第38話 End of tournament

 一戦目の次は僕以外の試合だったので休憩があったが、残りの二試合は連続して入ることになった。二試合とも、デュースまでもつれるセットこそあったが、特に危なげなくストレートで勝つことに成功した。一戦目が長引いて体が動かせたのが大きかっただろう。これで僕は一位通過になったのだが、それ以外の三人はかなり拮抗していたようで最終的には一勝二敗で並んでいた。結局僕の初戦の相手がセット数の差で二位通過したようだ。

 この大会の試合部分はオンラインで公開されていて、各リーグの試合結果やまだ終わっていない試合のコート番号と予定時間がリアルタイムで更新されている。ずいぶん先進的だが、これがヨーロッパでは当たり前なのだろうか。しかし実際には、こういうシステムで運営されていたのは僕が参加した中ではこの年だけだった。

 このあとハイチャンとのダブルスの初戦があり、これも難なくストレートで勝利した。この年のダブルスは予選リーグなしの一発トーナメントで、この時点でベスト64ということになる。

 今日の試合はこれで全部終わりで、午後五時を回って会場もぼちぼち引き上げムードになってきた。そんな中、会場の一画の壁際に人が群がっている。なんだと思って近づくと、オンラインではまだ更新されていないが翌日のシングルスの決勝トーナメントの組み合わせが手書きで八割方書き込まれているようだった。

 僕の初戦はケンブリッジのロッキーという選手で、僕が一位通過なので彼は別のリーグの二位通過ということになる。ケンブリッジならオックスフォードともよく対戦するので、キャプテンか誰かは相手選手について知っているかもしれない。

 

 ディナーは車で十分ほどいったところのインド料理屋に行くことになった。車内でキャプテンにケンブリッジのロッキーという選手を知っているか聞いてみると、パッと分からないから多分ファーストチームではないという話だった。同じ車に乗っていた他のメンバーが「セカンドチームにいたあの大男じゃないか」と言い出し、キャプテンもそんな気がしてきたようだった。

 インド料理屋はお隣のオックスフォード・ブルックス大学のメンバー数人と一緒だった。ブルックスの人々はオックスフォードに比べて少数精鋭で、一番強いのはなかなか珍しい左利きのカットマンだ。二、三人がオックスフォードの練習にも時々顔を出しており、これから長い付き合いになる。

 キャプテンがブルックスの人たちと座りながら、ホテルのクオリティについてテイラーを呼びつけている中、僕はアリスターの隣に座ってメニューを見る。インド料理のメニュー表は日本で見るものとはかなり違う。アリスターにオススメを聞くといくつか耳馴染みのない横文字が返ってきたが、その中にチキン・ティッカという文字列が含まれていた気がしたので、去年数学科でパトリックがとして食べていたのを思い出して「チキン・ティッカ・マサラのこと?」と聞くと、ちょっと違うけどそれも美味しいよ、と笑顔だった。

 今思えばチキン・ティッカとチキン・ティッカ・マサラは多分カツとカツカレーくらい違うのだろうが、彼は優しいのであまり突っ込んでこない。今回のインド料理店は雰囲気やメニューを見てもオックスフォードのような学生街にあるようなものよりは若干格式が高めそうだったが、アリスターは家族でよく行くということで結構そういうメニューやマナーに詳しそうだった。ここは英国なので当然なのかもしれないが、アリスターに限らずオックスフォードは東大に比べて地元の学生のが強い。英語とかそういったものの前にあるギャップを時折感じる。そんなものをレストランでいちいち感じていたらキリがないという話もあるが、ちょっと良いレストランのメニューは英語の論文よりも遥かに難しい——出現頻度の低い——単語が使われているのだ。

 思ったより辛さが強かったが、なんとかチキン・ティッカ・マサラを平らげ、お互いに今日の試合がどうだったなどという話をしてホテルへの帰路に着く。今年のオックスフォードは予選通過つまりベスト128以上が五人いて、これは過去最多なんじゃないかという話も出ていた。長い一日で、眠りに着くまでに長い時間は要さなかった。


 翌日、朝九時からシングルスの初戦があった。これに勝ったらベスト64だ。英語ではラウンド・オブ・128というらしい。日本で大会に出ていた頃は例えばベストエイトからベストフォーを決める準々決勝のことをフォー入りだとかフォー決めだとか読んでいたので、既に決まっている方の数字で呼ぶのはなんだか違和感がある。

 僕がコートに着くと、既に待っていたケンブリッジのロッキーは大男ではなくむしろ小柄な方だった。みんな割と適当なのだ。

 最初のセットはお互い緊張かウォーミングアップ不足かミスが多く、競りながらも僕が11-8で取った。相手は僕のサーブをほとんど取れていないが、僕もカットや攻撃にミスが多い。僕は体が温まるまで守りに徹することにして、二セット目は守備に集中することにした。するとこのセットは11-3で取り、最終セットは攻撃も交えて11-5と完勝だった。ロッキーと握手をしてコートを出る。なんともあっさりしていたが、インカレベスト64ということになるのだろうか。日本でそこまで行けばかなり凄いことだが。もう一つくらい勝ちたいところだ。


 シングルスのトーナメント二回戦の前に、ダブルスの二回戦がある。次の相手は第15シードのペアだ。チームとしては運の悪いことに、キャプテン率いるオックスフォードの一番手ペアとここで当たってしまう。

