第17話 えらくないよ・前編

 王子とフェレナードが城から薬屋に生活の拠点を移してから二日後。

 その日は金曜日で、次の日は文献調査を予定していた。猪みたいなやつが出てくる部屋だ。

 前日もダグラスの特訓はあったが、優貴たちが薬屋二階の大部屋に行くと、珍しくダグラスの方が先に来ていた。


「インティスから、次に出てくるのはでかくて真っ直ぐ走ってくる奴って聞いたんでな」


 彼はそう言うと腰の大きな剣は構えず、携えて来た布の袋から、手のひらサイズの石を一つ出してみせた。

 それは自分たちの手首に巻き付いている石に似ていた。ただ、自分たちの石は緑や青白い光を放っているが、ダグラスが持っているものは青白く光る時もあれば、茶色や黒っぽくもなる。


「姿形の再現とまではいかないが……これならある程度動きが掴みやすいだろ」


 そう言ったダグラスが片手を上げると、足下から空気が塵を巻き上げながら集まり、一つの大きな塊になった。それは空気とは言っても透明ではなく、埃などが含まれている分濁っている。ダグラスの背丈と同じくらいで、それはあの猪とほぼ同じ大きさだった。


「当たっても怪我することはないから、あくまでも練習用だな。ユウキ、そこに立って避けてみろ」

「え? ここ?」


 優貴が暁から少し離れたところに立つと、ダグラスはそこへ目がけて空気の塊を放った。


「はっ……」


 締まりのない声を出すのが精一杯で、身構えようとした瞬間には空気の塊は優貴にぶつかっていた。あの猪は確実にこんなに速くはなかった。


「練習は速めの方が、明日のためになるだろ」


 ダグラスはさらっとそう言った。確かにそうかもしれないけど。

 ぶつかったのはあくまでも空気なので怪我はないが、細かいゴミなどが目に入りそうになる。風の強い日の体育で、グラウンドに出た時のように。


「ダグラス、魔法なんて使えたの?」


 埃っぽさにむせながら、優貴は思っていたことを率直に聞いた。


「しばらく使ってなかったが、一応な」


 ダグラスは当たり前のように答えたが、剣も魔法も使えるなんて最強すぎる。

 だから、以前の特訓でのことみへの指示が具体的だったのだ。水の膜や霧の魔法を戦闘の補助に使うのはただの思いつきではなく、知識の証明なのだろう。


「よし、じゃあ次はアカツキ、準備はいいか」


 暁はただ黙って頷くと、ダグラスが先ほどと同じ空気の塊を作り、暁に向かって放った。

 優貴よりも先にこの世界に来ていたこともあり、暁はいとも簡単にその空気の猪もどきをかわしていた。どの角度から来ても大丈夫そうだった。


「アカツキがこれだけかわせるなら、コトミも大丈夫そうだな」


 ダグラスは今日の特訓を休んでいたことみについて結論付けると、改めて優貴に向き直る。


「後はお前がかわせるようになれば問題ない。せっかくだから集中してやってやる」

「え~~!」


 暁はできたかもしれないが、自分には無理難題に等しい。

 けれど、それでもやらなければ、また足を引っ張ってしまう。

 何とかやる気を振り絞って立ち向かうしかなかった。



    ◇



 優貴と暁の特訓と同日、同時刻。

 放課後の時間を使って、ことみは母親と病院に来ていた。入院している祖母のお見舞いのためだ。

 母親の後をついて受付に会釈をして、エレベーターに乗り、三階で下りて、ナースステーションに声をかけて一番奥の病室へ向かう。

 病室のドア横には、四人の患者の名前が書いてあった。そのうち一人は祖母の名前。

 中には六つのベッドがあり、両端をそれぞれ使っていて、どれも仕切のカーテンで区切られていた。

 窓側の右奥が祖母のベッドだ。

 カーテンの内側に入ると、祖母は眠っていた。

 少し捲れていた薄手のタオルケットを整えると、母親が横に置かれたテレビ台の引き出しを開け、中に入っていた伝票を取り出した。


「今週の介護の雑費代の請求だわ。ちょっとお母さん払ってくるから、おばあちゃん見ててね」

「……うん」


 椅子を出してもいいと言われたので、隅で重なっていた丸椅子を1つ出して、ベッドの側に座った。

 ……おばあちゃん。

 しばらく会わない間に随分痩せてしまった。入院する前はもっと頬がふっくらしていたような気がする。

 小さい頃の思い出の中の祖母が、すっかり頬のこけた今の顔に上書きされて思い出せない。子供の頃はたくさん遊んでもらったはずなのに。

 起きたら何て声をかけよう、何を話せばいいだろう。

 母親がカーテンを半分開けっ放しのままで出て行ってしまったので、閉め直す勇気が出ない。大した動作ではないのに、慣れない場所だと何をするにもとてつもなく行動力が必要になるものだ。そうこうしているうちに、向かいのベッドを使っている患者の家族が入って来てしまった。


