第26話 花火・前編

 ご飯がおいしいって大事なんだな、と優貴は思った。

 あと、自分という存在が認められること。

 インティスに案内された食事処、そこの女主人のナディアは、それこそ魔法を使ったのではないかと思うほど、優貴たち高校生三人のやる気を引き出してくれた。

 そしてその夜、優貴だけに語られた、フェレナードの過去。

 自分たちに生きる世界があるように、ここにも同じように人々が暮らす世界があるのだと改めて感じた。

 この国を次に治めるのは王子であってほしい。今は小学生に達しないくらいの外見になってしまっているが、その呪いを解いて、生き延びて欲しいと三人は心から思うようになっていた。

 鏡戦に再び臨むのは不安がないわけではなかったが、もう以前のような恐怖心はなかった。

 それは次に同じ仕掛けが来ても驚かない自信もあったし、目的がはっきりしたという確信があるからだ。

 ダグラスが言っていた、先に進む目的がわかっているなら惑わされることはない、という意味が、ようやく理解できた。


「開けるぞ」


 高校生たち三人が頷くのを待って、鏡が待ち構える部屋の扉にインティスは手をかけた。

 視界に広がる部屋の内部で、何が起こるかはもうわかっている。

 足を踏み入れると部屋が真っ暗になり、上から鏡が下りて来て、四人を分断し、心情を抉るようなことを囁いてくるのだ。

 あれから十日以上経ち、昨日の食事処で勇気付けられた今なら、前に進めるような気がした。

 案の定、部屋は暗くなり、四人は鏡によって孤立させられた。

 合わせ鏡の七枚目くらいから、青白い自分の顔がこちらを覗いて、話しかけてくる。


「王子はもう死んじゃうよ? 見ただろ? あんなにちっちゃくなって」

「もっと早いうちから協力してれば良かったのに」

「王子が死んだら絶対恨まれるよね。たった一人の跡継ぎだもん」


 前回訪れた時と比べると、頭の中に聞こえる声の内容は変わっている。

 現代科学では不可能なことが、ファンタジーの世界ではできてしまうのだ。

 けれど、それらはもう、自分たちを足止めする障害にはならない。

 目の前の青白い顔へ向けて、優貴は剣の柄を向けて振りかぶった。

 以前はびくともしなかった鏡が、一発で音を立てて割れた。


「やった……!」


 見渡すと、インティスはもちろん、ことみも暁も内側から鏡を割ることに成功したようだ。

 倒した、と思った次の瞬間、また上から鏡が下りて来て分断された。


「王子だって、今更助けて欲しいなんて思ってないって」

「どうせ王子一人が死んだところで、他に世継ぎがいるんだから何も変わらないよ」

「ゲームとか映画みたいにはならないもんだね~。助けて欲しいって頼まれたのに失敗するなんて」


 鏡は割ってもすぐにまた上から下りてきて、その度に高校生たち三人を苛む声が頭の中に響く。


「……っ、うるさいっ!」


 初めて入った時と効果は同じはずなのに、その声は以前のように精神を蝕むまでの効力はなかった。ダグラスの言う通り、目的がはっきりしたおかげだ。

 鏡を割ると、次に分断されるまで少しだけ時間の猶予ができる。解放されたらなるべく部屋の奥へ向かって進んで、すぐに鏡が上から下りて来て阻まれて、を何度も繰り返した。

 鏡はその都度言動の内容を変えて来た。仕組みとしてフェレナードから説明されたのは、分断された瞬間の思考を鏡が読み取っている説が濃厚らしい。ならば頭を空っぽにすれば完全に無効化できそうなものだが、なかなかそう簡単にはいかない。

 そして、対峙する鏡を割りながら優貴は確信した。

 薬屋でダグラスと特訓していた時に比べて、ここでの方が圧倒的に体が軽い。特別なことは何もしていないのに、ゲームで言うところの、戦闘に関する能力値がぐっと上がるような感覚だった。ただ、そう感じる理由は相変わらず解明されていないのだが。


「着いた……」


 十数枚の鏡を割り続けた結果、全員が同じタイミングで部屋の一番奥の扉の前に到達した。

 扉の前には赤い宝石が浮いていた。

 それは間違いなく、自分たちを分断した鏡の核だった。



    ◇



 核を壊し、次の扉の向こうにあったのは台座に置かれていた木箱で、それは高さはないものの、今まで見た中で一番幅広だった。

 励ましてくれたナディアにお礼を言いたいと主張する高校生たちを彼女の店に連れて行き、そのお礼にお菓子をもらったようだが、それぞれ日本に帰す。

 木箱はナディアの店に行く前にフェレナードに託しておいたので、インティスは様子を見に行くことにした。

 部屋の扉を開けると、テーブルは開けっ放しの木箱と、その中身らしい書物や紙で早速散らかっていた。


「調子は?」

「んー……」


 とりあえず聞いてみたが、収穫物に集中していてフェレナードからは生返事しか返って来ない。


「フランが食事持って来なかった?」

「来た。そこに置いてある」

「食べる?」

「まだいい」


 食事係のフランに、場所を取る夕食ではなく軽食を頼んでおいたのは正解だったようだ。テーブルの隅に置いてあるので、すぐ手が届くだろう。


「……フェレ、ベッド借りていい?」

「え?」


 インティスからの予想外の頼みごとに、フェレナードは思わず顔を上げた。

 護衛という仕事柄、常に体調管理には気を付けているはずなのに、彼の顔色は心なしか悪そうに見えた。

 この部屋は元々一人用なのでベッドも一つしかなく、普段はフェレナードがベッドを使い、インティスは椅子で適当に休息を取るくらいだ。


「構わないけど……大丈夫?」

「多分ちょっと疲れただけ。寝言言ってたら起こして」


 そう言ってベッドに上がるのを見届けながら、フェレナードは目を細めた。

 鏡が高校生たちをどのように心理的に追い詰めたのかはインティスから聞いたが、そういえば彼自身のことを何も聞いていない。

 だが、彼が何も話さないということは、話す必要がないと思っているのだろう。

 その時になったらいつでも聞けるよう心の準備をしておこうと思いつつ、フェレナードは手元の文献に集中することにした。

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