四人掛け
あべせい
四人掛け
飲食店で。
女性店員が中年の女性客に、
「申し訳ありませんが、こちらは4人掛けのテープル席ですので、カウンター席にお移りいただけませんか?」
女性客は俯き加減でスマホを操作している。
「お客さん。いまから、混み合いますので、お願いします。もし、もしッ!」
「あらッ。わたし、何かいけないことをしたかしら?」
「そうじゃありませんが、カウンター席にお移りいただきたくて……」
「いいじゃないの。空いているンだから。ほら、お客さんよ」
横位米人、里の中年夫婦が入ってくる。
「いらっしゃいませ」
女性店員、横位夫婦のほうに行く。
「すいません。生憎、テーブル席がふさがっておりまして。カウンターでも、よろしいでしょうか?」
米人、テーブル席を見て、
「そこ、あいているじゃないのか」
「ご相席になりますが……」
「いいよな」
里は頷いて、
「ええ」
「お待ちください」
店員、テーブルの女性客へ。
「恐れ入りますが、ご相席、お願いできますか?」
「! できません」
女性客、下を向いてスマホを操作しながら答える。
すると米人、
「座ろう。店員さんが相席と言っているンだ。この店内の管理権は、この店の人間にある。お客がなんと言おうとな」
横位夫婦、女性客の向かいに腰をおろす。
米人が女性客の真向かいだ。
女性客、スマホを操作しながら、一瞬、横位夫婦を見た。
里、女性客を見て、
「あら、彩さんじゃないですか。こんにちは。あなた、お隣の彩さん」
米人、「あァ」と言ったきり、無関心のようす。
彩はスマホをいじりながら、「こんにちは」と、相手の顔も見ずに返す。
気まずい空気が流れる。
やがて彩の前に、天丼が置かれる。
天丼の天ぷらがどんぶりからはみ出ている。
彩、それを見て、
「これ、なに!」
行きかけた店員が振り返る。
「ご注文の天丼ですが……」
「大盛りなンか、注文してないわ」
「大盛りではありません。ふつう盛りです」
「あら、そッ」
彩、すました顔で、スマホをいじりながら食べ始める。
里、クスッと笑い、肘で米人をつつく。
「なんだ。いま考え事をしているンだ」
10数分後、米人の前にカツ丼、里の前に親子丼が置かれる。
2人、20分ほどで平らげると、顔を見合わせる。
彩は同じ調子で食べ続けている。丼はやっと半分減った感じ。
「あなた、言いなさいよ。いい機会なンだから……」
「だが……」
「滅多にないわ。こんなチャンス」
「そうだが……」
「『チャイムを押しても、いつも居留守を使っている』って言っているのは、だれよ」
「ウム……」
「間際になったら、もっと厄介よ」
「しかし、まだ2週間も先だ」
「善は急げよ」
「善か……」
「わたしが話すわ。いい?」
「わかった。(居ずまいを正して、彩に)奥さん……」
彩は相変わらず、スマホに夢中。
「奥さん、奥さんッ」
米人、やむなく、スマホの画面を一瞬、手の平で切る。
「ナニ、なにすンの!」
彩、顔を上げ、邪魔をした相手をにらみつけるが、米人とわかり、まぶしそうに見る。
「あら、ご主人……」
「奥さん、すみません。少し、お話が……」
「なんでしょうか。どうぞ」
「実は、再来週の月曜日から、家の工事を始めます」
「そういうお話……」
「屋根と外壁が古くなりましたので、防水塗装をしようと思いまして……」
「お宅とうちは同じ建売住宅。もう、あれから10年になるのかしら」
「いいえ、18年です」
「うちの主人が亡くなってからです」
「失礼しました。あの事故はお気の毒でした」
「事故?……それで、工事はどれくらい、かかるンですか?」
「業者は1週間ほどと言っています」
「1週間も!」
「いまは雨の季節ですから、少し延びるかも知れません。屋根は予定通りにいかないことが多いそうです」
「そうでしょうけれど、その間、騒音やほこりがすごいンでしょう。困ったわ」
「業者は防護用のネットを張り巡らすので、ペンキが飛び散ったり、大きな音が漏れるようなことはないと言っています……」
「業者はそういうでしょうね。自分たちに都合の悪いことを言うわけがない」
里が肘で夫をつつく。
「あなた」
「わかってる。奥さん、そういうことですので、よろしくお願いします。(里に)じゃ、行くか」
彩、スマホをバッグに入れる。
「待ってください。それでお話は終わりですか?」
「エッ」
里、訝る夫を仰ぎ見てから、彩に、
「何か、ありますでしょうか?」
