第11話 暗記方法:文字数・前編
実行する意志がなくても、うっかり言ったせいでやらなければならなくなるというのは、人生において誰しも経験することだ。
テスト三日前の土曜日、その日の午前中の優貴がまさにその状態だった。
◇
期末テストが終わるまでは文献調査もないので、土曜の午後になってようやく世界をまたぎ、日本からネラスの薬屋の自室に転移すると、優貴は既に疲れた様子で普段着のままラウンジへの扉を開けた。
「今日は遅かったな」
インティスが優貴に声をかけた。テスト勉強の期間はあまり会わなかったので久し振りだ。
「うん……ちょっと午前中出かけてて」
「お出かけ? いいなぁ」
「あれ? 王子?」
普段聞き慣れない声に目を向けると、アディレス王子がことみや暁と一緒にラウンジのテーブルについている。呪いが進行しているのか、以前会った時は中学生くらいに見えたのに、また少し幼くなったようだ。
どうして王子がここにいるのか、インティスが簡単に経緯を話す。
「ずっと部屋に閉じこめられてるって駄々こねるから、連れて来たんだ」
「そんな子供みたいなことしないもん」
王子の外見は呪いのせいで小学校六年くらいにしか見えないのに、子供という言葉を真っ向から否定してくるから変な感じだ。
インティスが、一緒に持ってきた呪いを抑えるマントをぽんぽんと叩く。彼の大雑把な説明に王子が不満そうに声を上げたが、すぐに気を取り直して優貴に笑顔を向けてきた。
「でもいいなあお出かけ。どこに行って来たの?」
「全然良くないよ……えっと……」
王子の目がお出かけという言葉でキラキラしている。目は口ほどに物を言うと言われるように、ねえねえ教えてよと聞こえて来そうな視線だ。
特に関心のなさそうなことみと暁の前で、優貴はその先も話さざるを得なくなってしまったのだった。
その日の午前中、優貴は両親に連れられて祖母の家に行って来た。
もう随分前に亡くなった祖父の遺品の整理が目的だった。
どうして今このタイミングなのかというと、趣味が講じて料理教室を開いている祖母が、最近ようやく空き時間ができたという理由である。
祖父が画家だったというのは聞いていたが、家に作品らしいものはない。だから整理するのは作品ではなく、使っていた絵の道具とか、身の回りのものとか、そういう類だ。
作品は別に借りている市内のアトリエに預けていて、それらは母と祖母が出向いて整理するという話になっているようだった。
子供の頃に行った時の、しつけにうるさかった祖母のイメージは残念ながらそのまま変わっていなかった。相変わらず、ハタキのかけ方から埃の拭き取り方、机を水拭きする雑巾の絞り方まで細かく指導が入ってうんざりだった。
◇
「でもお祖母さまがいるんだ。羨ましい……」
「王子はいないの?」
そう聞いたのはことみだ。
「多分いないんだと思う。父上と母上にしか、僕は会ったことないから」
「会ったことないって、一緒にお城に住んでるんじゃないの?」
ことみが続けて聞く。
「城には住んでるけど、一緒じゃないよ。城の中に自分の塔があって、そこに住んでるんだ」
「……変わってるわね」
「そう? 父上にはずっと呪いがかかってるから、よく母上が側にいるみたいだけど、僕は自分の塔からは出られないんだ。入り口はいつも近衛師団が守ってくれていて……」
近衛師団という言葉で優貴は気付いた。彼らは王族の身辺警護を担当するのが、ファンタジーのお約束だ。
「そっか、王位継承者が王子しかいないから、近衛師団がみんなをそれぞれ塔ごと守ってるってことなんだ」
住んでいる建物ごと守るなんて、随分厳重だなとも思ったが、何事も一人しかいないという事実は、大抵危険が隠れている。
「そういうこと。おかげで命が狙われっぱなしってわけ」
みんなから少し離れて、壁に寄りかかって話を聞いていたインティスが答え、更に補足してくれた。
