第02話 あの真面目な義兄が不倫だと?

 

 ひと通り下見を終えて、張り込みの準備をまとめた十文字は、SNSで義姉の重松沙織に連絡を入れた。お久しぶりです、お元気ですか、と。


 十文字の嫁、詩織は、1年前にターボ癌で亡くなった。享年32歳。

 ある日、どうにも調子が悪いと言うので病院に行ったら、いきなりステージ4の、いわゆるターボ癌だった。転移もあちこちに進んでいて、医者も匙を投げた。


「モジモジ? 無理……しなくて……いい……から……ね」


 十文字が聞いた詩織の最後の言葉だ。

 詩織は、そう言うと、ベッドから、ようやくといった感じで、ゆっくりと手を出すと、それを十文字の手に乗せて目を閉じた。


 十文字には、闘病する経済力も無く、せめて安らかに旅立って欲しいと、痛みを和らげることしか出来なかった。薬の影響で、ほぼ寝たきりのまま、体中の臓器が少しずつ眠りについていく、そんな最期だった。


 十文字は、横須賀の海で詩織の散骨葬をして以来、沙織とは連絡を取っていなかった。沙織から季節の便りは来ていたものの、どうしても返信する気になれなかったからだ。



   *   *   *   *     



 3週間の張り込みが終わり、そう言えば返信来てないよな、と思い出してスマホを手に取る十文字。


「なんだよ。義姉ねえさん、まだ見てないのかよ?」


 1年間も放っておいた癖に、いざ連絡し始めると繋がるまで落ち着かない。

 しょうがねえな、と電話を掛けてみると、お客様の掛けた電話番号は……、という素っ気ないメッセージが流れた。

 

「どういうことだよ」


 と、ボヤいていたところへ着信が入った。どうやら公衆電話からだ。


 ?を浮かべながら、十文字が電話に出ると、

『もしもしー。モジモジ?』

 と、懐かしい義姉の声が聞こえてきた。


「ちょうど、さっき電話してたとこだったんですけど?」

『それねー、スマホが壊れちゃって身動きも出来なくてさ。ごめんねー。私ね、先月交通事故に遭っちゃってさ、入院してるのよ。看護師さんに頼んで、モジモジのホームページ調べて、公衆電話から掛けてるところ』

「交通事故とは、只事じゃないですね。義兄にいさんも早く教えてくれればいいのに」


 十文字は、2つ年下だというのに、この義姉には頭が上がらない。詩織との仲を取り持ってもらった恩義もあるが、なぜか昔から敬語で話してしまう。


『やっぱ英輔は話してなかったかぁ。スマホ買ってきてって言っても、うにゃうにゃ言って全然動いてくれないしさ。それで痺れを切らしてモジモジに連絡したのよ』


「で、スマホ買ってくればいいんですか? 壊れたスマホは持ってます?」

『うん、あるよー。でねー、もうひとつお願いがあるのよ』

「どうしたんです?」

『モジモジの本業、浮気調査のお願い』

「義兄さんが?」

『そおなのー。どうーも怪しくて。昨日見舞に来たんだけど、入浴剤なのかなあ?

うちの匂いじゃないのよ。もしかして浮気かも、って思ったら余計じっとしてられな

くなっちゃってさあ。詳しくは会って話したいんだけど。いつ来れる?』


「明日行けますけど」

『そう? 助かるー。ここの病院はねえ、EXVエグゼブ馬堀海岸リゾートってとこ』

「リゾート? 病院じゃないんですか?」

『そう、すーっごいの。高級旅館みたいな病院。――あ、10円玉切れそうだから、もう切るね。じゃあ、明日ねー』


 ――あの真面目な義兄が不倫だと?


 十文字より1つ年上の重松英輔は、十文字が知る限り、浮気をするような女好きでもなく、仕事が趣味という、生真面目が服を着て歩いているような男だった。


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