「わたし、この10年、女ひとりで生きてきました。いまご主人のお話を黙ってお聞きしたのは、いつの日か男の方のお力をお借りすることがあると思ったからです。でも、いまのお話を聞いて、あきらめました。所詮、私の夫じゃない。お隣のご主人だもの……」
里が、話の腰を折るように、
「奥さん、何をおっしゃりたいの」
「いまから、3年前よ。お宅との境界の通路に植えた枇杷の木が、思いがけず大きくなったから、切ってしまおうと思いました。で、ご主人にお願いしました。『急ぎません。空いた日でけっこうです。うちの枇杷の木を切っていただけませんか』って」
「はい……」
米人にいやな思い出がよみがえる。
「すると奥さまが、『申し訳ございません。主人は、昨晩腰を痛めまして。ぎっくり腰というので、しばらく病院に通いますから』と言って、お断りになった」
「それは、事実ですから。ねェ、あなた」
「あァ……」
「それで枇杷の木はいまも元気に成長を続け、境を越えてお宅の敷地まで大きく枝を伸ばしています」
「毎年、家のあちこちに枇杷の大きな葉が落ちて、困っています。ねェ、あなた……」
「あァ……」
「葉と一緒に、枇杷の実も、塀を越してお宅の植え込みの中で大きくなりますが、いつの間にか、その実だけはすっかり無くなっています。うちの枇杷の実は、とりわけおいしいンです」
「それは、枇杷の実が腐って、臭って大変だから、片付けるンです。ねェ、あなた……」
「あァ……」
「5年前の冬、歩道橋の階段を踏み外して足を骨折したとき、私は松葉杖をついてお宅に伺い、ご主人にお願いしました。『恐れ入りますが、石油ストーブに灯油を入れていただけませんでしょうか。しばらくの間でけっこうですから』。すると、奥さまが代わりに出て来られて、『それはたいへんでしょう。ちょうどあいている電気ストーブがございます。それをお貸しします』と。しかし、わたしは石油ストーブでないと体が温まらないンです。そうお答えすると、奥さまは『足がお悪いンですから、石油より電気が安全ですよ。少しはご辛抱なさらないといけません』とおっしゃって。私は、結局その冬は、電気炬燵だけで、とても寒い冬を過ごしました」
「火事にならなくて、本当によかったわ」
里はそう言い、自分の判断が正しかったと改めて考える。
「9年前です……」
「まだ……」
「9年前、主人が亡くなってまだ半年足らずのある日、ご主人がお見えになりました」
「あなた、行ったの!」
「!? い、いや、記憶にない」
「わたしは和室で主人の位牌を背にして、ご主人をお迎えしました。ご主人は『何か、お困りごとがありましたら、いつでもおっしゃってください』と、それはご親切にお話くださって……」
「あなた。いったいどういうつもり。私に恥をかかせたいの!」
「そうじゃない。何かの間違い、誤解だ」
「わたし、そのとき、非常に寂しい思いをしていました。主人が町内会の清掃に参加したばかりに、暴走してきた車に跳ねられて亡くなるなンて、だれが想像しますか。それで、わたし、事故当時のことを、ご主人にお聞きしたのです。ご主人は奥さまとご一緒に町内清掃に参加しておられました。私は風邪気味だったので、家で休んでいました。事故を目撃された方は幸いたくさんおられます。しかし、肝心の、主人が車とぶつかる直前、何をしていたのか、見ていた方はおられません。多くの方が、主人は暴走車の前に身を投げるようにして飛び出し、跳ねられたとおっしゃいました。それで、ご主人がお見えになったときいい機会だと思い、主人の最も近くおられたご主人に、お尋ねしたのです」
「うちの人は、どう答えたのですか?」
「おれには覚えがないンだ」
「ご主人はこうおっしゃいました。『いまだから、お話しますが、あなたのご主人は、私の家内をかばって、車の前に飛び出されたのです』と」
「あなたッ! わたし、知らないわ。そんなこと、ありえない。あのとき、わたし、あなたと彩さんのご主人の間にいて、道路のゴミを拾い集めていた。突然暴走車の大きなエンジン音が響いて、ハッと振り返ったまでは覚えているけれど、気がついたときは、あなたに抱きかかえられて、道路脇に倒れていた。それだけ。道路の中央では、彩さんのご主人が道路にうずくまって、頭から血を流していて、周りは大騒ぎになった」
「私は、そんなことを言った覚えはない。彩さんは、何か勘違いしている」
「わたし、ご主人の告白を聞いて、思い当たることがありました。主人は里さんに対して、密に熱い思いを抱いていました。恋愛感情というより、憧れです。残念なことに、咄嗟のときに、その思いが行動に出たのです」
里、戸惑いながら、
