不良薬師の嫁取り

@ktsm

第1話



お前は、顔があまりよろしくないから心根だけでもよくありなさい。


 これは、ヨノの両親が事あるごとに口にする言葉である。


 ヨノは、都でも一番大きな薬問屋『ジノン』の娘として生まれた。上には姉が三人いて、それはそれは評判になるほどの美人揃いだったのだが、どうしてか四番目に生まれたヨノだけは、様子が違っていた。

 姉達の造作を人形師が作った娘人形とするなら、ヨノの造作は素人の木彫りである。

 顔の輪郭は柔らかな丸で、狸のように垂れたまあるい目と目の間にちょこんとこれまた丸い鼻があり、眉は太い。

 おやまあ、あんたは誰に似たんだね、と悪気なく訊かれたことなど数えきれない。

 何しろ、美人の姉同様、両親もまた美人だったのである。

 そんなわけで、娘の将来を案じた両親は事あるごとに冒頭の言葉を娘に言い聞かせてきた。

 なかなか酷い言いようなのであるが、素直ヨノは、あっさり受け入れて、そんならいつでも朗らかでありましょ、とにこにこ笑っている娘になった。

 なにを言われても、にこにこにこにこ。叱られても貶されても「はい、かしこまりました」と穏やかに受け止める。

 

 そうすると、顔にも中身が染み出してきて、木彫り人形もそれなりに可愛らしく見えてくる。


 お陰で、すんなり嫁の貰い手も見つかって十六の年に、街道沿いの旅籠へ嫁いだのだが、ここの姑がまあ気の強い人だった。

 やれ、飯はまだかだの、洗濯が遅いだの、掃除はテキパキ終わらせろだのとヨノの後ろをついて回っては、せっせと怒鳴ってくる。

 ヨノは、あらまあ、お義母さんったらずいぶんと私のことが気になるのねぇなんて、ほけほけ思いつつ、いつもの笑顔で流していたのだが、それがまた姑の癇の虫に触れたようだった。ますます当たりが強くなって、すれ違えば「おお、薬臭い」と袖で鼻を覆い、顔を合わせれば「あの家の娘は美人揃いと聞いていたから嫁にもらったのに、とんだハズレを引いたもんだよ」と憎々しげに繰り返し、ついには「気に入らない」とことあるごとにすりこぎで叩かれるようになった。

 これには、さすがのヨノも困った。なにしろ痛い。着物の上からだって、思いっきり叩かれたら青あざになる。

 姑は賢い人なので、絶対に顔や手足など人から見える場所は叩かなかった。いつだって、二の腕とか脛とか背中とかとにかく着物で隠れて見えないところばかりを狙って、バシン、とやるのだ。

 夫はといえば、これまた絵に描いたような色男で、馴染みの女があっちこっちにいる様な状態でほとんど家にいない。

 これも姑の機嫌を悪くする要因で、元を正せばヨノの婚姻は、この跡取り息子に取り憑いた色狂いを祓うためのものだった。嫁を貰えば少しは落ち着くだろうと思ったのである。ところが、祝言の席でヨノの顔を見た夫は「ハズレを引いた」とげんなりした顔で、初夜からスタコラ逃げ出し、ますます他の女に入れ込む様になった。


 当てが外れた姑は大いに臍を曲げ、躍起になって「お前がなにもかも悪い」とヨノに当たっていたわけである。


 忘れていけないのが、ヨノの嫁ぎ先が旅籠だということだ。そんな生活が二年も続けば客もさすがに、どうやらあすこの姑は嫁をいびってるようだ、とひそひそするようになる。


 その噂が、馴染みの女のところで、ごろごろしていた夫の耳にも入ってきた。夫は、まさか、と笑った。なにしろ、このおっ母さんは息子にはとにかく甘く優しい人だったのだ。息子は父親にはバシバシ叩かれたが、母親にはいっぺんだって叩かれたことはなかったし、父親が働きすぎで倒れて亡くなってからは、ますますちやほやされて育った。


