三度泣き

おんせん

第1話 人事発令

「八月一日付で大分営業所勤務を命ず」

 殺風景な会議室でそう告げられて、恭介は人事担当部長の中岡から辞令書を受け取った。恭介の会社では毎年一月と八月の二回、人事異動が発表されるのが通例となっている。特に子どものいる社員は、転勤に伴う転校に配慮して八月に異動するケースが多い。とはいえ恭介の二人の子ども、長女は大学生、長男は高校生になっているので転校を気にする年頃でもない。そんなことではなく、やはり今回の異動は納得できなかった。

「理由を教えてください。前回の異動からまだ一年しか経っていません」

「地方とはいえ営業所では部長待遇、所長に次ぐナンバー2のポストへの異動だ。しばらく頑張ってきてくれ」

 中岡は恭介の質問が聞こえなかったのか、淡々と言い含めるように答えた。これまで九州での勤務すらなかった恭介にとって縁もゆかりもない場所である。ほとんど島流しではないか。あのことが原因であることは間違いない。

「何度もお話ししたはずです。彼女も何もなかったって言っているじゃないですか」

「それはそうなんだがね。火のない所に煙は立たぬというじゃないか。これでもポストは最大限配慮したつもりだ。社長はすぐにでも異動させろと言ったんだがね。それだと目立ちすぎるので定期異動に合わせたんだ。小さな子どももいないし、家のほうも大丈夫だろ」

 それまでにも何度か訴えてきたので、恭介はもう反論する気も失せていた。

「単身赴任は仕方ないのですが、どれくらいで帰してもらえるのでしょうか」

「今回ばかりは何とも言えない。社長がこういうことには敏感でね。社長の目の黒いうちは難しいかもしれないな」

 すでに受け取った辞令が覆ることがないことは、長年サラリーマンをやってきた恭介にはもちろん分かっていたが、なぜ自分がという悲しみとも怒りとも言えない感情が入り混じったまま、しばらく立ち尽くしていた。


 恭介が勤めるのは通信機器メーカーの最大手、一部上場企業である。かつて電電公社への交換機納入メーカーの1社として成長したことから、電電ファミリーとも呼ばれていた。電電公社はNTTとなり、その後東西地域会社、長距離・国際会社、携帯電話会社と分社化されるともに、時代も電話からインターネット、モバイル通信へ急速に変化したことから、NTT各社の通信設備もかつてのように国内企業独占ではなく、安価で信頼性の高い海外製品が主流となっていた。現在でもNTTグループ各社は主要な取引先ではあるが、いまは自社機器を使った社内ネットワークやインタネット環境の構築、その際のセキュリティ対策までを一貫して提案できることを強みとした法人向け事業に転換していて、NTTグループ各社からの売り上げと肩を並べるほどになっていた。

 電電ファミリー企業の名残りからか、NTT東西地域会社の支店がある都市には恭介の会社も営業所が置かれていた。東京には東日本本社、大阪には西日本本社があり、NTT東西地域会社の営業エリアに合わせて、それぞれ東日本エリア、西日本エリアを統括していた。今では新卒採用も東日本本社、西日本本社それぞれで行うなど、社員人事も東西に分かれて行われていた。

 恭介が入社して数年後には東西本社体制となったため、兵庫県の山間の小さな町で生まれ育ち、関西の大学を出て採用された恭介も西日本本社で人事が行われ、これまで関西エリアでの勤務が基本だった。ただ、一部の幹部候補とされる社員は、二十代後半から三十代前半のビジネスマンとして最も伸び盛りの頃に東日本本社へ数年間配属されていた。地方創生と政治家が声高に叫んでも、結局この国の政治・経済・文化あらゆるものの中心は東京である。若手のうちに東京でビジネスの経験を積み、人脈を形成し、英知を蓄えそれを全社に展開してほしいという社の方針だった。そのため東日本本社へ配属された後は、よほどの大きな失敗がないない限りは次の異動で課長職に登用されている。恭介はそれほど出世意欲があるわけではなかったが、その適齢期になってもそのご指名がなかったためほとんど諦めていたが、三十代半ばの忘れかけたころに東日本本社への異動を命じられた。それまで関西から離れたことのなかった恭介にとって、東京での生活はそれまでになく刺激的であり、仕事の面でも大きく成長できた実感があった。その後無事課長職に昇進し、関西のいくつかの営業所を経て今の関西営業所勤務となっていた。

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