流星群

執行 太樹

 


 営業周りにも慣れてきた4月下旬、朝からの雨も、昼過ぎには上がっていた。お得意先の本屋の主人の話が思ったより早く終わったので、私は先輩の佐山と喫茶店に入った。駅前に最近できたのであろう、清潔感のある店だった。店の戸を開けるなり、カランコロンと金属の軽い音が店内に鳴り響いた。カウンター席と窓側にテーブル席が4つほどあった。夕方4時すぎということもあり、お客さんがまばらである。私達は店員さんの案内に従って、店の奥のテーブル席に座った。

「ふぅ。やっぱり、雨の営業周りはきついな」

 カウンター席の上部に備え付けられた小型テレビに流れている天気予報を見ながら、佐山が言った。店員さんがお水とおしぼりを持ってきてくれた。佐山は、ホットコーヒーを2つ頼んだ。店内には心地よいジャズが流れている。

 私は、小さい頃から本が好きだった。学生の頃にアルバイトで稼いだお金のほとんどは、本に費やした。本は、読んでいて元気をくれる。いつしか、本に携わる仕事がしたいと思うようになった。そして今年、この田宮出版に就職した。

 近年、出版社業界は困窮している。インターネットの普及により、書籍の売り上げが伸び悩んでいるのである。出版社も、もちろん書店も、本が売れなくて頭を抱える日々が続いている。

 雨の中での営業は難しい。悪天候の中、人はあまり出歩かない上に、下町の商店街の一角にある本屋さんになど、なかなかお客さんは来ない。あと、濡れた傘を持って店内に入ると、相手先は険しい顔をする。商品である本が汚れるからである。そうなると、商談は店先でのやり取りにならざるを得ない。こうなってしまっては、話がなかなかはかどらないのである。

 店員さんがホットコーヒーを持ってきてくれた。私は佐山と今日の営業周りの反省会をし、その流れでいつものように佐山から「営業の鉄則」を聞かされた。これで5回目だったので、私は話半分で聞いていた。

 佐山は一通り話を終えると、ホットコーヒーに口を付けた。店内のテレビには報道番組が流れていた。今日の夕方5時過ぎ、日本全国でこと座流星群が見られることが話題になっていた。すると佐山が突然、話を切り出した。

「そうだ山崎。お前、神田さん知ってるか」

 神田さんは、同じ部署の女性社員だ。大人しくて、いつも黙々とパソコンと向き合っている。あまり自分から話しかけるタイプの人ではなく、基本的に一人で黙々と仕事をこなしている人だ。佐山が神田さんに絡みに言っては、受け流されているのを毎日のように見ている。

 私は、はいと応えた。しかしなぜ、急に神田さんの話をしたのか分からなかった。

「神田さん、あんなに人と関わるのが苦手そうなのに、結婚してるんだよ。お前、知ってたか。意外だろ」 

 こういう話のときの佐山は、デリカシーがない。佐山は続けた。

「しかも、そのお相手は、総務部の大野なんだよ。いるだろ、たまに俺らの部署に来てる、ひょろっとしたやつだよ。あいつ、3年前に入社してきたんだ。元々は俺たちと同じ営業部だったんだ」

 たしかに、よく営業部に顔を出しては世間話をしている人がいた。社交的で、どこか憎めない人だった。あの人が大野さんか。その大野さんと神田さんが結婚していたとは・・・・・・。

 一体、2人にどんな馴れ初めがあったのだろうと思っていると、こちらの心の内を見透かしたかのように、佐山は笑みを浮かべながら話しを進めた。

 「あれは2年前だったな。たしかちょうど4月の今頃だ。大野のやつ、明日の夕方に何たら流星群が見られるとあって、張り切ってたんだ。ああ、大野は高校の頃天文部だったらしいから、そういうのが好きなんだよ。それまでも、事あるごとに自分の望遠鏡を持って屋上で星を眺めてたんだ。今日は金星が見られるとか、土星が見られるとか言ってな」

