人扱いしてますね?そりゃそうだ。私があなただったら絶対に信用しない」

「仮に未来から来るとして、俺に話しかけるメリットが何処にあるんだ。

俺は織田信長でも、日本の首相でも無いだろ」

それまで思ってた事を口に出してしまうと何だか少し恥ずかしくなった。


「確かに君は織田信長では無い。しかしある意味で織田信長より歴史にとって重大な轍を遺す事になる。その死に重大な意味があったマラーのような人間も居る。なんにせよ未来は可変の存在だ。貴方はそんなに矮小な存在じゃない。そうとも考えられないですか?」

奴の言論は間違ってる訳では無い。

ある種、教科書めいた奴の綺麗事に少しの辟易を覚えつつ、その言論を一旦飲み込む事とした。

「それで、未来で俺は何をやらかすんだ。

AIの暴走でも引き起こすのか?」

「AIの暴走なら私より上の存在が止めますよ。

実は、私は国連のある団体に所属しておりまして、貴方はメメちゃん、飼い犬のミニチュアダックスフンドを喪った結果、化学に多大なる才能を発揮し、全世界の犬のみを死滅させる細菌を開発します。

そのパニックの際に施設された私共、国連動物愛護協会と致しましてはかかる蛮行を許してはならないと立ち上がった訳であります。」

奴が滔々とよく分からない事を述べる。

俺が全世界の犬を滅ぼす……?

そんな事が俺に可能な訳無いだろ。

それに、他の犬と飼い主を恨んでるなんて事は無い……筈だ。

「ですから私共と致しましては、貴方の絶滅の実行をこうして説得しに来た訳であります。

そんな事をしてもメメちゃんは帰ってきません。直ぐに虐殺を中止する方向に進めて頂きたい」

「その説得、ちょっと待って貰おうか」

田舎の散歩道に不釣合いなスーツの男がもう1人現れた。

先の自称国連の男と見分けが付かない。

恐らく、どの時代どの状況に現れても"不審者"とならないようにそういう装置を使っているのだろうなと思った。

「そのお方は比類なき科学力で犬を絶滅させ、狂犬病を根絶させる。

そりゃ犬は可哀想だが、狂犬病で死ぬ人間には変えられない。仕方の無い犠牲ってやつだ」

「仕方の無い犠牲ですと!犬の苦しみを貴方は理解していないのか」

「まず、人間の苦しみを理解しろ。それに時間改変の許可は取ったのか。この場合考慮すべき事項が多すぎるだろ」

掴みようのない男達は、あわや掴み合いの大喧嘩になって、収集の付かない状況になってきた。

俺は本当に犬を滅ぼすのか、それともただの狂人2人が俺を惑わしているのか。


「おーい、そこに居たのか」

侃侃諤諤とやっていた俺達に声をかけたのは俺の父親だった。

男4人、大の大人が田舎の散歩道にて相対すると何やってるんだろう……という気になるものだ。


「そちらは、知り合い?まあいいか、それより犬貰ったぞ犬、知り合いのが沢山産んだらしくてな。今懐が厳しいとかで頼まれちゃってさ。メメもいつまでもお前が悲しんでるのは嫌だろ。お前が名前付けて良いぞ。だから、早く帰ろう」

子犬を抱き抱えた父が矢継ぎ早に語ると突然、スーツ2人の腕時計が電子音を鳴らした。

「どうやら、停戦のようですね」

「可愛い犬だな。十数年後にまた会いましょう」

スーツ2人は俺と握手を交わすと、俺の家とは真逆の方向に歩いて行ってしまった。

向こうに何があるのだろう。


果たして本当に俺は犬を絶滅させるのか。

奴らは未来人だったのか。

メメは俺がすぐ犬を飼って嫉妬しないか。

新しい犬はこんな俺に懐くのか。

考えても仕方の無いことを考えるほど無駄な事は無い。

時間は有限で不可逆で、未来は変えられるんだし。

子犬の名前を考えながら父親と帰路に付いた。

「そうだな、お前の名前は……」

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全ての犬を破壊する。それは再生出来ない。メメのために。 水銀コバルトカドミウム @HgCoCd1971

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