第16話 最強の要塞(薬屋)・後編

 インティスが見回りから王子の塔へ戻ると、王子とフェレナードはまだ勉強の最中だった。

 二人の気が散らないよう、部屋の一番奥の壁側に移動する。

 街を一回りして来たが、あちこちで感じた異様な気配は、フランが言っていた黒い連中に間違いないだろう。

 相手も気配を殺しているので、人物として特定することはできない。だが、自分の動きに合わせて視線がまとわりつくのがわかった。元々インティスはこの森の国の出身ではないので、赤い髪はここでは少し珍しいが、それでもじろじろ見られるほどではない。明らかに、自分が誰であるかをわかった上でのことなのだ。

 王子とフェレナードの側にいることばかりで街のことまで気が回らなかったのは事実で、状況を確認もせずに彼の主張に流され、一人で行かせたのは失敗だった。

 静かに王子に目をやる。

 呪いのせいで若返り、背が低くなってしまったせいで、座った時の高さを調整するために置かれたクッションは分厚い。そして彼の横で、いつもインティスが持ち歩くマントを着け、教本を開きながらその内容を説明している銀の髪の教育係。その光景だけ見れば、何の変哲もない一人の王子の勉強時間だ。

 王子が質問して、フェレナードが答え、それにまた王子が質問する。時々笑い声が聞こえるほど、穏やかな時間。フェレナードは自室ではいつも調子が悪そうだが、インティス以外の人間がいる時はそうした素振りを見せることは一切なかった。

 加えて王子も、呪いに苛まれて辛くないことなどないはずなのに、周りに不安をこぼす姿を見たことがない。

 この二人ってある意味すごいのかも……。

 王子とフェレナードを眺めながら、インティスはそんなことを思っていた。



    ◇



 幸いその日は呪いに振り回されることもなく、勉強は夕食の時間の手前で終わった。

 少しして、見回りの時にインティスが声をかけておいたダグラスがやって来た。

 王子とフェレナードは彼が来ることを知らなかったので、フェレナードは驚いていたが、王子は嬉しそうに椅子から飛び降りると、駆け寄ってダグラスに抱きついた。


「ダグラス! 久しぶり!」

「おう、お元気そうで何よりですな」


 近衛師団はあくまでも塔周りの警護なので、直接王子と話す機会は少ない。が、師団長であるダグラスは立場上こうして彼らに呼ばれて立ち入ることがあるため、近衛師団の他の連中よりは王子と接点がある。

 ダグラスは片腕で王子を抱き上げ、自らの鎧の肩当てに座らせた。


「どうしてここに……」

「ごめん、俺が呼んだんだ」


 驚いたままのフェレナードにインティスが答え、そのまま続ける。


「ちょっと相談したくて」

「そうだん? 何の?」


 ダグラスの肩で王子が首を傾げ、自然と皆の視線がインティスに集まった。




 インティスの相談とは、フェレナードと王子の生活の拠点を城か薬屋のどちらかにできないか、ということだった。

 王子は基本的に塔で生活しているが、フェレナードは文献の解読の状況によって薬屋と行き来することがある。

 今日感じた街での気配もあり、二人を守りきるためのインティスの苦肉の策だった。

 外部の教育者に知られないよう、王子の勉強の間だけは塔に戻るとして、それ以外の王子の生活の基盤になるところと、フェレナードの文献調査を薬屋でできないかというのだ。そうすれば、フェレナードが王子の勉強を薬屋で見ることができる。何かあった時にすぐに対処できるよう、インティスの城と薬屋との往復を減らすのが目的だった。


「確かに、東の地域を治めてた侯爵家の世襲制も最近ひっくり返ったと聞いている。このままの体制で絶対安心とは言えんな」


 そう言ったのはダグラスだ。

 実際、この国でも二つの貴族が王子の命を狙っている。それらは世継ぎがいない時に世継ぎとなる家なので、表向きは世襲制のようなものではあるが、裏で王子を暗殺しようとする力が働いていれば、危険なことに変わりはない。