 大野さんが天文部だったのは知らなかった。しかし、好きなことには子どものように無邪気になれるところは想像がついた。

「その日も朝から、社内でその流星群が見られるポイントを探し回っていたんだよ。片手に大きな望遠鏡まで持って、社内をウロウロしてたんだ。」

 大野さんが望遠鏡を抱えて会社の中を歩きまわっている姿を想像したら、少しおかしく思えてきた。なぜ、神田さんは大野さんと結婚したのだろう。佐山は続けた。

「その後、俺が喫煙所で一服していたら、顔を真っ赤にして息を切らした大野が急に俺の所に来たんだよ。お前、タバコも吸わないのに、何しに来たんだよってな。じゃあ大野のやつ、なにやらゴニョゴニョ小さい声で話しかけてくるもんだから、はっきりしゃべれって言ってやったんだよ。そう言うと大野のやつ、切れ切れした声でビクセンだのポルタⅡだの、意味のわかんないこと言ってきてな。ちく天だかこんにゃくだか分からないけど、星の考え過ぎでおかしくなったんじゃないかって言ってやったよ」

 その後、大野さんは佐山に事の顛末を話したそうだ。私は黙って佐山の話を聞いていた。

 大野さんの話はこうだ。大野さんは明日の流星群を見る場所を探すために、会社の屋上へ行こうと思った。そして、望遠鏡を片手にエレベーターに乗り込んだら、そこには神田さんがすでに乗っていた。エレベーターの中で、彼女と2人きりになったのだ。大野さんはこんにちは、とだけ言い、エレベーターの手前に入った。そして体を反転させて、奥に乗っている神田さんに背を向ける形をとった。神田さんは大人しく、エレベーター内は会話がなかった。ここまでは、いつものことであった。

 しかし、その日は違った。大野さんの後ろから小さく声が聞こえてきた。

「それ、ビクセンのポルタⅡですよね」

 大野さんが驚いて後ろを振り返ると、少しうつむき、耳を少し赤らめた神田さんがいたそうだ。

 私は、エレベーターで大野さんと一緒になったときの神田さんの気持ちを考えてみた。あの大人しい神田さんのことだ。よほどの勇気を振り絞って、声をかけたに違いない。望遠鏡の名前だって、事前に調べたのだろう。

「それがきっかけで二人は仲良くなっていったんだ。ゆっくりだったけどな。大野のやつ、あからさまに態度に出したら神田さんに悪いからって、周りには隠していたらしいんだが、丸わかりだったよ。しかも驚いたことにな。その半年後、2人は結婚しましたとさ。あいつ、俺に感謝してほしいな。どれだけ恋の相談に乗ってあげたことか。言わないでくれって言ってたから、周りのやつにも黙っててやったのに」

 2人が結婚した後、大野さんは総務部に異動になったそうだ。大野さんが誰にも知られたくないことを、あえて佐山にだけ話したというのは、佐山も結局は良い先輩なのだ。

「それはそうと、大野と神田さんは、その何たら流星群、一緒に見たのかねぇ。それを教えてくれないんだよ。まぁ、2人仲良く一緒になった今となっちゃ、どっちでも良いんだけどな」

 私は知っている。神田さんのデスクに1枚、写真が飾られてあることを。それは、デスクマットのシートの隅に挟み込まれていて、神田さんのちょうど右手の肘の部分で隠れてみることができない。しかし、そこには1枚、写真が飾られているのである。夕方の空を流れる流星群が切り取られた写真が。私は、そのことを狭山には言わないでおこうと思った。

 来週、営業部で歓迎会がある。どうせまた佐山が神田さんに絡んでいって、神田さんがさらっと受け流すことだろう。この会社に入ってよかった。私は、ぼうっとそんなことを考えていた。

 私が歓迎会の様子を想像している後ろで、流星群が夕方の空に現れ始めたとテレビが伝えていた。今もどこかで、優しい時間が生まれていることだろう。想像から現実に意識を戻した私は、ぬるくなったコーヒーを一口すすった。



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流星群 執行 太樹 @shigyo-taiki

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