第10話 Household in the shell

 僕がようやく寮に定住を始めたその夕方、お隣さんが大荷物を転がしてやってきた——五番目の部屋の住人だ。茶色のロングヘアーにハッキリとした目鼻立ちの女性だった。

「ハロー、ベラよ。あなたは?」

「ハロー、日本出身のサトシです。初めまして、どこ出身?」

「ギリシャ出身よ。よろしく!」

 水回りは全てシェアなので男女は分けているのだろうとてっきり思っていた。こっちではあまりそういうことは気にしないのだろうか。


 お互いが部屋に入ってしばらくすると、ベラが部屋をノックしてくる。

「私のプラグ、刺さらないんだけど」

 欧州式のプラグを手に持っている。英国式のプラグはピンが三つ、欧州式は基本的に二つだ。英国式のコンセントの下にある二つの穴に欧州式プラグをそのまま突き刺そうとしても、基本的には入らないことが多い。上の穴がスイッチ代わりになっていて、ここに何かが刺さっていないと下の二穴が開かないのだ。そして、上の穴に刺すものはプラグと独立した棒であっても機能する。僕はこのことを渡航する前に人から聞いて知っていた。

「これを上に刺せばいいと思うよ」

 日本から持ってきていた割り箸を二つにし、片方を差し出す。彼女は部屋に戻るも、すぐに出てくる。

「分からないからやってほしい」

「え、入って大丈夫……?」

「もちろん、お願い」

 おっと、ジャパニーズ・リケイダンシの習性が出てしまった。

 留学に来るのにコンセントの形状が違うとかは想定してなかったのか?と思いつつ、割り箸と同時にプラグを指す。結構固いな。まあなんとかなった。

「このチョップスティックはあげるけど、アダプターを手に入れたほうがいいよ、危ないかもしれないし」

 ——結局、割り箸の片割れは数週間後に返却された。コンセントに突っ込んだ割り箸の片割れが返ってきても、苦笑いするしかなかったが。


 ベラは英文学専攻の博士課程で、僕の二つ上だった。寮の同じフロアに入居してくるのは全員が新入生だ。彼女はいわゆるのようなタイプで、友達も多い。街中で遭遇するときの彼女の「ヘイ、サトシー!」は、「ト」にアクセント記号が三つくらいついている。


 次に来たのは二番目の部屋の住人、トーマスだ。トーマスはイギリス出身で、大人しいタイプだ。暗めの茶髪は全体的に短いが、パーマがかかった前髪は少し崩れたリーゼントのようになっている。背は僕とベラの間くらいだ。170前半くらいだろう。

 彼の専攻はCSつまりコンピュータ・サイエンスで、心臓のモデリングとその医療応用が研究テーマになりそうだという。CSと聞いてから内容を聞くとCSにしては結構寄りなんだなと思った。

 CSというと東大では、院こそ情報理工だが学部は理学部で、非常に理論に傾倒しているイメージがある。僕は同じ理学部である東大数学科の「応用は自分たちのやるところではない」という雰囲気を勝手に感じていて、それに対する苦手意識もあって工学部に進んだのだが、体に染みついたことばのは消そうとしてもなかなか消えない。


 彼は僕の二つ下で、このときまだ二十二歳だった。イギリス出身である。イギリスで生まれ育って学部三年・修士一年をストレートで終えると、彼のように二十二で博士を始めることになるわけだ。修士はロンドンのインペリアル・カレッジで物理学を専攻していたという。

 トーマスはこれから隣室のゲーマー青年の深夜ボイスチャットに安眠を妨げられることになる。


 最後に来たのは三部屋目のジェイクだ。僕の隣部屋になる。六部屋目の学生は結局来ることはなかった。カレッジに聞くと入居予定だった人は自国からリモートでやることになったらしく、共有部屋として使えることになった。

「やあ、ジェイクだ。よろしく」

「ジェイク……であってる?ジェイ・エー・ケー・イー?」

「うん、ケイク(cake)みたいでちょっと面白いよね」

 ジェイクはイギリス出身の修士の学生なのだが、年は僕より一回り上で、最初にそう言われたときは驚いた。トーマスと同じくらいの背格好だがとても顔が小さく、パーマのかかった黒髪を上げていて、俳優のような感じだ。

