第35話 The week of table tennis

 およそ一ヶ月ぶりの、ウォリック大学セカンド・チームとの試合である。今度はこちらはファースト・チームで、アウェイでの試合になる。向こうはホームマッチなのもあり前回オックスフォードに来たメンバーよりも少し強い。前回の一番手が二番手で、さらに別の人が一番手として登録されているようだ。

 イギリスの学生リーグ、バックスでの卓球の団体戦は、四人対四人なのだが、それぞれの選手の登録ランキングによってその対戦順も定まる。第一ラウンドでは一番手対四番手、二番手対三番手、のように登録順の和が保たれるように試合をする。次は入れ替えて、一番手対三番手、二番手対四番手をする。チームの実力が拮抗している場合、最初の二つのラウンドでは登録順の前半対後半の試合が行われるため、勝ちやすい試合と負けやすい試合がはっきりしているわけだ。

 その後は一番手対二番手、三番手対四番手になり、シングルスの最後のラウンドでは同じ登録順同士の試合をする。試合数を奇数にするために最後にもう一試合、各チーム一ペアだけを出してのダブルス戦があるが、合計で十七試合もあるのでダブルスが団体の勝敗に影響することはかなり稀だ。

 

 今回僕は四番手で登録されているため、いきなり相手チームのエースと当たることになる。これがなかなか曲者なのだ。フォア面に表ソフト、バック面に粒高のラバーを貼った完全に変則なスタイル。オックスフォード側のファースト・チームの面々も前回この選手に負けているらしい。

 何本か練習した後、試合が始まる。表ソフト・粒高というと摩擦が少ないため、回転の影響をあまり受けない。特に粒高では、こちらがかけた回転がラバー表面で滑るため、こちらが強く上回転ドライブも強烈な下回転で返ってくることになる。それを持ち上げる腕力はないので、下回転に合わせてツッツキを入れるが、回転量に押されボールが浮いてしまう。これを相手はフォアの表ソフトで弾いてくる。

 カットマンは相手に強打される時は台から二、三メートル離れてプレイすることが多いのだが、ここで粘って返して行くためには相手の回転を利用することが重要である。強い上回転がかかっているとカットマンが無理に力を入れなくてもボールは飛んでいってくれるので、あとはラケットの角度やスイングスピードの微調整をして返球をコントロールしていけばいい。しかし相手が表ソフトの時は話が変わってくる。

 表ソフトは摩擦が少ないので、浮いたボールを表ソフトで弾かれるとほとんど無回転の速球が飛んでくる。そして、無回転だと遠くから返すのが非常に難しいのである。以前左利きのドライブが取りにくいという話をしたが、台から離れていると相手の打球時点での少しの軌道予測のズレが手元で大きく響いてくる。ドライブのように前進回転がかかっていないので、普段より下に落ちてこない。回転による反発力がないので、自力でボールを向こうまで運ばないといけない。

 標準的な相手以外に勝てないんだったらカットマンをやめればいいのではないかという声が聞こえてきそうだが、本当にそう思う。ただ、カットマンが遠くからボールを全部返しているのは見てて面白いのだ。

 とは言え、表ソフトにも弱点がある。ラバーの性質上前進回転をあまりかけられない、つまり強打が弧を描いてくれないので、下回転の低くて長いボールに対しては中途半端な返球になりがちである。この合わせただけになったボールをこちらが強打すればいい。こっちが下手にドライブをして粒高で崩されるのなら、徹底的にツッツキとカットで深いところに返球して相手がボールを浮かせるのを待つ。かなりラリーの一つ一つが長い試合になった。

 一セット目は僕の粘り勝ちで、二点差でギリギリ取ることができた。インターバルにチラッと確認すると、ファースト・チームの他のメンバーは余裕そうだ。僕が前回負けた相手とラクマルが試合していて、味方側がほとんどのラリーをあっさりと制している。練習では僕はラクマルと良い勝負なのだが、これも相性だろうか。

 自分の試合が再開する。ここからはジリジリと僕のミスが増えていった。異質系と試合する時のよくある展開だ。ずっと回転を考えながら打っていて、試合が進むにつれて、頭が疲れてくる。判断ミスが増えて、自滅する。僕は麻雀も弱い。正確には、一半荘くらいはそれなりにプレイするが、三半荘目にも突入すると疲れてきて放銃マシーンへと変貌を遂げる。短い制限時間の中で頭を使うと消耗が激しい。数学オリンピックは一問に何時間もかけられるので良かったのだが。