 卓球のコートは白線によって四分割されていて、自分のコートの左右と相手のコートの左右がある。ダブルスでは二人の選手が交互に打つというルールの他に、サーブは自分のコートの右側でバウンドさせた後に二バウンド目を相手のコートの左側に落とす、つまり対角線上で二バウンドさせるというルールがある。僕が普段出している向きの横回転サーブだと右に曲がってしまって対角線でバウンドさせにくいので、出せるサーブの種類がシングルスに比べてかなり変わってくる。

 他にも、セットが変わると四選手の打つ順番が入れ替わるという特徴がある。オリンピックの混合ダブルスなどを見ているとそれがセットごとの勝敗にかなり影響してくることが分かるだろう。ダブルスにはこういったシングルスと違うゲーム性がいくつもある。

 先にコートに入ってダブルス用のサーブ練習をしていると、向こうのペアが到着した。キャプテンじゃない方が僕の出していたサーブを見てスケアリーだと笑っている。キャプテンとは試合をちゃんとしたことがないが、もう一人とは一度だけして1-3で負けている。彼のドライブは角度が鋭くてコートの両サイドを切ってくる——卓球テーブルの長い方の辺上を通過する——ので、球の角度がキーになりやすいダブルスだとさらにやりにくそうだ。

 僕たちのペアも健闘していたが、やはりこちらの急造ダブルスの方が連携が甘い。甘い球を見逃さない相手に対して無理に攻めに行ったミスも目立ち、二セットをあっさり取られてしまう。後がなくなった三セット目、回転の多いボールを使ってラリーに持ち込み、こちらからのミスを減らす。先にマッチポイントを握られ、9-10まで追い縋るも最後は打ち抜かれて負けてしまった。


 ダブルス敗退で感傷に浸る間もなく、シングルスの二回戦がコールされた。相手はもうロッキーではないが今度こそかなりので、パワー系の選手かと思えた。数本の練習の後に試合が始まると、見た目とは裏腹に実に繊細な卓球をする相手だということが分かった。この大会を通して、名前の響きも、見た目も、相手の卓球を判断する材料にはならないようだ。

 ラウンド・オブ・64の相手——ルークは第28シードの選手で、全くと言っていいほどミスをしない。僕がカットで何球も粘っても、向こうは無理をせず緩めのループドライブで繋いでくる。しかしそのループドライブも、カットするのは苦でなくとも、僕が後陣からドライブで打ち抜けるほど甘い球ではない。五往復以上するような長いラリーの応酬になる。僕が痺れを切らして攻撃をしても、相手は難なくブロックをしてきて、むしろ打ち抜こうとして体勢を崩した僕が戻りきれずに点を取られる。

 一セット目、二セット目ともに、点差は開かないが僕がリードすることも出来ず、8-11で取られてしまった。ラリーが長いのでセット数以上に息が上がっているが、向こうもかなりの汗で、粘り続ければ勝機があるかと思い、最終セットは守備よりにすることに決める。

 しかし、最後は疲れたこちらにミスが増え、結局ストレートで負けてしまった。後から聞いたところによると、ルークはオックスフォードのキャプテンと小さい頃同じチームに所属していたらしい。キャプテンは彼の手元の感覚が天才的だと言っていた。これは僕が負けたのを慰めてくれたのだろうが、実際こちらの回転に変化をつけても向こうはミスが少なく、僕のサーブにも初見で対応してきたので、やはり格上の相手だったと思う。


 こうして僕のインカレ——BUCS individualsは幕を閉じた。シングルスの二回戦まででオックスフォードの選手はほとんどが姿を消し、キャプテンだけが勝ち残っていた。正午前になり、キャプテンはダブルスもシングルスもシード順を守ってそれぞれベスト16と32まで勝ち進んだ。ダブルスは既にそこで負けたが、シングルスは今から始まるというところだった。

 シングルスの相手はケンブリッジのジェームズ。まだ二十歳くらいだがこの大会では第五シードだ。プロ選手を含めたイギリス国内ランキングでも三十位以内に入っているらしい。

 キャプテンが本気で試合をしているのを観戦するのはこれが初めてだった。ジェームズはあまり強いボールで打ち抜くスタイルではなく、回転のかかったボールが中心のようだ。これは「ドライブは七割の力でいい」と常々言っているキャプテンも同じなのだが、どちらかというとキャプテンが先に攻めてジェームズがカウンターを狙うという展開が多い。

 キャプテンは一セット目を落とすも、続く二セットを取り、ベスト16入りに王手をかける。かなり声が出て興奮気味のキャプテンとは対照的に、ジェームズは終始冷静なプレーだ。四セット目はデュースになり、キャプテンはあと二点取れば、というところだったが、ジェームズが試合を2-2のタイに持ち込む。

 最終セットはオックスフォード側はほとんど集まって声を出して応援していたが、またもやデュース。最後は二点連取され10-12でキャプテンが敗北し、チーム・オックスフォードのインカレは終わった。


 車によって帰宅のタイミングはまちまちだが、僕はこのタイミングでキャプテンの車で帰ることになった。まだ大会は続いていて、観戦しているのを見つけた何人かの知り合いに、また試合でと言って会場を後にする。

 出発が早かったので夕方ごろには帰宅した。顔を出してきた筋肉痛を寝かしつけながらスーパーでミール・ディールを買う。寮に持って帰ったそのを補給し、シャワーを浴び、寝る。大会の疲れはいいものだ。

 

 ここ二週間ほどは、自分が留学に来ている目的を錯覚するような生活だった。そろそろ数学に戻らなければならない。

 博士の中間審査——トランスファー・オブ・ステータス——が差し迫っていた。

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