葉叢闇(はむらやみ)

小泉藍

(一)

(一)

 戦は終わったが、もう上野には戻れないという。

 住民が避難した跡に彰義隊の連中が火を放ち、やえたちが住んでいた谷中一帯は焼け野原になったということを、父の弥吉が声をつまらせ、目元を何度もぬぐいながら語った。

 やえ一家が住んでいた長屋ももはや黒く焦げた木片の群と化し、そぼ降る小糠雨に虚しく濡らされているのだ。上野のお寺も錦切きんぎれ(官軍)どもが大砲を撃ち込み、丸焼けになった。泥水にまみれた彰義隊の兵士がそこかしこに転がっているが、首を取られていない死体の方が珍しい。焼け出された住民に町会所がお救い金と握り飯を配っている、等々。

 やえは今年で八つになる。建具職人の父弥吉と母のみつと飼い猫のサンと共に上野谷中町の長屋で暮らしていたが、この閏四月に伯父が百姓を営む千駄ヶ谷に疎開してきた。

 思えばこの戊辰は、年明けからたがが外れていた。

 新年とも思えぬ陰気な空模様が続いたかと思うと、小豆粥も炊かぬ内から公方さまが船で帰ってこられた。

 両親も含めた長屋の大人たちは寄ると触るとその話をしていたが、何でも公方さまというのはこの国でいちばん偉い人で、やえたちが暮らせるのもそのお方のおかげらしい。だがそんな偉いお人がどうして、お住まいだというこの江戸を何年も離れていたのかについては誰も答えてはくれない。それでも母は、米の値がどかりと下がったのは公方さまがお帰りになったおかげだと喜んでいた。


 やえたちの住む谷中界隈が騒がしくなってきたのは、二月半ばになってからだ。

 公方さまがお城を出て上野のお寺にお入りになったということで、山門が閉め切りになり、しかめ面をしたお侍が大勢辺りをうろつくようになった。

 裾を絞った白い義経袴に水色のぶっ裂きを羽織り朱鞘の大刀をぶちこんで歩く様が粋だともてはやされ「[[rb:情人 > いろ]]に持つなら彰義隊」と言われた。イロとは何かとやえが聞いても大人は教えてはくれなかったが。しかし江戸の空気は日を追って物騒になり、田舎に親戚がある者はそこに難を逃れていった。

 天子さまの軍隊が江戸に入ってきて、代わりに突き出されるように公方さまが江戸を出て行かれたのは、桜も散りきって曇天のもと、葉桜の新緑もくすんで見える四月の時分だった。

 公方さまは日本でいちばん偉いお人ではなかったのだ。梅雨を先取りしたようなびしょびしょした天気は冬が春になっても変わらず、そこかしこで道がどぶと化すまで降り続いていた。

 公方さまの大身代が丸潰れたのを、あたかも天が悼んでいるかのようだった。

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