 そのあとはキャプテンのアドバイスも空しく三ゲーム連続で取られ、負けてしまった。第一ラウンドはオックスフォード側の三勝一敗である。


 次に当たるのは前回ウォリックがオックスフォード側に来た時のエース、僕が前回あっさり負けた相手である。相手が一番手だったとは言え僕だけ負けているので取り返したいところだ。相手はかなり体格が良く、パワードライブが非常に速い。

 相手は徹底的に上横系のロングサーブを僕にカットさせて三球目を打つ作戦である。卓球のサーブは自分のコートで一回と相手のコートでもう一回バウンドさせるのがルールだが、その次のバウンドが台の外に出るとロングサーブ、出ないとショートサーブと呼んで区別する。

 次のバウンドが台から出るロングサーブに対しては、レシーブ側は基本的に強い球を打つことができる。台が邪魔にならないからだ。逆にショートサーブだと強打がしにくいのでツッツキやストップといった守備的な返球になることが多い。レベルが上がってくるとチキータといって台上でも強打をするテクニックを持っている人が増えてくるが、それでもレシーブから攻められにくいショートサーブを出すのが基本である。

 この話は、相手がドライブマン——攻撃型の選手であることを想定している。例えば相手が僕のようにバック面に粒高ラバーを貼ったカットマンであれば、バックで攻撃してくる確率は低い。僕が回り込んでフォアで強打してくる可能性もあるが、そのリスクは大きくないと考えたのだろう。

 こうなると、僕も素直にカットして対角線上での強打対カットに真っ向から応えるしかない。前回同様非常に重い球だが、最近の何回かの練習の成果か反応はできている。相手の三球目攻撃からの流れは相手に少し分があるが、僕のサーブにも相手は苦戦しており、試合としてはまさに一進一退である。

 お互いが二セットずつ取り、得点は九対九。あと二点取った方が勝つ。相手のサーブ。ここで分の悪いカット戦に持ち込みたくはないので、一点の余裕もあるので思い切って攻撃してみよう。案の定相手はまたロングサーブ。ステップを踏んで回り込み、フォアハンドを相手のバックサイド目掛けて思いっきり振る。感触はいい。

 僕が強打したボールは相手のコートで跳ね、そして——相手の咄嗟に出したバックブロックは僕のいないフォアサイドに突き刺さった。決めに行く球だったので、もう戻れる体勢ではなかった。返されたなら仕方ない。

 次の点は、相手の三球目のドライブが僕のコートのエッジに当たって終わった。フルゲームの十一対九にしては呆気ない終わり方である。リベンジならずだったが、良い試合だったことは間違いない。

 その次の試合は、疲労もあり日本人の彼に先に二ゲーム取られるも、意地で三ゲームを取り返す。最後の四番手対決に関しては完勝だった。チームとしては個人戦の十六試合中では僕の二敗とキャプテン以外が表粒の選手に負けた四敗のみ。キャプテンがカレッジで用事があるということで、ダブルスは棄権して帰ることになった。


 今回の遠征メンバーは全員が博士課程で、二番手の長身の彼は今年度で最後だということで、進路の話題になった。サトシはと聞かれ、少し言葉に詰まる。

「アカデミアに残るつもりで博士に入ったんだけど、最近はちょっと就活もしてみようと思ってて」

「どんな業界?」

「今ちょっと興味があるのは、エンタメ系のAIかな。漫画が好きで、去年結構イラストとか描いてたんだけど、数学に関係があるけどモチベーションの持てることをやりたいかもしれない」

 実は、十一月の初旬、知り合いを辿って有名なAI系の会社の人と話をする機会があった。僕はそれまでエンタメにAIを応用するという発想があまりなかったのだが、僕を証券会社のオフィスに連れていった先輩が十月頃にその会社のエンタメAIのページを送ってきて「これ見つけたんですけどサトシさん興味ありそうじゃないですか?」と教えてくれた。その会社には知り合いが何人か勤めていたので、話をさせてもらうことになったのだった。

 正直なところ話をしただけでは結局自分のモチベーションも進路としての現実味もよくわからなかったのだが、とりあえず来年の夏にインターンがあるから応募してみようかな、と考えていた。

 ——これはMidjourneyやStable Diffusion、そして「生成AI」の話題が世間に波風を立てる半年以上前のことだった。


 遠征でクタクタになって水曜日を終えたが、この週の卓球はこれで終わりではない。金曜日の夜から日曜日にかけてノッティンガムに滞在し、BUCS Individualsに参加するのだ。日本語で言うなら、全英学生選手権・個人の部である。まさか博士課程になって他の国でインカレに出られるとは思ってもみなかった。もうしばらく、学業についてはお休みさせてもらおう。

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