 オックスフォードの大学院はただでさえ色々な国の教育を経て入る人が多い上に、一度働いてから来る人や会社派遣の人も多く、もう年齢はてんでバラバラである。スポーツをしていても同じチームに年齢が倍違う二人がいたりもして、いい意味で誰が歳上だとかを気にしなくなったと思う。日本と違って初対面からタメ口に近いというのもあると思うが。


 ジェイクはチベットの文化に興味があって大学院に進学しており、そもそも僕が日本人ということで割と最初から僕のことをいた。東洋から来た数学の得意な青年、というところは彼の中で一種のステレオタイプだったのだろうか。

 西洋人が東洋文化を研究するということのセンシティブさにも自覚的で、調査や提言がにならないようにだとか、そういうのが難しいんだという話もしていた。ただし、気は遣いつつも、彼はアジアのステレオタイプを検証することに興味津々だった。もちろん、我々の友情の範囲内でだが。


 僕はいわゆるポリコレというものについて、自分がこの国の物差しでの失言をしてしまわないかと結構ビビっていたが、むしろこの国ではそういうのはあまり気にされていないという印象だった。むしろアメリカはやりすぎだ、というような。

 この辺りの婉曲や歯切れの悪さは読者にも伝わっているかもしれないが、僕は割と気にしている人だと思う。そういう自分からすれば、むしろ何人かのイギリス人オックスフォード生たちのに驚くことがある。

 イギリス人は、より正確にいえば僕がオックスフォードで出会った何人かのイギリス人は、方言、訛りというものが大好きである。彼らは出会うとすぐにお互いの発音の微妙な違いから出身がロンドンの北か南かなどということを延々と喋り始める。その横で僕のようなノンネイティブはつまらない顔をするしかない。彼らの談義は海外にも目を向ける。ドイツ人の英語というのはこうだと真似し始める。あまりにも誇張が入った物真似に、僕は嫌悪感を覚えずにはいられない。せめてネイティブしかいないところでやればいいんじゃないか?な大学である。

 こういうことが時々ある。でもこういうのは連続的だから、人によって基準が違うのは仕方がないことだ。僕も米国留学生に叱られたことがある。

 

 僕たちの年は入学式が対面では行われなかった。オックスフォードの入学式はマトリキュレーションといって一大イベントなのだが、オンライン配信があっただけだった。代わりにカレッジで記念撮影をするというので、ごとに来ていいよとのことだった。寮の各フロアに共同生活している人たち——我々の場合は五人——を世帯といい、感染対策で世帯外の人をフロア内に連れ込んではいけない……ことになっている。この後の感染拡大によって施行されるロックダウンの下においては、世帯内以外の人とは外で会うことすら許されなくなる。

 記念撮影については、ゲーマーの彼は誘ったが参加せず、四人で行こうということになった。その前に、オックスフォードの正装を手に入れないといけない。


 オックスフォードの式典や試験などでは、学生はサブ・ファスクと呼ばれる正装を着ることが義務付けられている。サブ・ファスクが何かは大学の資料内できちんと定義されているのだが、基本的にはスーツに加えて学位ごとに異なるアカデミックガウンと角帽を着用することになる。

 ジェイク、トーマスと共に大学と連携している洋服屋に来ると、新入生向けにガウン・角帽・蝶ネクタイをセットで売っているという。サブ・ファスクの蝶ネクタイは黒でも白でもよく、この店でもどちらも選べるという。

 もしこれを読んでいる新入生がいたら、黒にしておいた方がいい。black-tieをドレスコードにされることはよくあり、別に白の蝶ネクタイで参加しても何も言われないものの、毎回少しビクビクしながら会場に入ることになる。

 店員からの説明を受けた後に「蝶ネクタイ、どっちにしようかな」と言うと、二人とも黒にするという。それなら逆に白にしようかな。

「白にするよ。日本人だし」

「日本?どういうこと?」

「赤い丸も描き込んじゃおうかな」

 ややウケだった。

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