第27話 Let's Play Pingpong!
卓球台の並んだ体育館を横目で見ながら、更衣室へと進む。結構な人数が目に入った。二、三十人くらいだろうか。トライアルは二日間どっちかに来いとのことだったので、五十人くらいが受けるのだろうか。イギリスでは卓球はマイナースポーツだと思っていたので、少しビビる。
更衣室には一人いかにもアスリート体型の人がいて、ラケットバッグを開けようとしていた。アフリカ系だろうか。ハロー、とだけ言って着替え場所を確保する。
――あれ?
卓球シューズがない。
軽いリュックの中には、着替えとラケットしか入っていない。わざわざ夏に実家から回収してきたのに。寮に取りに戻る時間はない。
靴下で卓球させてくれるかな……と思いながら着替えて競技場へ向かうと、外と地続きであることに気づく。
そうか、この国には上履きの概念がないんだった。スニーカーは全く卓球向きではないが、靴下でやるよりはマシだろう。
トライアルの希望者はみな事前にオンラインのスプレッドシートで参加を表明しており、それに基づいてリーグ分けがなされていた。八つほどのテーブルに三、四人ずつ分かれ、僕は一番奥のテーブルで四人で二セット先取の総当りをすることになった。
最初に少しウォーミングアップをする。卓球台の数に対して人間が多い時は、二人ずつが別々の対角線で打って四人と二つのボールでアップするのが一般的だ。
アジア系が三人と、ヨーロッパ系が一人。さっと自己紹介をする。メインランド・チャイナ出身のオリバー、コリア出身のハクミン、そしてルーマニア出身のアレックス。
僕以外はみな右利きの攻撃型――両ハンドドライブ型だった。僕はカットマンという台から離れて下回転をかけてボールを返す戦型で、ラケットのバック側には粒高というレゴブロックの表面がもっと細長くなったようなラバーを貼っている。カットマンは和製英語で、英語ではチョッパー(chopper)という。ちなみに粒高ラバーのことはピンプルズ(pimples)とよぶ。
まずはハクミンとの試合だ。まず最初に面食らったのだが、こっちでは試合の最初にジャンケンをしないらしい。
日本で卓球をする時は、どちらがサーブをするかをジャンケンで決める。正確には、ジャンケンに勝った方が、サーブ、レシーブ、エンドのうちから一つを選ぶことができる。エンドというのはコートのどちら側でプレイするかのことで、照明やスペースなどの影響を気にしてエンドを選ぶ人も時々いるが、大抵の場合はジャンケンに勝った方がサーブを選ぶ。負けた側は、サーブ・レシーブとエンドのうち、相手が選ばなかった方を選ぶことができる。試合の正式度が高まると、ジャンケンの勝敗に相当するものを審判によるコイントスで決めるが、今回は審判はいない。ではジャンケンでもコイントスでもなく、どうするのか。
ウォーミングアップのあと、そろそろ始めようと言って、ハクミンはおもむろにボールを台の下に隠した。そして、ちょうど拳が台に隠れるように、両手を左右に広げた。
え、何?
僕もしかしたらイギリスで卓球をどう始めるか知らないかも、と伝えると、向こうはポカンとした顔をしてから口を開く。
「選ぶんだよ。右か左か」
なるほど、囲碁みたいなものか。囲碁は、片方が適当に握った石の山の個数がもう片方が偶数か奇数かを当てる。当たれば先攻、外せば後攻。今やっているのは、ボールをどちらかの手に隠して「どーっちだ」をする。これがジャンケンの代わりになるわけだ。
僕はラケットを持っていない左手で、右側――ハクミンの左手――を指す。すると彼は左手を開き、そこに入っていたボールを投げてくる。当たり。僕のサーブ。
試合が始まってしまえば、そこにあるのはよく見知ったスポーツだった。僕のサーブはハクミンに効いている。久しぶりすぎて僕のドライブは全然入らないが、サーブとカットで組み立てて二対〇で勝った。
相手は僕のカットを打つのが得意ではなさそうだった。国によってカットマンが少なかったりするかもしれない。
次にオリバーとアレックスの試合を眺める。結構激しい打ち合いをしている。オリバーはフォアハンド強打をぶん回すタイプで、アレックスは回転のかかっていそうなバックハンドドライブが特徴的だった。接戦ながらオリバーが勝ったようだ。
残りの試合は難しい戦いになるかもしれない。
二試合目の相手はアレックスだ。身長は僕より少し高いくらいだが、かなりガタイがいい。一つ前の試合でオリバーが勝ったんだから、チームに入るためにはここは負けるわけにはいかないだろう。
一セット目。ハクミン戦ほどサーブが効かない。あまり差がつかず、終盤までもつれながらも、なんとか取った。相手は僕のカットに苦戦している。
次のセット。今回もシーソーゲームだったが、相手がカットに慣れてきて、ラリーが何回も続くようになってきた。浮いたボールをバックハンドで打ち抜かれる。やばい。少しの差が埋まらず、取られる。
最終セット。今まで出していなかったサーブを出すとそれが効き、先行する。卓球は各セットは十一点先取で、三セット先取や五セット先取で最終セットまでもつれた場合は、どちらかが五点取った段階でエンドを入れ替える。僕のリードでチェンジエンド。ここから二本連続でバックカットがオーバー。アレックスのバックドライブの回転が抑えられない。
やばい。逆転された。左手の握力が弱まったような感覚になる。緊張している。
前後に振られて、息が上がる。明らかに運動不足だ。そのまま追いつけず、セットカウント一対二で負けてしまった。
——やばい、チームに入れないのか?
