第25話 被災
「主文。被告、木本 紗世を懲役15年に処す。」
私は、裁判所で裁判長から判決を聞いていた。その時だった。何が起こったのだろう。そう、床が大きく揺れて立っていられずに床に座り込んでしまった。大地震だった。
私がいた部屋の壁にはヒビが入り、傍聴席のあたりは天井が落ちて、15人ぐらいだろうか、天井の下敷きになっていた。そして、裁判官がいたあたりも、床が落ちて、今、ここにいるのは、私と弁護士とか数人だけになっていた。
私は、よく覚えていないけど、気づいたら、裁判所から逃げていて、この災害の中、誰も私を追いかけるような人もいなかったの。
私は、逃げる途中で、道端で頭から血を流して死んでる同年齢の女性を、助けるふりして建物の影にひきづり込んだ。そして、服を脱がして囚人服から着替え、囚人服はその女性に着せたの。その後、被災者のふりをして皇居を目指して逃げたわ。
そして、私に似てる、その女性から運転免許証を抜き取り、その人として生きることにした。名前は、酒井 みう。おそらく知り合いが見たら別人ってわかるだろうけど、こんな緊急事態の中で、私の顔も体も、砂埃とかで汚れてるし、誰も、そんなことは気にしないわ。
後でわかったんだけど、この女性の親はすでに亡くなっていて、一人っ子だったのはラッキーだった。
地震は、たびたび人々を襲い、また、その影響で、揺れていない時でもビルが倒壊したりと、人々の悲鳴がずっと聞こえていた。私は、囚人服を着替えた頃から、逆に冷静になり、これは大きなチャンスだと感じていたわ。
周りは、ビルが倒壊し、火事が所々に見えたけど、まずは目の前にある皇居は解放されていて、多くの被災者が逃げ込んでいた。そして、翌日には、自衛隊による炊き出しとかが始まっていたの。
この時期は、春から夏に変わる季節で、毛布が配られれば、当面は、外に寝て過ごせる気温だったのは助かったかな。
数日経ったときに、お役人みたいな人から、名前とかを聞かれ、みうとしての生活が始まった。東京は、人口が多すぎて、横の人は知らない人。そんな所で大災害が起これば、他人になりすましても、誰もわからない。
戸籍や住民票も、顔写真ではチェックできない。マイナンバーカードなんて、日頃から携帯してる人なんていないでしょ。
もう、私を紗世なんてわかる人はいないの。そもそも、私は、悪い人を懲らしめただけなんだから、何も悪いことはしていない。だから、懲役刑なんておかしいのよ。
神様は、私のことを見ててくれていたのね。だから、救ってくれた。この被災から立ち直るのは大変だけど、これからは自由の身。神様、ありがとう。
それから1ヶ月が経ち、運転免許証に書かれている住所に行ってみると、大火で焼け野原になった赤羽が一面に広がっていた。私は、区役所に行き、家が燃えてしまったと申告したの。
そして、しばらくは体育館に用意されたダンボールの部屋で過ごしたけど、その近辺で仮設住宅ができ始め、私にも、1部屋、貸与された。そして、長い間、手入れをしていなかったのでボサボサになった髪の毛は、運転免許証の写真にある髪型に切ってもらった。
そして、メイクも工夫すると、なんとか運転免許証の写真の人と言える容姿にできたの。もう、私は、どこから見ても、みうなのよ。
被災した東京での暮らしは厳しいものだったわ。東京では8割ぐらいの人が亡くなったらしいけど、それでも人は多く、復旧に必要な規模が大きすぎて、なかなか復旧は進まなかったみたい。でも、刑務所での暮らしに比べれば、まだマシよね。
また、この近辺では、多くの人が亡くなったからか、みうに知り合いが少なかったのか、誰からも、昔の知り合いだと言って声をかけられることもなかったの。私は、この地域の復旧活動に参加することにした。それで、国から、多くはないけど給料も出た。
2年ぐらい経った頃、昔の赤羽の面影はなくなっていて、碁盤の目のように整備された大きな道路、広場に、高層のマンションが造られ、私は、その1室で暮らしていた。
メタバースは、実は、バックアップで、すぐに復旧していたんだけれど、現実世界での日々の暮らしが厳しくて、メタバース東京を利用する人はほとんどいなかったと聞いてる。
脳に割り当てられているIDのデータベースが壊滅的影響を受けたようで、各人の脳のチップとメタバースでのIDを再登録することになったのは、本当にラッキーだった。この点でも、私の昔の足跡は消せたわ。
私は、生活が落ち着いた頃、東京都のIT戦略室に応募し、今は、東京都のITインフラ復興のプロジェクトメンバーとして活動している。これまでのつぎはぎのインフラではなく、最先端の技術も組み込んで、理想の形でのインフラ構築にはワクワクした。
そして、その同僚だった裕司と出会い、よく仕事帰りに飲みに行くようになった。
「みうは、東京大地震の前は何をしていたの。」
「中小のIT会社で、お客様の業務用件定義とかをしていたの。でも、調べてみたけど、会社はなくなったみたい。」
「みうの実力があるのに、中小のIT会社って、もったいないね。」
