詐欺師貴族

湖城マコト

第1話 その日、スリ師の少女は詐欺師と出会った。

 穏やかな昼下がり。大陸の中央部に位置する大国、オルグイユ王国北部の地方都市メサージュの市場は、大勢の買い物客で賑わいを見せていた。


「おっと危ない」


 三つ揃えのツイードスーツを着た金髪の青年と、フード付きのマントを着た銀髪の少女とが出会い頭にぶつかりそうになった。青年が咄嗟に立ち止まったので、少女とは軽い接触で済んだ。


「怪我はないかい?」

「急いでたんです。驚かせてごめんなさい、お兄さん」


 青年の気遣いの言葉に少女は申し訳なさそうに頭を下げると、足早に雑踏の中へ消えていった。


「よし、今日も上手くいった」


 人気のない路地裏へと駈けこんだ少女は、金髪の青年から盗んだ革財布をマントの中から取り出した。少女はスリの常習犯で、市場や繁華街を狩場に、身なりの良い通行人から財布や宝飾品を盗むことで生計を立てていた。少女の腕前はかなりのもので、誰もが直ぐには持ち物を盗まれたことに気がつかない。盗みの技術はもちろんのこと、少女の一番の武器は、限りなく存在感を消すことが出来る生まれついての才能にある。


 これは技術云々ではなく、正真正銘の特殊能力で、世間一般ではデュナミスと呼称されている。デュナミスの種類は多種多様。生き物の声が聞こえる、少し先の未来が視えるなど、様々な能力が確認されている。技術として会得出来る魔導では再現不可能な能力も多く、使い方によってはとても強力な個性となる可能性を秘めている。


「それにしても、私を気遣うなんて珍しいな」


 存在感を消すデュナミスによって、少女に気がつくものはこれまでにはいなかった。軽い接触があっても、気のせいに感じて終わることが大半だ。にも関わらず金髪の青年は、少女を気遣う様子まで見せていた。財布を盗まれたことに気付いた様子はなかったが、少女をあそこまではっきりと認識する人間は珍しい。顔を覚えられたことはスリ師としては不覚だ。


 少女は存在感を消しているだけで実体は確かにそこにいるし、印象が薄いだけで確かに視界上にも存在している。勘の鋭い人間ならば、少女を意識することも決して不可能ではない。笑顔の素敵な好青年だったが内には、警戒心の強い一面を秘めていたのかもしれない。


「まあいいや。どうせもう会うこともないだろうし」


 少女は上機嫌で盗んだ革財布を開いた。青年は素人目にも分かる上物のスーツを着こなし、その佇まいも気品溢れるものだった。裕福な立場の可能性が高く、財布の中身にも自然と期待が高まる。


「って! なんじゃこりゃー!」


 財布の中身を見て少女は唖然とした。ミスリル硬貨どころか銅貨一枚入っていないスッカラカンである。好青年のような面をして、直前にギャンブルで全額溶かしてしまったのだろうか。顔を見られたことで慌てていたが、思えば最初から違和感はあった。盗んだ財布はあまりにも軽すぎたのだ。


「見事な手際だったね。この僕から財布を盗むなんてやるじゃないか」


 路地裏に響き渡った声に少女は背筋を振るえ上がらせた。おそるおそる振り返ってみると、先程の金髪の青年が軽快な拍手を伴って歩みよってきた。


「だけど残念。そっちは偽物だよ」


 満面の笑みを浮かべた金髪の青年は、背中に隠し持っていった本命の財布を取り出して見せた。


「偽物? どうしてそんなことを」

「人混みの多い場所を歩く際の備えだよ。常に警戒は怠っていないが、万が一ということもある。スリが狙ってきそうな場所にはいつも偽物を仕組んでいるんだ」

「人の良さそうな顔して、抜け目ないお兄さんですね」


 いまさら言い逃れは出来ない。肩をすくめて大きな溜息をつくと、少女は盗んだ空の財布を青年へ投げ渡した。バレてしまった以上は、このまま衛兵に突き出されても文句は言えない。


「一つ聞いてもいいですか? 盗んだ私が言えた義理ではないけど、盗まれたのはスリ対策の偽物なのに、どうして追いかけてきたんですか?」


 被害は最小限だったはず。お金持ちならば、盗まれた空財布のことなど気にも留めないだろう。正義感に厚い人物という可能性も考えられるが、だったらすでに衛兵に通報して一緒に現場を押さえようとしているはずだ。