次の試合、またオリバーが勝ったようだった。彼のフォアドライブは速い。その次はハクミン対アレックス。
オリバーがパソコンの前に座っているキャプテンに勝敗を報告しに行く。するとキャプテンが「テイラー、打ってみろ」と言い、既に空いた隣の台でテイラーと呼ばれた選手と打ち始めた。二勝してチーム入りがほぼ確定と見込まれ、腕試しということなのだろうか。もしかして僕は最後まで打たせてもらえないのか?
我々の台での試合はアレックスが勝ったようで、次は僕の試合のはずだ。キャプテンに恐る恐る話しかける。キャプテンもアジア系だろうか。
「僕まだあそこで打ってるオリバーと試合残ってるんですけど、いいですか?」
「ああ、まだ終わってなかったのか」
そしてキャプテンは声を張る。
「テイラー!もう一試合あるらしい!」
よかった。まだもう一試合できる。とはいえ相手は全勝だ。
オリバーは僕より少し背が低く、シュッとした顔立ちだ。かなり若く見え、日本の高校生だと言われてもあまり違和感がない。髪は長めの直毛で、彼が全身で打つフォアハンドドライブに合わせて後ろ髪がピョンと跳ねる。
オリバー戦は僕のサーブから始まった。横上回転のロングサーブを出し、相手のレシーブは大きくオーバーする。アレックス戦よりもサーブは効くかもしれない。
ラリーになるとフルスイングでフォアハンドを打ってくる。抜かれることもあるが、僕もカットで粘る。カットの感覚を思い出してきていた。
人体の構造上、右利きのプレイヤーのフォアドライブには少し横回転がかかっていることが多い。野球でいう右投げのカーブやスライダーの向きに若干曲がる。僕はカットをする時、この回転に慣れている。なぜなら、カットの練習ではほとんどの場合において右利きのフォアドライブを相手にするからだ。
普通の人は、バックハンドでカットを打とうとしてこない。体を使って持ち上げられるフォアに比べて、バックは肘から先の役目が大きく、安定しないからだ。下回転がかかっていてボールがゆっくり返ってくるカットという球種に対しては、自分のバック側に来たとしても回り込んでフォアで打つ余裕がある。
しかし、第二試合で戦ったアレックスはこれをバックでそのまま打ってきた。バックドライブは、フォアと逆向きの横回転がかかっていることが多い。これを僕のバック側に打たれると、ボールは僕の体から逃げていく方向に曲がる。フォアの軌道に慣れている僕はあっと言って肘を伸ばし、当てるだけになる。そうして浮いた球を打ち抜かれる。
微妙に違う横回転は、台から大きく離れて待っているカットマンにとっては大きな違いになる。アレックス戦はバックドライブによるカット打ちに苦戦したのだった。
オリバーはドライブが鋭く、カーブが少し強めにかかっているが、これはカットの基礎打ちで何万回と受けた軌道だ。体が覚えている。相手が全力でかけてきた強い上回転のボールを、バックハンドの粒高によってより強い下回転にして返す。そうすると相手の次のドライブはネットを超えない。
少し競る場面もあったが、最終的には二対〇で勝利した。
ちょっとした回転で感覚が狂う卓球は、繊細な相性ゲーの側面を持っている。たとえば、レアな左利きはそれだけで強い。日本男子のレジェンド水谷隼は、卓球で勝つために生まれながらの右利きを左利きに矯正した。
アレックス、オリバー、そして僕は皆二勝一敗の三つ巴になり、トライアルは終わった。この結果ならチームに入れるだろうか。
月曜日、メールが届く。
—— Congratulations! You have qualified for our main table tennis squad!
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