「いえ、最初は、あの一流のIT会社にいたのよ。でも、知ってるわよね、営業部長と社長の不正とかで会社が倒産になって、失業したから、まずはどこでもいいからって、その会社に決めたの。でも、あんな災害があって、どうしようかと思っていたら、東京都がIT人材を募集するって聞いたから、来ちゃった。」
「そうなんだ。みうの実力はすごいよ。」
「裕司は、どうなの?」
「俺? 俺は、ITベンチャーのCTOをしていたんだけど、あの地震で、社長とか主要メンバーが亡くなって、会社は解散したんだよ。だから、東京都のこのプロジェクトには感謝だ。」
裕司とは頻繁に会うようになり、そんなに憧れるという感じではなかったんだけど、自然な私でいられるから付き合うようになり、半年後に結婚したの。
よくいう幸せな日々という感じではなく、お互いに、仕事も忙しかったし、自由に生きてたから、同居人という感じで時間は過ぎていった。
ある日、新宿から住んでる中野に電車で移動している時、後ろから、いきなり声をかけられた。
「木本さんだよね。間違いない、木本さんだ。生きていたんだ。」
目の前には、元カレの拓人がいた。
「人違いです。誰ですか?」
「そんなことないだろう。声も木本さんだし。でも、充希を殺害して逮捕されたのに、なんでここにいるんだ。お前を許せない。警察に行こう。」
「誤解ですって。誰か、痴漢です。助けて。」
私は、走り出し、その場を逃げた。そして、電気もつけるのも忘れて部屋で悩んでると、裕司が帰ってきた。
「何か、あったのか? 電気ぐらいつけろよ。」
「あの、どうしよう。」
「大丈夫だから、まず話してみろよ。」
「私、隠し事があるの。でも、話したら嫌われる。」
「そんなことないって。俺たち、夫婦だろ。お前の問題は俺の問題でもあるんだから、心配せずに話してみろって。」
「ありがとう。私、実は、色々と嫌なことがあって、そんな時にあの地震があって、亡くなっている人の運転免許証を使って、その女性として暮らすことにしたの。」
「・・・。」
「さっき、昔付き合っていた元カレが声をかけてきて、昔の私だって騒ぎ始めた。勘違いって言ったけど、あれははっきりとわかったんだと思う。私は、その人の彼女を殺してしまったの。だから、私、捕まっちゃう。」
「そんなことか。」
「驚かないの?」
「だって、知っていたから。本当の名前は紗世だろ。」
「知っていて結婚したの?」
「そうだよ。だって、俺も同じだから。多分、同じ時間だったと思うけど、俺も、あの裁判所で懲役刑を課されたんだ。でも、大地震で逃げ出して、前を同じ囚人服で走っているお前を見て、その後を追っかけたんだ。そしたら、死んだ女性から服と運転免許証を盗むお前がいて、そういうやり方があるんだと気づき、俺も、別のビルで死んだやつの服と運転免許証を盗んで、そいつになりすまして生きてきたんだ。」
「あなたは、何をやって逮捕されたの?」
「ハッキングだ。防衛省のDBをハッキングしたのが見つかってね。単なるハッキングだったんだけど、軍事情報を盗んだスパイとか言われ、大事になっちゃってね。お前は、殺人だったよな。」
「知ってたんだ。」
「俺のITスキルをバカにしてもらっちゃ困るよ。裁判所のDBに入ったら、お前と同じ女性の顔があったんだ。」
「そうなんだ。」
「でも、あの地震の後、また、お前に会うなんて思っていなかったから、東京都のプロジェクトでお前をみた時はびっくりだったな。」
「そうなら、どうしてこんな私と結婚したの?」
「最初は、俺のことがバレないように監視するつもりだったんだが、お前は気づいていなかったし、お前は可愛いし、お互いに傷を負っていれば、仮にバレても、裏切らなくて、助け合えるじゃないかって。で、どうする。その元カレ、殺るか?」
「それしかないかも。」
私は、裕司とともに、東京都のDBに入り込み、拓人の住所を調べ、拓人の家に入り込んだ。拓人は、充希が脳だけで生きてることは知らずに亡くなったと聞かされていたのか、部屋には充希との写真が置いてあり、1人暮らしだったわ。
そこで、裕司は拓人を後ろから押さえつけ、薬を飲ませて眠らせた。そして、お酒で酔い潰れたように食卓に座らせ、タバコの火で、部屋のカーテンに火をつけた。そして、私たちは、拓人の部屋の窓から火が出るのを横目に、部屋から逃げたの。
私は、昔の憧れの元カレがもういないのに、遠い過去のように思えて、悲しみの気持ちは不思議になかった。あれだけ、毎日、キラキラしていたのに、どうしてだろう。裕司がいるからじゃない。もう、私の心は人間じゃなくなったのかもしれないわね。
翌日、ニュースで小さく、荻窪の火事として取り上げられていたけど、そんなに話題にもならなかった。でも、警察では、火元が不明確であり、仮にタバコの火の消し忘れだとしても、こんなに大きな火事になるかと疑問を持ち始めていた。
拓人が住んでたマンションの防犯カメラは、裕司がネットを通じて切っていたから、私たちの顔はバレていないんだけど、こんなに都合よく防犯カメラが切れていたことも警察の不信感を招く一因になったんだって。
でも、警察の疑問は、それ以上の捜査には繋がらなかった。
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