 そんなわけだから、あの優しいおっ母さんが、嫁を叩いたりしないよ、と息子は笑っていんだけれども、何度も噂を聞くうちに不安になってきた。ついには、馴染みの女の一人に「そんなに気になんなら、ちょっと帰って様子見てくりゃいいじゃないの」と尻を叩かれて、ふらりと帰ってみた。


 そしたら、まあ、優しい人だとばかり思っていたおっ母さんが、鬼みたいな顔してすりこぎ振り上げていた場面に出くわしてしまったのである。


 おっ魂消た息子は慌てて、おっ母さんの腕を掴んで止めて嫁に「⋯⋯ 大丈夫か!」と声をかけた。本当は名前を呼びたかったんだけども、すっかり嫁の名前も忘れてしまっていたのである。夫としてはダメダメな息子だったが、あちこちに馴染みの女がいるくらいには女のことを知っていたので、青ざめてるおっ母さんの顔を見て、あ、この人も女だったんだな、と妙に納得してしまい、呆然としている嫁を抱えてこれまたスタコラ逃げた。


 このままおっ母さんと嫁を一つ屋根の下に置いといてはいけないと思ったのだ。

 逃げ込んだ先は、やっぱり馴染みの女の家で、彼女は嫁を抱えて駆け込んできた男に呆れた顔をしつつ、元々面倒見のいい性格だったので、甲斐甲斐しくヨノの世話を焼いてくれた。


 そこで、ヨノの身体があざだらけなのもわかり、息子はヨノとの離縁することに決めたのである。離縁にあたっては、全面的にこちらに非があるとして、申し立ててくれたのでヨノにあらぬ疑いがかかることはなかったが、出戻りの娘の扱いに両親は心底困ってしまった。ゆっくりしていいんだよ、と言いつつ、さて困った困ったと本人がいないところで額を突き合わせていうものだから、ヨノとしてもなかなかに心苦しい。

 そうして半年が過ぎた頃、今度は弟の婚姻が決まった。翌年には嫁が来る。しかも、弟自らせっせと口説いて口説いて口説き落とした評判の美人である。恋しい女が来るのに出戻りの小姑がいるのは少々具合が悪い。弟から、早う早うどこぞに姉を嫁に出してくれとせっつかれ両親もさらに頭を悩ませた。


 この頃、じつは家業の薬問屋にも問題が発生していて、父親は頭が痛かった。というのも、雇っている薬師の中に、抜きん出て腕の良い若者が一人いたのだが、こいつがとんでもなく意地の悪い捻くれ者で、他の薬師たちととにかく相性が悪いのだ。


 名を、ナダという。

 ナダは、馴染みの薬師から「腕は俺よりもいいから」と拝み倒されて引き取った若者だった。

 彼は背筋がすっきり伸びて、薬師らしく清潔感があり、引きむすんだ唇もキリッとしていた。目はやや生意気だが、見れば見るほど彫り師が一生をかけて作り上げた作品のようにどこもかしこも整っている。

 薬師というよりは役者や舞手と言われた方が納得のいく美男であった。

 迎え入れた時など、いい年した女房から薬師たち果ては息子まで、ポーッと頬を染めたくらいである。

 

 これなら、店先に立たせておけば若い娘が寄ってくるんじゃないかと、父親は目論んだが、それは程なくご破産となった。


 なにしろ、このナダという青年、ほとんど喋らない。やっと喋ったかと思えば皮肉しか言わない。

 その上、態度も悪く、やれ、ナダが他の薬師の薬湯をひっくり返しただの、他の薬師が使うために干していた薬草を勝手に捨てただの、他の薬師が調合しているところに来て蹴り飛ばしただの、例を挙げればきりがない。