 満面の笑みを浮かべてどこか状況を楽しんでいる様子といい、青年の行動には違和感を覚える。


「呆気に取られたスリ師の顔を拝むのは最高の愉悦だと思わないかい?」

「うわー……悪趣味な金持ちの遊び」


 胡散臭い笑みと、冷めた視線が交錯する。

 流石にからかい過ぎたかと、青年は苦笑を浮かべて咳払いした。


「今のは冗談だ。言っただろう。偽物を仕込んではいるが、僕はそもそも警戒を怠っていない。君はそんな僕から空とはいえ財布を盗んでみせたんだ。どんな相手なのか興味が湧くじゃないか。腕前も優秀だが、特筆すべきは存在感の異常なまでの希薄さだね。懐が空財布の分軽くなる感覚が無ければ、僕も君と接触したことに気が付かなかったかもしれない」


「最初から気づいていたんじゃなくて、その時初めて私の存在に?」


「そうだよ。身に起こった違和感には常に気を配っておかないとね。一度存在に気づいてしまえば、君を意識することは難しくなかった。消えているのは姿ではなく存在感だけだからね。視界にさえ収めておけば、後をつけるのも容易い」


 少女は無言で笑顔を引きらせるだけだった。どうやらとんでもない相手の持ち物に手をつけてしまったらしい。


「限りなく存在感を消す君の能力、デュナミスの一種だろう?」

「そうですよ。存在感を限りなく消すデュナミス――フスクス(希薄存在)。それが私の持って生まれた才能。世間ではデュナミスの力で平民からのし上がる人達もいるけど、生憎と私の能力は地味だし、バレずに盗みを働くくらいしか思いつきませんでしたが」


 本人は自嘲じちょうしているが、存在感を消す能力は例えば暗殺など、殺しに特化した使い方をすればとんでもない成果をもたらす可能性がある。その可能性に思い至らない辺り、盗みに手を染めようとも、少女の根は善人なのだろう。


「種も仕掛けも分かったところで、これから私をどうしますか? 衛兵に突き出す? それとも人買いにでも売り飛ばす? 希少なデュナミス持ちは高く売れるそうですしね」


 どちらにせよ明るい未来は想像出来ない。少女は話を長引かせている間に何とか逃げる隙を伺う。


「そんな真似はしないよ。それよりもその才能を僕と一緒に生かすつもりはないかな?」

「はい?」


 思いもよらぬ返答に少女は頓狂とんきょうな声を上げた。


「僕はこれからこの町で大きな仕事を計画していてね。ぜひとも君にも参加してもらいたんだ。もちろん相応の報酬は約束するよ」

「貴族か素封家そほうかか知らないけど、私みたいな人間が、お兄さんみたいな高貴なお方の仕事に必要とは思えませんけど?」

「おっと、そういえばまだ身分を明かしていなかったね。僕の名前はアンリ・ラブラシュリ。貴族でも素封家でもない。僕の生業は詐欺師だよ」

「詐欺師? お兄さんが?」

「僕が相手にするのは上流階級の人間たちが多いからね。相応の装いや立ち振る舞いは常に意識しているよ」


 素人目にも分かる上物のスーツに気品あふれる佇まい。容姿は身分とは直接関係しないが、金髪青眼で王子様のように整った顔立ちもまた、高貴な身分と思わせるだけの説得力を持っている。スリを追ってきた変り者とは思っても、まさか詐欺師などとは夢にも思わなかった。


「それで、詐欺師のお兄さんがこの町で何をしようと?」

「今回の僕の標的は大商人のバンジャマン・ラングランだよ」

「……バンジャマン」


 その名前を聞いた瞬間、少女の目の色が変わった。


「彼の悪評は僕も聞き及んでいるよ。僕の詐欺は悪徳商人や腐敗した貴族だけを標的としていね。どうだい。君も計画に一枚嚙んでみないかい?」

「やります」


 それまでアンリをいぶかしむ様子だった少女が、バンジャマンの名前を聞いた瞬間に即答した。詐欺師の手伝いをするつもりなんてなかったが、相手がバンジャマンならば話は別だ。


「即答とは気に入った。君の名前は?」

「メロディ。私の名前はメロディ・ラパラ」

「よろしくメロディ。さっそく君を僕の拠点へ案内しよう」

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