「そんなことをおっしゃられても。ご主人に、命の恩人だから感謝しろとでも……」
「わたしはご主人の告白を聞いて、ご主人の真意を考えました。わたしに、主人のことを早く忘れさせようとされているのか。ご主人と里さんの間がうまくいっていないことを伝えようとされているのか」
里、キッとなり、
「あなた! わたしたち、うまくいっているわよね!」
「あァ……」
「わたしは、とりあえず、『これから先、おすがりすることがあると思います。どうぞ、その節はよろしくお願いします』と言って、その場はお引き取りいただきました」
「何もなかったのね……あなた、本当ね」
「当たり前だろう。相手は、隣の未亡人だ。バカなまねをするわけがないだろうが」
「それなのに、7年前の枇杷の木のときも、3年前の灯油のときも、ご主人は里さんのいいなり。わたしに力を貸そうとはされなかった。どうして? 2、3年で気持ちが変わられた。ご主人は飽き性なンでしょうね。仕方ないわ」
「いいえ、主人は目が覚めたのです。わたしという出来た妻がいることに、気がついたのです」
「わたしは、ご近所で『意地の悪い女』と後ろ指を指されています。でも、昔からこんなだったンじゃありません。主人が生きている頃は、ふつうにご近所づきあいをしていました。ご挨拶もしていました。それが、主人が亡くなってから、少しづつ変わっていまのような女になったのです。こんな女に変えたのは、ご主人、いいえ、米人さん、あなたの力が最も大きいと考えています」
「彩さん、何を言い出すンだ」
「米人さん、あなた、9年前だけじゃないでしょう!」
米人、青ざめる。
「彩さん、どうしたンです! 目が、目がふつうじゃない」
「奥さん、主人が何をしたンですか。すべておっしゃってください」
「9年前、突然訪ねて来られた後、1ヵ月ほどたったある夜、池袋で声をかけられました。米人さんとそんな繁華街で顔を合わせるなんて思ってもいませんでしたから、驚きました。でも、米人さんは何でもないことのような顔をされ、『いま忘年会の帰りなンです。よろしかったら、少しつきあっていただけませんか?』って……」
「あなた! いったい、何を考えているの!」
「知らない。忘れた」
「そのとき、わたしは、おともだちと別れた後で、家に帰るだけでした。米人さんには、主人の位牌を背にお願いしたばかりでしたから、お断りする理由もなく、承知しました」
「あなた、どこに行ったの!」
「忘れた、知らない」
「高層ホテルの最上階にあったナイトラウンジです。薄暗いテーブルライトしかなくて、おしゃれな雰囲気だったのを覚えています。甘い静かな音楽が流れていて、米人さんが『踊りませんか』って……」
「それ、わたしのときと同じゃない!」
「わたし、社交ダンスは学生の頃、少しかじった程度で、ひとさまと踊ることはできません。まして、殿方とは。米人さんにそうお話したのですが、『平気です。私がリードしますから。なんでもない……』って。わたし、その前に口にしたワインが効いてきたのか、少し気持ちが大胆になっていて。誘われるまま、ホールに出ました」
「彩さん、やめなさい」
「手を握られ、米人さんの左手が私の腰に。わたし、主人ともダンスはしたことがなかったのに。なんだか、浮気をしているような妙な気分になって……」
「彩さん、やめてくれ!」
里、米人を侮蔑のまなざしで見つめる。
「彩さん、それから、どうなさったンですか?」
「踊りながら、米人さんは私の耳元で、『このホテルに部屋をとっています。乱れても、平気です……』とささやかれて。わたし、おかしくなりそうでした」
「結婚する前、このひととデートしたときとそっくり。酔ったふりして、トイレに行くといって。こっそりホテルに部屋を予約していたの。同じシナリオを使っているわ」
「彩さん、後生だ。やめてくれ」
「でも、わたし、米人さんの足を思いっきり踏んだのがきっかけで、目が覚めました。このひとには、奥さんがいる。それも、飛びっきり怖い奥さんが」
「怖い、ですって! 失礼な」
「それで、『私、間違っていました。失礼します』と言って、その場から逃げ帰ったのです」
里、何かが落ちたようすで、
「そう、何もなかったの、彩さんの場合は……。わたしもこのひとの足を強く踏めばよかったのかしら。そうすれば、いまのようなつまらない人生を送ることもなかったかも……」
米人、唇をふるわせ、
「おれがそんなバカなことをするわけがないだろうッ!」
「彩さん、それだけじゃないンでしょ。この際だから、すっきりさせて……」