 薬師同士で殴り合いの喧嘩になったことも一度や二度ではない。


 父親とて薬問屋の主人として、散々にナダを叱ったが、ナダはちっとも懲りない。叱られている時ですら、目を閉じて返事すらしないのだ。

 飯を抜こうが、折檻しようが、しれっとしていて、翌日になれば、また他の薬師が用意していた薬を勝手に作り直したりしている。



 そして、この男の最も厄介な点は、薬草の目利きと調合に関しては天賦の才があるということだった。同じ薬でもナダがつくれば効き目が抜群に違う。


 特にナダが新しく作った軟膏は、あかぎれや霜焼けによく効くと都どころか地方の女性たちに評判で、安価な値段も手伝ってあっという間に薬問屋の売れ筋になった。

 今では「あかぎれや霜焼けなら薬問屋のジノン」と言われるほどの商品だ。

 お陰で大きな診療所の医師からの依頼もくるようになり、売り上げは右肩上がりである。


 有能だが他の薬師と折り合いが悪く生意気で可愛げのないこの青年を父親は完全に持て余していた。


 そこに、娘が出戻ってきたのである。


 ああ、どうして問題はこうも重なるのかと父親が頸をかいた。



そこへやってきたのは、跡取り息子である。


 彼は愛しい愛しい嫁とようやく結ばれたのに、姉が出戻ってきたので、嫁の機嫌が悪いのを大層気にししていた。


 嫁にとってはただでさえ慣れない婚家で、姑だけでも気が重いのに、出戻りの小姑にまで気を遣わなくてはならないのである。離縁したばかりの小姑の前で、新婚らしい振る舞いも気が引け、せっかく好きあって結ばれたのに少しも気が休まる暇がない。


 それは息子も同じだった。


 さて、どうしたもんかと眉間に皺を寄せていた息子は、姉が洗濯タライを抱えて歩いているのを見て足を止めた。


 姉は息子に気がついていないようである。

 大きなタライをいっぱいに、薬師たちの着物を入れて物干し竿のある裏庭に向かっている。


 これを見て、息子は嫌な気持ちになった。

 嫁が「お姉さんが、私の仕事を取るの。私がしますって言っても、いいとおっしゃって・・・・・・ 。私が鈍いから呆れてるんだわ」としくしくしていたのを思い出したからである。

 文句の一つも言ってやろうと思った息子は向こうから来る男を見てぴたっと止まった。


 男はナダだった。


 ナダは、無言で姉のそばに行くと、タライを掻っ攫い、スタスタ歩き出したのだ。


 姉が慌てて追いかけても止まることなく、裏庭でタライを下ろして、これまた黙々と着物を干していく。

 その手つきは、テキパキと素早い。


 息子は、唖然とした。

 あのナダが!

 他の薬師を『カカシ』と罵るナダが。

 姉を手伝って薬師たちの着物を干している。


 姉も姉で、ナダにぺこぺこ頭を下げた後は、にこにこ一緒になって着物を干し出した。

 こちらは丁寧だがナダに比べるとやや遅い。


 しかし、ナダは一言も文句を言う様子もなく、全ての着物を干しきり、またタライを持って歩き出した。


 その後ろをやっぱり姉がついていく。


 息子はそれを、口をぽかんと開けたまま見送った。


 あいつ、人に親切なんてできたのか。


 そこで、息子はふと妙案を思いついた。


 ああ、そうだ。


 姉さんとナダを結婚させてしまうのはどうだろうか。


 どちらも厄介者だが、下手に追い出せば薬問屋の名前に傷がつく。薬問屋は評判が命だ。円満にどちらも追い出すなら慶事にしてしまえばいい。


 ナダも腕はいいのだ。

 他の薬師と鉢合わせないよう、外に囲って、薬をジノンで買い取って売ればいい。


 父親は仕入れ値をケチって、ナダを外に出したがらないが、姉を嫁がせた縁で卸値を安くできれば説得できるのではないか。


 そうして、善は急げと息子は父親の元に駆け込んだのである。



 父親は案の定渋った。

 そんなにうまくいくかと思ったし、そもそもあのナダが人に親切をするなど信じられない。それもさして器量がいいわけでもない出戻りの娘に。


 けれど、息子も諦めない。

 なにせ、新婚期間は短く一生に一度きりなのだ。嫁の不安は取り除き心置きなくいちゃつきたい。


 ひそひそやんやん親子は言い合った。


 ああ、けれどまさか。


「独立するにあたり、嫁にヨノさんをいただきたい」


 ナダの方から申し出てくるとは誰が思うだろうか。

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