小探偵少女の労働

存思院

労働も終わりつつ

 二人大学生、今は労働者は話していた。

――ああ、もう五分で終わりだね。

――うん、君はね。殴ろうか。


 仏教系の大学でひたすらに経典と向き合う珍しい男子と、極東ロシアの出身という邪知に富むゴスロリ少女、がパブで働いており、カウンターで酔いつぶれている黒髪長髪の女性は先ほどまで働いていた。

 照明を逆さまのグラスが散らす空間の下方にいて、平日の暇な夕暮れに金色の麦酒を注いでいる。

 いやに目立つ三店員を見に来る金持ちの老人どもも失せまして、いよいよ彼の退勤の時刻のすこし前、ガラスのドアがベルを鳴らし、老人ひとり、やせ細った毒蛇が地を這うような足取りで入り込んできて、云う。


「どこ」

「そちらのテーブル席にどうぞ」

「そう」


 彼が注文を訊くと、老人は鳴いた。

「グレープフルーツジュース」

「かしこまりました」


 カウンター越しに「グレープお願いします」「はい」があって、ぎりぎり規則違反らしいカラコンの少女がゴム手袋をした細い手首を器用に振り回してグラスに氷、紙パックのグレープフルーツジュース、そしてストロー。伝票を捨てて運ぶ彼はいつもながらこれに五百円は人の心がないと申し訳なく、しかし笑顔でテーブルに置く。


 ああ、と嘆息して一回り同僚に挨拶して、いつも通りに彼は退勤した。いつも通りなので記憶に残らないような薄味の十分が消失して、朝のコートが身に馴染んだころ、帰り際に呼び止められる。


「ねえ、ちょっと」


 不安げな瞳はコンタクトを通り抜けるのねと、思っていた彼は不思議なことを聞いた。

 なんでも、食い逃げらしい。

 あの、成長できなかったのか、成長を失ったのかわからない老人はいよいよお祈り申し上げる人物であったのか、あの高いぼったくりジュース一杯を飲んでぬるりと逃げたらしい。


 カメラの映像を覗き込む。


「まったく、このジュースに五百円を払うのが腹立たしいのであれば、どうどうと店を出ればよいものを。あからさまにきょろきょろと挙動不審で情けない。常習の洗練もなければ、美学もないとは、哀れにもほどがありましょう」


「君の論点は誰にもとりあわれないことを意識してほしいね。丁度社員が来たからまかせるけど、私も不審者が通り過ぎていくのを見逃したのは恥ずかしい」


「カラコンが派手過ぎたのでしょう」


「で」

「で?」

「おいかけて」

「いやです」

「時給つけるから」

「前向きな検討を行いたい」

「私なら追いかける」

「……成否は問わないのです?」

「そう聞いた。で、伊智那さんはもう千鳥足で追いかけていった」

「あー、うん、そう、んー、いってきます」

「じゃねー」



 従業員専用の裏口から外に出ると、仕事終わりの泥酔ろくでなし姉貴こと柊伊智那が――だいたいが社会的に淘汰されるが故に――労働者において珍しいマンホール近くの苔の裏側のようなニヤついた笑みで待ち構えていた。


「じゃあ、時給で飲もうかしら」

「今日ばかりは、是非ご相伴に」


 一応は妙齢の女性と腕を組んで繁華街を歩いているのに、あらゆるラブホテルを素通りできるのは生存本能であった。

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