トランペット
塩海苔めい
トランペット
トランペットが好きだった。
その堂々とした音色で演奏を勇ましく彩る姿は私には到底できないようなもので、美しいと感じていた。
でも、いつからか、その音に魅力を感じることができなくなっていた。
…原因はきっとあの子だ。あの子が入ってきてしまったからだ。
「先輩の音、きったなっ」
今でもあの子の声が私にささやく。
あの子はまだトランペットを触ったこともなかったのに、お手本を見せていた私にそう呟いたのだ。
当時は何様だと思った。
しかしその後、彼女はめきめきと実力を伸ばし、先輩や先生を感嘆させた。
そして、私のやるはずだったリーダーの担当は彼女のものになった。
私がショックで高熱を出して大会を休んだ次の日には、彼女を中心にした集合写真と、金賞と書かれた賞状が部室に飾られていた。
今時おさげに眼鏡、高校生なのに化粧もしない。いつも無愛想なあの子の出す音色は、いつも私以上に堂々としていて、澄んでいて、とても綺麗だ。
その度、思い通りに吹けなくなる自分のトランペットに嫌気がさす。
私の方が、可愛いし、友達も恋人もいるのに、何で?
この合宿中、ずっとそれを考えている。
昨夜もそれを一人もんもんと悩んでいたら、珍しく朝早くに目覚めてしまった。
ふと、あの子を実力で上回れば、こんな気持ちにならずに済むんじゃないかと思った。
思い立ったが吉日、私は静かに制服に着替え、トランペットを入れたケースを持って旅館を出た。
雨が降っていたので、出入口の隅に立てかけてあったビニール傘を差しながら。
この山一帯は人も来ないので、個人練習で吹く程度なら朝練が認められている。
でもさすがに早朝の4時に朝練しようとする部員は私くらいしかいないようだった。
良さそうな場所を探して15分ほど歩いていたものの、元々小降りだった雨足は強まる一方だった。
ビニール傘をしっかり押さえていても、半袖のセーラー服に風と雨が入り込んで、体が芯から冷える思いがする。
私は小道の途中にあった東屋の下に逃げるように入った。
ケースを地面に置いてその場にしゃがみ込むと、すごく惨めな気持ちになる。
ここまで来てしまったことを後悔していた。
…これじゃあまともに練習なんかできない。
雨が止むのを待ってから帰ろうと私が心を固めていたその時、雨の中を歩いて来る人影が目に留まった。
あの子だった。
あの子も私と同じように制服に身を包み、ケースを持ち、大きなビニール傘を差していた。
私は思わず足がすくみ、立てなかった。
傘を顔の前で持ったまま彼女から目を逸らす。
彼女は東屋の中にケースを置き、また外に出てからトランペットを取り出した。
まさかこの雨の中吹くのか。
濡れると楽器は悪くなるに決まってるのに…。
彼女はビニール傘を持っていたことに気付いたのか、少し思案した後、傘を地面に置いた。
すると傘はすぐに風に飛ばされ、弧を描いて向こうの木々のてっぺんのあたりに飛んで行き、引っかかってしまった。
肩をすくめた彼女と目が合う。
「あ、いたんですか。」
私は押し黙っていた。
彼女のまだシワの少ないセーラー服が雨に打たれて色を濃くしていく様からも目を逸らして、俯いたまま静かに震えていた。
返事がないことを彼女は全く気にしなかったようで、トランペットを構え、大きく息を吸い込んだ。
…Bの音だった。
私は思わず弾かれたように顔を上げて、ビニール傘越しに彼女を見つめる。
彼女の横顔はやはり堂々としていた。
ただのチューニングなのに、その音からは強い意志が感じられた。
まだ風は吹き荒れていて、その度に彼女の三つ編みが左右に揺れた。
それでもトランペットの音だけはぶれることなく私の耳に届いた。
次第に雨が弱まり、止み、華やかで荘厳な音を鳴らすトランペットと彼女に光が差し込む。
私が呆けている間に、いつの間にか彼女のトランペットはコンクールの課題曲を勇ましく奏でていた。
その時、私は彼女と自分の決定的な違いを悟った。
自信だ。
私には、トランペットを一人でこんなに素晴らしく吹く自信なんてなかった。
…それも、雨の中。
きっと私が好きになったトランペットは、疑問や妬みを抱きながら吹くようなものじゃない。
この、自信に満ち溢れたトランペットなんだ。
そう思うと、ふっと体が軽くなった気がした。
私がケースに視線をやっていると、彼女は私を見てこう言った。
「先輩、雨止みましたよ。」
私は短く「そっか」と笑って傘を畳み、立ち上がって東屋から出た。
朝日が私を褒めるように強く照らす。
「ねえ、一緒に吹かない?」
彼女は二つ返事でOKを出した。
雨雲が町の方へ流れて、消えていくのが見える。
私はトランペットを構えて、息を吸い込んだ。
トランペット 塩海苔めい @konaai
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