「だからフェレが、塔の王子の部屋に特定の人間しか入れないよう魔法をかけたんだ。近衛師団だって訓練とか日課があるからずっといられるわけじゃない。だから、そいつらが塔を離れる時とか、フェレ以外の家庭教師が来る時は俺が王子の側にいる」
「魔法かけてるんなら、インティスがいなくても大丈夫なんじゃないの?」
「絶対っていうことはないよ。無理矢理押し入って来るとも限らないし」
もしもの話をすればきりがないが、対策はしておかなければならないということだろう。実際、年に数回刺客に狙われ、近衛師団に捕らえられる事件が起こるそうだ。
それでも、行動範囲が自分の部屋だけというのは窮屈だろう。王子がお出かけという言葉に憧れる気持ちもわかるような気がした。
ことみもノートの手を止めたまま聞いていて、暁も返事や相槌は一切ないが、腕を組んだまま聞いてはいるようだった。
そして、優貴がもう一つの事実に気付く。
「あれ? そういえば、王位継承者が王子しかいないって、大丈夫なの?」
定番としてよくあるのは、世継ぎが少なすぎて血筋が絶えてしまう、というような話だ。
「そこは三つの公爵家があるから問題ない」
答えたのは、ラウンジの扉を開けて入って来たフェレナードだった。
目印にもなりそうないつもの赤いジャケットはなく、模様の入った大きな肩掛けを羽織っているだけだ。
「文献の解読は? 終わった?」
「一応ね」
インティスが声をかけるとフェレナードは答えたが、王子と目が合うと眉を顰めた。
「……部屋にいるようあれほど……」
「ご、ごめんなさい!」
王子が両手を合わせて平謝りするので、フェレナードは仕方なく、今日だけは、と許すことにした。
解読を終えた息抜きに来たというフェレナードの話を聞いて、インティスは空き部屋から椅子を運んで来る。
「ねえ、公爵家が三つあると、どうして問題ないの?」
優貴は率直にフェレナードに質問した。インティスは難しいことには答えられないと公言しているので、聞くなら今しかない。
フェレナードはインティスに礼を言ってから、彼が持って来た椅子に腰掛けると、言葉を探すように腕を組み、おもむろに話し始めた。
「……この国はレグマージア王国と言って、レグマージア家の血筋が代々王位を継いでる。王子もそう」
それは普段森の国と呼んでいるこの国の正式名称だった。優貴は頷いた。
「けれど、王位継承のタイミングでレグマージア家に世継ぎがいない時は、他の三つの公爵家の中から、王家に近い血筋の順に王位を継承させるんだ」
日本の側室制度に少し似てるな、と優貴は思った。世継ぎを絶やさないための方法というわけだ。
フェレナードが続ける。
「三つの公爵家はレグマージア家とは親戚同士で、一番血筋が近いのが、長男に王位を継がせたがっているゼラン公爵家、次に近いコルトラン公爵家も、ゼランと同じように長男を継がせたがっている一族。そして、一番血筋としては遠いのが、今のところまだ世継ぎがいないアルトメリア公爵家。王子の命を狙っているのはゼラン家とコルトラン家で、特にコルトラン家は警戒されている。王位継承権としては王子を除いても二番目だから、王位を継ぐなら王子とゼラン家が障害になってるからね。アルトメリア家は世継ぎが生まれるまで王子には生きていてほしいと思っているから、どちらかというと味方かな」
「うわー……込み入ってるね」
「一気にわかんなくなったんだけど」
「…………」
暁は黙っているようにも、思考が止まっているようにも見えた。
フェレナードが言ったことを、優貴は咄嗟にまとめた。開いていた数学のノートの、一番後ろの空きページに。
このままでは、自分も含めて誰もフェレナードの話についていけなくなる。
テスト勉強をしていたはずの数学のノートは、一気に異世界の歴史のノートになった。
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