彩、里を見つめる。
「それから、1ヵ月後、こんどは、お手紙をいただきました」
「エッ!」
里、二の句が継げず。
米人、天井を見上げている。
「そんなことは……忘れた。昔のことだ。あァ、なんて日だ!」
「彩さん、その手紙には、何て書いたあったンです」
「シャル・ウイ・ダンスはとても残念な結果になりましたが、こんどは健康的に、明るい太陽の下で、ご一緒したいと考えています。つきましては、来月10日の祝日、伊豆下田のステキな旅館に予約を入れておきました。ご承知いただけるものと信じておりますが、よんどころない事情でご承諾いただけないこともあるかと思います。その場合は、この手紙をお受け取りになった日から3日間、他の洗濯物から少し離れた位置に、白いハンカチを干したままにしておいてくださいますよう、お願いします」
「覚えている。雨が降っているのに、お隣さん、ハンカチだけ取りこまないから、おかしいと思ったことがあった。あれは、彩さんが、このバカに送った断りの通信だったの!」
「亭主に向かって、バカとは何だ」
「バカがいやなら、ウスノロか!」
「ウッ、ウウウウ、ムッ……」
「彩さん、でも、どうして、そんなに正確に覚えているの。9年も前の手紙なのに……」
「そうだ、そんなのはでたらめだ。デッチあげだ!」
「いつも、(脇にあるバックに触れ)持っていますから」
「いまも!」
「お読みになりますか?」
「もちろんです。本当にクソ亭主の字か、確かめる必要があります」
米人、必死で、
「手紙は偽物だ。偽物だから、確かめる必要なンか、ナイ!」
里、怒りの形相すさまじく、
「黙って! このうすらトンカチ!」
「はい……」
彩、バッグの中から、古びた封筒を取りだす。
「どうぞ、9年もたっていますから、だいぶ傷んでいますが……」
里、封筒を見て、
「これ、切手がないけれど。剥がれたンですか?」
「いいえ、最初から、その状態でした」
「このうすらトンカチが自分で、彩さんちの郵便受けに入れた、って。恥ずかしい! もう、決めたわ」
里、怒りに震えながら、手紙を取り出して開く。
「そうよ。このヘタな字。ミミズがのたくっているような、この字は」
米人、虚脱状態。
「里、許してくれ。おれが、どうかしていた」
里、無視して、
「彩さん、この手紙のあと、何かなかったの? あったでしょ。このテの男は、しつこいンだから」
「わたし、4人掛けのテーブルを1人で占領しても平気な女です。だいぶ前から、店員さんがこちらをにらんでいます。『食べ終わったのだから、早く帰ってくれ』って顔で。当然ですよね。でも、そんな目で見られても平気になりました。女としての自信も恥じらいもなくなりました。7年前、灯油で断られたとき、もし、米人さんがまだ私に関心がおありでしたら、きっとこっそりあとから、私の家を訪ね、灯油を入れてくださったのだと思います。でも、何もなかった。私は年齢を重ねたことを悔みます。もし、9年前、誘いに応じていれば、米人さんとの関係も変わっていたでしょう。でも、それはないものねだり。いまは、私よりもっともっと、若くて、すてきな方をお誘いしておられるのだろうと思っています」
米人、眉間にシワを作っている。
「彩さん、妙ないいがかりはよしてください。何の根拠もなしに」
里、怪しい笑みを浮かべる。
「彩さん、いま、このひとがあなたをお誘いしたら、承知するということですか?」
「どうでしょう。わたし、米人さんからお手紙をいただいたとき、ハンカチでご返事するとともに、お手紙を差し上げました」
「彩さんから手紙?」
「もちろん、米人さんの職場宛てにです」
「そうよね。うちなら、怪しい手紙はわたしが開封するから。どんな内容だったンですか」
「夫が亡くなったのは、里さんがいたからです。もし、里さんがいなくなったら、改めて考えさせていただきます、と」
「わたしがいなくなれば、いい、って、ですか。ご主人が亡くなったことに対する、復讐ですか」
「そう受け取っていただいて、けっこうです。米人さんが、もしわたしへの愛情がまだおありでしたら、着々とその準備をなさっていると思いますが」
里、カッとなって、
「あなた。なんとか、言いなさいよ。それとも、あなたは私を殺そうとしているの!」
米人、自暴自棄になったように、
「いや、当分無理だ。キミは、なかなか隙を見せないから」
(了)
四人掛け あべせい @abesei
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