氷の魔術師と春薔薇の乙女

@ktsm

第1話

 春の王国に魔性の女がいた。

 名前をローズという。

 平民出身の可愛らしい見た目の女だった。

 女は身分を問わず広く開かれた学園に入学すると、魅了の禁呪を用いて、一国の王太子をはじめその側近たちを惑わした。

 女の目的は、国家の転覆であった。

 浅はかにも女は王太子たちを意のままに操り、国を乗っ取らんと画策したのである。


 それを暴いたのは、王太子の婚約者であった。

 聡明な彼女は、女を断罪して、王太子たちを魅了の禁呪から解き放ち、国を救った英雄となった。


 女は魔力を封じる刺青を入れられて、国外へと追放された。


 これは、聡明な婚約者の慈悲であった。


 本来なら国家転覆を謀った者は死刑であるが、女が成人前の学生であったこと、ほかに協力者がおらず単独の犯行であったこと、被害が学園内で収まったことを考慮され、婚約者の取りなしのもと、追放処分となったのだ。


 その後、王太子は聡明な婚約者の手を取って正式に謝罪した。婚約者もこれを受け入れ、二人は結婚。

 聡明な王太子妃の誕生を国民は心から祝福し、国はさらに発展を遂げた。

 


 めでたしめでたし。





***



春の王国と冬の皇国との国境にある魔山セルヴィング山脈。その中腹である。

 


「ダメだよぅ!ダメだよぅ! ねえ起きて! お願いっ! ここで寝ちゃったらダメだんだってばあ! 死んじゃうんだよ! ねえったらねえ!!」


 いやだ。死にたくない。


「うんうん! そうだよね! わかるよ! だから、ほら、目ぇ開けてっ。ぱちぱちするの! できる!?」


 無茶を言う。こんな、猛吹雪の中ではこうやって雪に伏しているのがやっとだというのに。


 それでも、必死に呼びかけ続ける幼い声が少しおかしくて、心が和んだ。

 ちょっとくらいは笑えているだろうか。


「あ、ねぇ! 寝たらダメなんだってば! もうすぐだよ! もうすぐ、シャトーちゃんが帰ってくるから!」


 シャトーちゃんとは、誰だろう。

 いや、それどころか、ローズはこの声の主が誰であるのかもわからない。


 生きるために魔の山に入った。

 万年雪と氷に閉ざされた伝説の山だ。

 棲まうのは、この山を作ったとされる御伽噺の魔法使いだけ。

 山越を成功させた者はいない。

 死体さえ雪に呑まれて戻ってきた試しはないという。

 故にこの山は罪人の流刑地となった。


 けれど、ローズは生きたかった。

 国を追われて行く宛もない身で、未来なんて何も描けなくても。それでも、生きたかった。


 雪に足を取られて動けなくなりどれくらい経ったのか。寒さよりも眠気が強くて、どこかふわふわしたような心地がした。

 まずい、と頭の片隅で思うのに、小指一本満足に動かない。


 幼子の声がだんだん遠のいて、吹雪だけが自分の鼓動に混じる。

 真っ白な空白に取り残されて、無性に泣きたくなった。


 いやだ。いやだ。こわい。


 溢れたのは、駄々っ子のような願いだ。

いきたい。生きたい。いきたい。


 初めて滲んだ涙が凍って瞼を縫い付ける。


 こわい。

 生きたい。


 気持ちだけで足掻いた指先に感覚はない。



 生きたい。

 いきたい。

 いきたい。


 踠いて踠いて踠いたつもりの身体は一ミリも動いてないかもしれない。


 けれど。



「煩いんだよ、遭難者」


 吹雪より鋭く冷たい声だった。

 だれ。


「死ぬなら他所で死ね。俺の庭で死ぬな。邪魔だ」


 あんまりにもあんまりな発言をして、声の主は、ローズを雪から引き揚げた。

 まるで仔猫か何かのように襟首を引っ掴まれて、息が詰まる。

 びっくりして涙も引っ込んだ。


 あ、と思った時にはつま先が浮いて、高くぶん投げられていた。


 わけもわからず、どこかに引っ張られるような感覚の中、遠くで「なんで、そんな乱暴なの──!?」と叫ぶ幼子の声が聞こえる。



(あ、うん、それね)


 幼い声に同意した直後、吹雪の気配が消えて、落下した。

 みっともない音を立てて、潰れるように倒れた。

 緑の匂いがする。

 雪のない地面に混乱しつつもローズは呆然と思った。


 吹雪のような声の主を思い出し、あれがシャトーちゃんとやらだろうか、と。


 だとしたら。


(シャトーちゃん、女の子じゃなかったんだ)


 それを最後に、ローズは今度こそ気絶した。

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