「あら、宮野さんのお孫さん? えらいわね」

「あ、いえ……」


 宮野は母親の旧姓だ。

 女性に声をかけられ、ぎこちない返事だけして、ことみは肩をすくめた。

 えらくないよ。何もえらくなんかない。

 だって、思い出一つさえ思い出せない。

 自分はただ、親に言われてここに来ているだけなのだ。

 そう言われたって仕方ない。

 それくらい、感情が置き去りになっていた。目の前の外見が変わり果てた祖母と、記憶の中の祖母が一致しないせいだ。祖母があとどれくらい生きられるかよりも、起きた時に何を話せばいいのかの心配をしてしまう。

 祖母が死んでしまうことは悲しいことであるはずなのに、涙は出なかった。



    ◇



 結局、ダグラスにしこたま埃っぽい空気をぶつけられて一日が終わった気がする、と特訓を終えてから優貴は思った。

 相手が動いてから自分も動こうとするから駄目なんだ、相手がどう動くかを予測して、相手より先に動かなければ。

 何度もダグラスにそう言われ、頭でもわかってはいるのだが、体が全然言うことを聞かない。暁はほぼ全てをかわしているのに。

 予測のコツとやらを暁に聞いてみても、「勘で」としか返ってこないので参考にしようがなかった。

 猪を倒しにいくのは明日なのに、不安しかない。

 日本に戻る時間になり、また明日と言って薬屋の三階の自室に引っ込んだ。動きすぎて喉がカラカラだ。

 それは、空気の塊を何とか避けてやろうと四苦八苦したのもそうだが、今日はそのやり方について随分ダグラスや暁と話をしたからでもある。

 元の世界の現代日本では、朝登校してから、なるべく誰とも話さずに家に帰ることが目標だった。どうしても会話がうまくいかなくて、すぐに途絶えたり変な間が空いたりする。そこを埋めようと思っても、うまい言葉など出てくるはずもなく、いつも中途半端に終わってしまうのだ。


「ここだとそんなことないんだけどなぁ」


 インティスやダグラスとは普通に話せるのに。

 変だなぁと思いながら、日本に戻るための端末を開き、魔法陣を起動させた。



    ◇



 高校生たちが帰ったのを見届けてから、インティスは一階に下りた。

 フェレナードの部屋に向かうと、彼はこれまで暗号を解いて判明した文章をもう一度読み返しているところだった。


「今日さ、ちょっと特訓を覗いたら、ダグラスが魔法使ってた。初めて見たよ」


 話しかけられて、フェレナードはようやくインティスが戻って来たことに気付いたようだった。その証拠に、話が耳を素通りしている。


「……ダグラスが、何だって?」

「特訓で土の魔法を使ってた。空気の塊作って」


 原理はわからないが、インティスの説明でフェレナードは頷く。


「ああ、昔二人でカーリアンから習ってたからね。当時からずっと、俺よりダグラスの方が強いよ」

「そうなんだ……」


 曰く、ダグラスが土の魔法というのは、フェレナードが風の魔法を使うのと同じで、精霊との相性らしい。カーリアンというのは、彼らの魔法の師のことだ。


「ということは、ダグラスも魔法陣を作れるってこと?」

「いや、それを習ったのは俺だけ。ダグラスには近衛師団があるから、そこまでは教えてないって彼女が言ってた」

「ふうん……」


 フェレナードより強い魔法を使えるなら、魔法陣を扱えてもおかしくない気がするのに、とインティスは疑問に思ったが、近衛師団の存在は納得できる理由でもある。

 机に向かうフェレナードに対して向かい合うようにして座ってはみたが、何となく手持ち無沙汰で、インティスは懐から簡素な作りの短剣を出し、机に置いた。

 それに目を止めたフェレナードが声をかけた。


「あれ、そんなの持ってた? 城からの支給品?」

「ううん、これは昔から持ってた……というか、レイが持ってたやつ」

「……ああ、賢者様の」


 インティスの育ての親であるレイはカーリアンの兄で、その豊富な知識から周りからは賢者と呼ばれることもあった。今は色々あって姿がない。

 部屋の隅に置いた荷物袋から、インティスが刃の手入れ用の道具を出す。


「いつも剣を持つようにしてるから、基本的には使わないんだけど」


 そう言いながら短剣を鞘から抜いて、角度を変えながら丹念に刃先を確認する。


「……でも、何があるかわからないから。たまに見とかないとさ」

「……そうだね」


 フェレナードはしばらく手を止め、手入れする彼の様子に目を細めていた。



    ◇



 明日の猪戦に備えて早めに寝ようと思っていたのに、優貴はスーパーのレジに並んでいた。

 ネラスから戻って来てすぐ、母親におつかいを頼まれてしまったのだ。


「百円までなら好きなお菓子買っていいから」

「それって税込みじゃないよね?」


 百円くらいと母親が言うので、税込みで少し百円を超えそうなチョコレートを一つ、頼まれたものと一緒にカゴに入れた。

 レジで会計を終え、カゴの中身を持参した袋に移し替えていると、一つ向こうの作業台で同じようなことをしているやつと目が合った。


「あ」

「あ」


 暁だった。



 その側に、小さい女の子が立っていた。

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