お疲れ様と言われたい人がいる。
あおいそこの
Nao
『私は貴方に言って欲しい。』
ご飯は一緒に食べても外食になったし、レンチンの温かさに感動されても困るよねって感じで作ったごはんの感想を聞こうともしない。
寝室だってもう半年は一緒じゃない。疲れてるくせに意地張ってんのか知らないけどソファで寝やがる君のことなんてもう微塵も好きじゃない。一緒のベッドに入る勇気もない童貞みたいな君のことなんか全然愛してない。
最後にシたのは一体いつだった?私全然覚えてないんだけど。記憶に残るような「シた」をしたのはもう年単位で前の事じゃない?
倦怠期ってやつなんて来ない来ない。来たとしても一緒なら乗り越えられるよってゲロ吐くくらい甘ったるい言葉は何処へ消えたの?もしかして私が消したの?
でもさ君だって責任を担っていると少なからず思うんだよね。
これって私の悪い癖?だったら正しに来なよ。一緒のベッドに入ってご覧なさいよ。
私から行く勇気がないことは知ってるでしょ?
ってこれもまた私の悪い癖。ちゃんとわかってるじゃんって褒めに来なよ。
仕事で疲れた時に同僚のお疲れ様からじゃ得られない何かが貴方のお疲れ、にはあるんだけど。
どうしてそれが分からないのかしら?
私は貴方にその特別な養分をあげられていなかった?
帰ってこない貴方を待って、寝る時間が1時間くらい遅れてるんだけどさ。肌に悪いかも、って全然心配もしないし。1人で観る映画は面白くないから、死にかけた趣味に降格したし。
貴方と一緒にポップコーンを食べたいからごちゃごちゃ陳列された商品の中にアルミ皿と種が一緒になっているポップコーンの前段階を見ると買いそうにもなるんだけど。
「おかえり」
「ん、風呂入るわ」
「そう」
久しぶりにする会話はこんな程度。私の方から勇気を出してみるべき?
大学では追いかけたい女ランキングに勝手にランクインしてたらしいけれどその時の称号ってまだ有効なのかな。
私、貴方に追いかけられたいわ。
でも惨めでもいいから話がしたい、かもしれないわ。
「ねぇ、お疲れ様」
「え?」
振り返った貴方。
久しぶりにちゃんと顔を見たかもしれない。目がどこにあるのかも思い出せない、って友達にランチで吐いた愚痴は過大表現だったみたいね。ちゃんと鼻を挟むように額の下にくっついているじゃない。
「いつも、お疲れ様。ご飯の用意、してるから」
「分かった。ありがとう」
ぎこちない感謝の言葉も出会った頃みたいだ、なんて。
思ってるのかな。
お互いの考えが手に取るように分かるのは今も変わらない。何が欲しいのか。何がいらないのか。それを未だに察する能力が健在だから私たちは続いているのかもしれない。もし本当にそうなら、私たちはもう終わりだね。
でも違うじゃない。ちょっと照れ臭そうに会社のカバンを玄関に置き去りにして洗面所の方に去っていったのを私は見逃してないよ。
貴方の心の中身はやっぱり分からないんだけど。
「大丈夫かな」
味付け。
無意味な心配。今日は何故かいつも以上に心配してしまう。
味見をし過ぎてもう若干お腹は埋まってきている。こんな私を愛らしいって表現するのが君の義務ね。お義父さん譲りの詩的な表現で私を表さないと。
私が一番輝いている瞬間を表現してくれるって約束したでしょ?
その度に、私に惚れ直させてみせるって。
上等。惚れ直してやろうじゃないの、今夜。
「おい」
「あ、座ってて。すぐ…」
「お疲れ」
「へ?」
突然の言葉に驚く。
コンタクトを外して眼鏡になっている貴方が急に過去の君と重なった。風が吹くと靡くような髪型をしていた君に。短く切りそろえられて、ワックスで上げられていた髪の毛が下ろされた貴方と。
「いつも、その、ありがとう。飯、美味いよ」
「えっ、いや。嬉しい、わ」
「今日は、なに?」
「えっとね、シチュー。鶏肉が、安かったから」
「嬉しい。お前のシチュー好きなんだ」
素直な感想に思わず顔が赤くなる。鍋をかき回す速度が速くなる。
「お皿、取ってもらえる?」
「あぁ」
迷わずに棚の上段を開ける。
意外にもちゃんとお皿の位置を把握していることに惚れ直した。私が貴方を表現してしまっているじゃないの。
「何探してるの?」
冷蔵庫の中を見てきょろきょろしている貴方に声をかけた。
「ビールなら肉魚の上のところにあるでしょ?」
「昨日の、からあげ。あれ、美味かったんだ」
「え、ごめん。今日お昼に食べちゃった」
「マジか」
「また作るよ。適当に作ったから味違うかもしれないけど」
「頼む」
こんなに会話したのは久しぶりだなあ。
ダイニングテーブルに座っる。BGMのテレビは消えている。尺繋ぎは私たちの呼吸だけ。
「いただきまーす」
「いただきます」
ちょっと、わざとらしい?
私ばっか、気にしてる。
いいのいいの。無礼講で行こう。
よかった。
毎日美味しいと思ってくれていたんだ。
ちゃんとこの家のこと知ろうとしてくれているんだ。
そして覚えてくれるんだ。
「なぁ」
「ん?どうしたの?」
「これからちゃんと話さないか?」
急に持ち掛けられた話にびっくり。
これからの話ってどういうこと?
離婚?
離婚直前だからそんなにも愛想がいいの?
「飯の感想も、ちゃんと言うし。行ってきますって言う」
小学生の目標か。
「名前で呼びたい」
小学生の恋か。
「映画、観よう。ポップコーン食べたい。あの味付けすっごい好き」
「適当だよ」
「正しい方の適当なんだ。俺にとって。一緒に食べるポップコーンはさ」
「照れるよ」
心配しなくてもよさそうだった。
「触れたい」
「え…」
「触れたかった。ずっと」
真面目な顔をして私の方を向いてくるものだから。目を離せなくて、貴方が席を立って私の方に回ってくるのを目で追っていた。
そして優しいキスをされて、ちょっとだけビールの香りがした。
私も、と言うには私の痛覚が耐えられなかった。ドラマが嫌いで、映画が好きな理由も私の痛覚。イタイ女にはなりたくないよ。こんな私をまだ好きでいて。
その代わりに出てきた涙を君を驚かせた。
「ごめんね。嬉しいの…」
「うん」
「私もちゃんと行ってらっしゃいって言うし、私も貴方のこと名前で呼びたい。ご飯ももっとおいしく作れるように頑張るわ」
「もうすでに十分美味いよ」
触れて欲しかった。
その一言を言うのに高飛車な私がどんなに苦労するか貴方は知らないでしょう。
「触れて欲しかった」
案外すんなり言えちゃったじゃないの。覚悟を壊してくるくらいの愛が貴方にはあるようね。
「高慢なバラでもあって、引っ込み思案のカスミソウでもあるね。お前は存在が花束だ」
「恥ずかしいこと、言うんじゃないわよ…」
「ははっ、恥ずかしいことを書き連ねるのが俺の仕事だ」
「一生、言ってなさい」
「お前に一生花束だね、って言っていいんだ。最高の名誉だよ」
「ふん…」
私の涙を指で拭って貴方は君のように私にぎこちないキスをした。
「お疲れ様、ナオ」
私の寝落ちた横顔を見ながら貴方はそう言ったらしい。
何が起きたのかは私と貴方以外知らない。
君も知らない。
ーーー
あおいそこのでした。
From Sokono Aoi.
ーーー
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