WETROID ー探偵 十文字景隆ー
炊込物語 のしまる
第1章 托卵の夢
第01話 泡姫が消えたって? そんなん普通だろ?
『LibertyTeller』
これをレバタラと読ませるらしい。
カウンターが6席程のその小さなバーは、横浜は、伊勢佐木町に程近い裏通りに、ひっそりと佇んでいた。
カウンターには男が2人。
「それでね、モンジさん。エメラルドちゃんって子が、すっごくいい子なんですよ。実家は静岡の方なんですけど、集中豪雨で家族と家を失って、頼れる人が誰もいなくて横浜に出て来た子なんです」
泣きそうな顔で、そう力説するのは、山上英二君。プラント大手に勤めるエンジニアで、華の独身を謳歌する30歳だ。
ふんふん、と隣で相槌を打っているのは、十文字景隆、35歳。浮気調査を得意とする大手探偵事務所の孫請けを始めて3年。まだまだ駆け出しの探偵である。
「20歳なのに、純朴で優しくて、中学生みたいに箸が転んでも笑うような子で、風俗の仕事なのに前向きで、サービスがひとつひとつ丁寧で一生懸命なんですよ。先月のバレンタインは半日店外デートして、ラブラブに過ごしていたんですが、急に連絡が取れなくなっちゃって……」
――泡姫が消えたって?
そんなん普通だろ?
と十文字は思う。『宝石館』というその店は、ルックスもスタイルも良くなければ働けない高級店だ。小さなアパートの家賃程の料金のその店で、店外デートをしたとなると、この山上という若者は、バレンタインのデートで相当奮発したのだろう。
「俺も浮気調査してたら、嫁が風俗で働いてたってことが何度もあったが、そういう時は、大抵、跡形もなく消えてったな。ストーカー対策でスマホも使い分けて、消える時は、後を残さず消える。――その子にもストーカーめいたモンスター客がいたんじゃないのか?」
「そんなモンスター客がいて、辞めるつもりだったら、ひと言くらいは話してくれた筈なんです。それどころか、エメラルドちゃんは、――みどりちゃんは、お店の華南研修に選ばれたって喜んでたんですよ。滅多に選ばれることがない、名誉な事らしいんですけど」
「なるほど、山上君は、その子が本名を教える程の信頼関係を築いてたんだねぇ」
そう言って、店主のノシマルが腕を組んでうんうんと頷く。
「そうなんですよ! ところがですよ。昨日、上大岡の美容室で、偶然みどりちゃんを見掛けたんです。いつの間にか美容師になってて……。それでお店が終わるのを待って、出て来たところに声を掛けたんですよ」
――それ、充分ストーカーだろ?
とは口に出さず、十文字は山上君の言葉を待つ。
「そしたら、何なんですかあなた! これ以上しつこいと大声出しますよって……。思い出して知らんぷりするならまだ解るんです。でも、全然知らない素振りって、僕達の信頼関係はこんなもんだったのかって。――うぅぅ」
カウンターに突っ伏す山上君。
「確かにそれは変な話だな……。風俗から足を洗って普通の仕事をしていて、過去を
知る男が出てきたら、口止めしようとするのが普通だろうし……。実は、双子の姉妹がいたとか、そういうんじゃないのか?」
突っ伏したまま首を振る山上君。
――消えた泡姫……、か。
* * * *
その数日後、十文字は浮気調査の張り込みの下調べに、上大岡という街に来ていた。
大岡川の3分咲きの桜並木を歩いていると、橋の袂に美容室らしき店がある。
「ここが、山上君の言っていた店か?」
中を覗き見ると、雑誌を手に、鏡に向かって美容師と談笑している女性の顔に、十文字は見覚えがあった。
「
その女性は、1年前亡くなった十文字の嫁、詩織の双子の姉、沙織だった。
「ちょっと記録しておくか……」
左手のグローブの甲を店内に向けて、眼鏡を直す素振りでシャッターを切る。
レザーのグローブの左手の甲には、ハーフミラーの裏に、通常、広角、望遠のカメラが仕込まれていた。このカメラはスマホの外部デバイスになっていて、中指と親指を合わせるとシャッターが切られる仕組みである。
右手のグローブの甲に取り付けた鏡面加工のプレートの下には、義姉の沙織お手製のレーザーが仕込まれていた。
基本的にはレーザーポインターみたいなもので、親指の第1関節と人差し指の第2関節を合わせるとチャージ。離すとレーザーが放たれる。
チャージ時間が長いほど出力が増す仕様で、最大出力なら2mmくらいの鉄板にも穴を空けられるというおもちゃだ。
十文字が独り立ちする時に、沙織から贈られたものである。
ちなみに、指と手のひらにはピアノ線が縦に何本も張られており、刃物を握れる仕様である。探偵たるもの、こうした小道具は必需品なのだろう。
沙織は石立重工のレーザー技術者で、夫の英輔も同じ石立重工の水素発電エンジニアだ。ふたりとも横須賀リサーチパークの研究所で働いていた。
――帰ったら、久しぶりに義姉さんに
連絡してみるか。
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