短編小説「ふし」

北山'sカシス・オレンジ

 

 ——オヤジが死んだ。


 ある朝、俺の元に一本の電話が入った。それは十数年も疎遠にしていた父親の訃報を伝えるものだった。

 葬儀は今日中に執り行われると言うので、俺は急遽会社を休んで地元へ向かった。

「…あいつ死んだのか。」

 俺は父親が嫌いだった。約束は守らないし、いつもヘラヘラしていたし、料理は下手だし、人にはペコペコするし、こんな人間には絶対になりたくないと幼いながらに誓ったことを覚えている。

 俺に母親は居なかった。俺が5歳の頃、他所で男を作って出て行ってしまったからだ。

 保育園の頃は7時過ぎまで預けられ、小学校の頃は運動会や授業参観に参加しないのが当たり前だった。そういった時の父親は、ヘラヘラしながらいつも決まって、「すまんな。」と謝っていた。

 父親は仕事から帰る時間が遅く、中学に上がった頃からは殆ど会話をしなくなり自然と外へ出歩く時間が増えていった。

 高校生になった夏のある日、悪い友人達と街中を歩いてると、その一人が指を指し笑いながら言った。

「うーわ見てよあのオヤジ。こんな暑いのにあんな格好でオバさんに頭下げてるよ。ダッサ。あーはなりたくねぇわ。」

 そこにいたのは、真夏だと言うのにネクタイを締めジャケットを羽織り汗だくで営業をする父親だった。

 父親がどんな仕事をしていたのか、その時までは知らなかった。それよりも、嘲られている人物が俺の父親だという事を知られるのが恥ずかしかった。

 しかし、人生というのは実に不条理だ。父親は俺がいる事に気がついてしまったのだ。

「おぉたっくんじゃないか。こんな所で奇遇だね。」

 人生最悪の瞬間だった。友の一人はニヤけ面で茶化す様に悪意を持ってイジってきた。

「おぉたっくぅ〜ん。アレ知り合いか??」

「はぁ。知らねぇよあんなオッサン。」

 友人の手前、俺は必死に否定し父親を無視した。

 同日の晩、父親が仕事帰りにソーダ味の棒アイスを買ってきた。

「今日の事はすまんな。」

 父親はヘラヘラしながら言った。そしてこの日を境に「父さん」から「オヤジ」に呼び方が変わった。

 野球の試合を見に行く日に急な仕事で約束を反故にした時も、俺が買った漫画とは知らず間違えて古紙回収に出した時も同じソーダ味の棒アイスを買ってきた。俺はソーダ味が嫌いになった。

 俺は父親を反面教師にするべく、悪友達とつるむのをやめて死ぬ程勉強した。功が奏を成して、無事都会の大学に入学することができた。その後は一人暮らしを始め、彼女が出来、就職し、俺にも家族が——

 俺は実家のチャイムを鳴らすと、父親の妹が出迎えてくれた。

 自室で寛いでいると叔母から一通の手紙を渡された。生前父親が俺宛に書いた物らしい。


*拝啓、隆史へ

 まずは、今までお前としっかり向き合ってやれ無かったことを謝りたい。すまない。

 お前に大切な話があるのだが、面と向かって話す勇気がないので、筆を取った次第だ。臆病な私を許してくれ。

 お前とお前の母親について知ってもらいたい。

 お前の母親は昔から男癖の悪い女だった。私と一緒になる前には既に父親の分からない子供を宿していた。私は産まれてくる子供が、「望まれなかった子供」という事実が不憫でならなかった。だから私はお前の母親と結婚を決意した。そして産まれたのが、お前だ。

 私達は一生懸命にお前を愛し、育てた。しかしお前の母親は育児に疲れたのか、ある日買い物に出かけたまま帰ってこなくなった。別の街で他に家族を作っていた事を知ったのは十数年後の事だった。

 長くなってしまったが最後に、私は決して立派な親では無かったと思う。我慢させてしまった事も沢山あると思う。けど、これだけは伝えさせて欲しい。

 産まれてきてくれてありがとう。私を父親にしてくれてありがとう。沢山の楽しい時間をありがとう。隆史が俺の息子で本当に良かった。

 身体に気をつけてな。

 それと野球、見に行けなくてすまんな。

 ソーダ味のあのアイス、沢山買ったから近いうちに顔見せに帰ってきてくれると嬉しいな。では、元気で。

 敬具。*


 葬式が一通り進行し、故人との別れの時間が来た。俺は最後に御扉から父親の顔を見た。

 死化粧を施した顔には深い皺が刻まれており、白髪で頭髪が灰色になっていた。父親は暫く見ない間にすっかり歳をとっていたのだ。


 俺は冷凍庫からソーダ味の棒アイスを一つ取り出して、縁側に座り庭の藤棚を眺めながら食べた。

「あれ…なんだ…。」

 俺は気づかない内に大粒の涙を流して泣いていた。


 ——あぁ、本当に死んでしまったんだな。

 肩に乗せられセミ捕りをした、あのオヤジが。

 泳ぎ方を教えてくれた、あのオヤジが。

 銭湯に連れてってくれた、あのオヤジが。

 夜食を作ってくれた、あのオヤジが。

 何不自由なく育ててくれた、あのオヤジが。

 

「ごめんな…ごめんな。ありがとう…お父さん。」


 大好きだった、親父おやじが死んだ。




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短編小説「ふし」 北山'sカシス・オレンジ @ken_ken

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