「王子が狙われるってことはその関係者が狙われることだって少なくない。フランから聞いたぞ。今朝学院にフェレを一人で出したって?」

「それは……」

「違う、俺が一人でいいって言ったんだ」

「お前がいいって言っても、それを許さないのが護衛の仕事なんだよ」


 ダグラスがインティスを責めるのでフェレナードが庇おうとしたが、全く庇い切れなかった。


「……ごめん」


 インティスはそれだけ謝った。フェレナードと目が合ったが、インティスはすまなさそうに首を横に振るだけだった。

 ダグラスの指摘に、インティスは自分の考えが甘かったと痛感した。フランがいたから何事もなく済んだだけで、相手が大勢だったらそうはならなかった可能性もある。それに、そもそも彼が通りがからなかったらと思うと、背筋がぞっとした。

 そのことを踏まえた上でも、護衛の対象をできるだけ一カ所に集めておきたいのだ。

 城に拠点を移すのは難しいだろう。高校生たちの分の部屋を借りるのに加え、移動用の魔法陣を敷き直すのに手間がかかってしまう。それに、城内の者からすれば知らない人間が出入りすることになるから、歓迎されないと予想される。

 そうなると、王子に薬屋で生活してもらうことになるが、一国の王子を民家に住まわせるなど、そんな無茶な話が通るだろうか。


「王子は幸い昔からわがままだったから、自分の着替えくらいは自分でできるはずだな」

「べ、別にわがままなわけじゃないもん」


 ダグラスが肯定的な意見を出すと、王子がその扱いに不機嫌そうにむっとした。


「薬屋の建物自体は、持ち主のカーリアンが精霊と契約してるから、塔よりも安全だと思う」


 続いたのはフェレナードだった。王子の塔に魔法の鍵をかけているのは彼だが、薬屋の持ち主である彼の魔法の師の力の方が絶対的に大きい。

 それには師を知っているダグラスも頷いた。


「……だな。逆に、皆王子は塔にいると思ってるだろうから、隠れ蓑としてもいいんじゃねぇか?」

「だ、だったら僕……薬屋がいい!」


 王子も思い切って発言に加わると、インティスがダグラスへ慎重な視線を向けた。


「……大丈夫かな」

「王子の勉強の時間は護衛付きで塔に戻る必要はあるが、それ以外は案外いけそうだな」

「食事はフランに頼むとして……じゃあ、王子が薬屋から絶対出なければ、やっていけるかも」


 フェレナードは元々自室より薬屋の方が作業が捗るので、問題ないとのことだった。

 実の両親である国王と王妃には、翌日にダグラスとインティスが出向いてわけを話し、承諾を得るということでまとまった。

 呪いを解くためのことなら反対はしないだろうとダグラスが見通しを立てたので、その日の残りは王子の薬屋での生活の準備をすることになった。

 王子からすれば今まで一人で過ごしていたから、いくらか気も紛れるはずだ。

 インティスは、何があっても薬屋から出ないようにと、王子にしっかりと約束を取り付けた。



    ◇



 次の日、高校生たちにとっては突然王子が薬屋に住むことになっていて驚いていたが、高校生たちの部屋は薬屋の三階にあり、彼らの特訓場所は二階、フェレナードと王子は一階で過ごすので、差し当たって問題はなさそうだった。

 王子の呪いも、ベッドの上だとなりを潜めるのは薬屋でも同じのようだ。薬屋に移ってから一週間、王子につきっきりで様子を見ていたフェレナードがそう言っていた。

 王子は高校生たちが放課後の特訓を終えた様子を察知すると三階のラウンジへ上がり、彼らとの談笑を楽しむのが新しい日課になった。




 お喋りが一段落した頃にはすっかり日も暮れているので、高校生たちはそれぞれ自分の部屋から日本へ戻って行く。

 ことみもラウンジから自室に引っ込んだが、日本に戻るための端末を開いたところで、この先の予定を思い出してしまった。


「あー……、はぁ……」


 思わず溜息が漏れてしまう。


「……そうだった」


 今日は七月に入って最初の水曜日。明後日はダグラスとの特訓を休んで、入院している祖母のところへ、母親と一緒にお見舞いに行く予定が入っていた。

 どうしても病院の、病室の空気が苦手で避けていたのだが、さすがにずっと行かないというわけにもいかない。祖母には小さい頃に遊んでもらった思い出もあるが、病院の空気を思い出すと気が重くなるのはどうにもならなかった。

 きっと今鏡を見たら、自分もいつぞやの優貴のように、戦う前から死んでいるような顔をしているのだろう。

 今更になって、祖母の家に行きたがらない優貴の気持ちが、ことみにも少しだけわかったような気がした。

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