星と海
雨足怜
第1話 Prologue 星かぞえ
ひいおばあちゃんは不思議な人だ。彼女は、わたしの知らない空気をまとう人。
そこにいるようで、そこにいないような、そんな感じ。
目の前に確かにひいおばあちゃんはいる。けれど、わたしには時々、そこにひいおばあちゃんがいないように感じる。
それはたぶん、ひいおばあちゃんの目がそう思わせるのだ。
わたしを見ているようで、わたしの中にある誰かを見ている、そんなまなざし。
わたしを通して、誰を見ているのだろうか。もう亡くなってしまったひいおじいちゃん?おばあちゃん?おじいちゃん?
多分、その全員だと思う。死んでしまった人を、ひいおばあちゃんはわたしの中に探している。
そう思ったら、なぜだか突然怖くなって、それ以来わたしはひいおばあちゃんの家に行くことはなかった。
けれど、小学二年生の夏、わたしはひいおばあちゃんの家に預けられることになった。
怖かった。怖いはずだった。
けれど、久しぶりに見るひいおばあちゃんは不思議ともう怖くはなかった。
腰は曲がり、腕は枯れ木のように細く、しわがたくさんある顔でそっと微笑む。その姿に、わたしは恐怖することはなかった。
ひいおばあちゃんは歳を取った。そしてわたしも成長した。
わたしたちの間に流れる時間は同じだったけれど、その時間は、わたしたちにとって異なる重さがあったということだと思う。
わたしがひいおばあちゃんを守らないと、そんなことさえ思った。
「……海星はいい子だね」
骨と皮だけの細い指が、そっとわたしの頭をなでる。その手には、確かな温かさがあった。
その笑みに、深い知性を感じる瞳に、わたしはかつて見た、恐ろしいほどにわたしという存在を暴くようなあの目を重ねていた。
わたしにとって、ひいおばあちゃんはおばあちゃんだ。わたしが生まれたときには亡くなってしまっていたおばあちゃんの代わりに、ひいおばあちゃんがわたしの祖母だった。
だからおばあちゃんと呼んで、わたしは問いかける。
「ねぇ。おばあちゃんは、わたしの中の何を見ていたの?」
ぱちりと大きく瞬いたおばあちゃんの瞳が、すっと細くなる。天井を見上げたその目は、白い星の飾りを捉える。LEDライトの奥、天井でかすかにその存在を主張する星は、けれど輝いてなんかいない。
だいぶ古くなった家の中、くすんでいる星は、けれど夜になるとまだ確かに輝くことをわたしは知っている。
「……そう、さね。海星には申し訳ないことをしたよ。わたしは、海星の中にいる誰かを探していたんだろうね。大切な誰かを、もう会えないあの人達の面影を、必死に探していたんだ」
おばあちゃんの目に涙が浮かぶ。けれど、それが瞳から零れ落ちることはなかった。
「時間というのは生きている者のためにあるんだ。それなのにわたしは、海星を見ていなかった。本当に、すまなかったね」
ひいおばあちゃんの体が一層小さくなった気がして、わたしは反射的におばあちゃんの体に抱き着いていた。
お線香みたいなにおいが鼻に入ってきた。少しだけむせそうな、けれどどこか落ち着くにおい。それから少しだけ消毒の香りがした。
「ねぇ、おばあちゃん」
「なんだい?」
「……あのね。わたし、星が好きなの。それで、お母さんに聞いたら、『それはきっとひいおばあちゃんが理由ね』って言ったの。おばあちゃんも星が好きなの?」
一瞬、強く唇が引き結ばれた。何かをこらえるように閉じられた唇の隙間から、小さく息が漏れる。それから、泣きそうな、笑っているような不思議な顔で、「そうだよ」と言った。
「おばあちゃんは、どうして星が好きなの?わたしはね、きれいで、キラキラしていて、だからステキだと思うの」
星はすごい。夜、暗闇のなかで目を凝らせば、まばゆい輝きが天に見える。文字通り川のような銀河に、明るく輝く星座。それは、夕日を浴びてきらめく海面と同じか、それ以上にわたしの琴線に響く景色。
お父さんも星が好きだった。お父さんのお父さん、おじいちゃんも星が好きだった。そして、お父さんのお父さんのお母さん――ひいおばあちゃんも星が好き。
けれど、みんなの星が「好き」はわたしの「好き」とは少しだけ違う。お父さんは、きれいな星は絵になるから好きだという。おじいちゃんは、星が嫌いだけど好きだって、変なことを言っていた。
もう会えないおじいちゃんの「好きだけど嫌い」な理由を、わたしはきくことができなかった。たぶんそれが、わたしがひいおばあちゃんに星のことを聞きたかった理由。
目を閉じて、瞼の裏にいる誰かを、何かの光景をひいおばあちゃんはじっと見ている。その目じりが垂れ、微笑みながら目を開く。
「星は、わたしにとって人とのつながりそのものなんだよ。星がわたしたちをつないでくれた。わたしの夫とも、子どもたちとも、孫とも、そして、ひ孫の海星とも」
「……星が、わたしたちをつないだ?」
「そうだよ。……少し、昔話をしようか」
言いながら、おばあちゃんは庭に続く窓の遮光カーテンを閉じる。
腰をころりと横になって、近くにあったリモコンで天井の電気を消す。閉じられた部屋は薄暗く、そしてそんな中、天井の星がほのかに光始めた。
淡い緑の輝き。呼ばれるままに、わたしはひいおばあちゃんの隣に並んで天井を見上げる。
「……まずは、そうさね。両親を失った一人の少女の話をしようか。孤独に海にいた少女の出会い。星が、彼女を導いてくれたんだ。この、天井に輝く希望の星へとね」
言いながら、ひいおばあちゃんは天井に手を伸ばす。骨ばった細い指が、星をつかもうとするように握られる。
わたしもまた、ひいおばあちゃんの真似をするように、星へと手を伸ばす。やっぱりその手は何をつかむこともなくて、けれど、その動きに何か、言いようのない力を感じた。
昔のことを思い出した。まだわたしが今よりずっと幼かった時、ひいおばあちゃんの家でお父さんとお母さんと一緒に今に敷いた布団の上に寝そべって、天井に輝く蓄光の星を指さした。
一つ一つ星を数えながら、オリオン座や夏の大三角形、北斗七星や北極星を確認した。
過去をなぞるように、ひいおばあちゃんもまた星を一つ一つ指さしながら、過去へと思いをはせる。
そうして始まるのは、とある少女が星と出会い、緑の星の明かりにたどりつく話。
目を閉じたおばあちゃんは、とある男性の悲しみを、まるで自分のことのよう語り始めた。
わたしは、その物語の中に出てくる星を静かに数えながら話を聞き入った。登場する星はきっと天井の星の数とは比べ物にならない。
なぜなら、星の数だけ、出会いと別れと愛と悲しみがあるから。
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