第28話 服を嗅ぎ、服を脱ぐ
荒らされた部屋から薬箱を探し出し、咬み傷に血止めの軟膏を塗って包帯を巻きつつ。
キアスと名乗った女騎士の話によると、部屋で休んでいたところに突然、衛兵の格好をした男か二人、押し込んできたらしい。
二人組の片方が犬笛を吹くと、もう片方が狼の姿に変身して襲いかかってきた。キアスさんは応戦したものの、腕を咬まれてしまい行動不能に。ディルフィーネ殿下が捕らえられるのを見ながら、意識を失なったんだそうだ。
「おそらく、拉致されたものと推測します。少なくとも、その場で害されることはなかったので、命までは取られてはいないと思いたいところですが……」
「しかし、そうなると難しいな」
話を聞いた父様は、険しい顔で言った。
「一刻も通報すべきだが、下手人が衛兵の装備を身に付けていたとなると、騎士団を信用できなくなる」
「いか様。裏切り者は警戒しなければなりませんが、しかし他に動けるような組織もございませんので」
大人たちが相談している、その横で。
ぼくは瞳を閉じて、他の人格たちに向き合っていた。
……さあ、どうしよう?
(ワタクシたちであれば、お助けするのことも可能性でしょうな~)
(わんわん!)
と、リー老師たちは自信をもって言いきる。
(あの皇女に、そこまでしてやる義理があんのかァ?)
(あんまり危ないのはヤなの)
乗り気じゃない人格もいる。
これは昨晩の夜歩きとは比べ物にならなかった。文字通り帝国を揺るがす大事件で、人の命もかかっている。個人的な好奇心だけで首を突っ込むには、プレッシャーが大きすぎた。
九才の子どもなら、大人しくしているのが常識。それを跳ね除けて、人助けに向かうだけの理由があるかと問われれば……
(人狼と犬笛、ターゲットには皇族。ロマカミの勇者が関与してる可能性は大きいッスよ)
(……ア、ハァ。みすみす、見逃すというのも……惜しいですね)
ない、とも言いきれないんだよなぁ。
異世界転生への手がかり。ディルフィーネ殿下だって、裏の顔があるとしても人狼化したぼくが貴族社会で生きていくには貴重な味方だ。
重大な決断を迫られて、手の平が汗に濡れる。
(決めるのは、主人格である君である。我らはその意志に沿うまで)
デュオ陛下の言葉が、背中を押した。
心を固めたぼくは、大人たちを見上げて声を上げる。
「父様。ぼくなら、殿下を探しに行けます」
視線が集中する。
何を言っているんだ、とでも言いたげな視線だったけど、軽く鼻の頭を指して見せたら、まずソラが「あっ……」察した。
「シエル様ならできるかもしれませんけど、危険ですよ。ここは騎士団の人たちにお任せした方が……」
「急ぐんでしょ? ぼくの方が、ずっと早いと思う」
「……確かに、一理あるか」
「伯爵様!?」
思わぬ同意にソラが目を剥くけど、父様は無礼を咎める余裕もないくらいに苦渋の表情だった。
本当は反対したくてたまらないんだろうに、冷に徹して判断してくれるから話が早い。
「無理はしない、と約束できるかい?」
「追いかけて、居場所を突き止める。それだけ、ですよね」
「……わかっているようで何より」
諦めたようにため息を吐いて、父様は許可してくれた。
「ソラ。シエルのことは頼んだよ」
「……かしこまりました」
「姫様を追うのなら、あたしも同行させてください」
キアスさんが、腕の鎧を付け直して進みた。
いまいち理解が追い付いていない様子だけど、話の腰を折ることはせずに、ぼくなら追跡できるというのを信じることにしたらしい。
「城の中も、城下町も、土地勘があります」
「ありがたいが、怪我を負った身では?」
「大した傷はありません。咬まれた所も、皮が破れた程度で筋や骨は無事です」
おそらく、キアスさんが咬まれたのは、人狼化して城内で暴れ回ることを期待してのことだろう。体力が残っていればそれだけ被害を広げられるので、なるべくダメージを与えずにおいたわけだ。
ひどい話ではあるけれど、元気に復活できたのだから結果オーライとも言える。
「それじゃあ、父様。後のことはよろしくお願いします」
「……ああ。任せてくれ」
父様は留守番と端から決めつけたら、苦笑が返ってきた。
同行しないこと自体に、異論はない。
追跡組とは別に、騎士団へ通報する人間は必要であり、伯爵位という身分を持つ父様なら無下にされないだろうから適任なんだ。あと、父様はインテリジェンス特化型で、荒事にはからっきし――それはもう、武闘派だった祖父様が泣くくらい――というのもある。
と、いうわけで。
父様が執事だけを連れて騎士団へと向かったところで、ぼくも捜査開始だ。
「まずは、キアスさん。ディルフィーネ殿下の匂いがついてる物ってある?」
「に、匂いですか? それならベッドか、ソファ……いや、アレがあったか」
キアスさんは戸惑いながらも、部屋の隅にあった箱から見覚えのあるドレスを取り出した。会談の席で、殿下が着ていたものだ。
「脱いだばかりで、他の人間はあたししか触れていません」
「それはいいや」
差し出されたドレス、ちょっと失礼して顔を近づける。
女性の着ていたドレスを嗅ぐなんてはしたないけれど、緊急時だから勘弁してもらう。
「まさか、匂いで姫様を探すおつもりですか?」
「そうだよ。……うん、覚えた。それじゃあキアスさん、ソラ。ちょっと、後ろを向いててもらっていい?」
「後ろとは…………んなっ!?」
女騎士は首を傾げて、直後、ぼくが服を脱ぎ始めたので仰天した。
ソラは着替えの手伝いで慣れてるはずなのに、キアスさんと同じく赤面して顔をそむける。――別の機会に聞いたところによると、「いつもは、見ないよう心の準備をしてるんです!」だって。
クイントさんの怪盗式早着替え術で全裸になり、脱いだ衣装をコンパクトにまるめて、風呂敷よろしく背負ったら、四つん這いになって体に力を込めた。
ザワッ、と毛が逆立つ。
メキメキと音を立てる。
顎が、肩が、腕が、股関節が、脚が――肉体の構造が組み変わっていく。
骨格が軋み、肉がうごめく感覚。
背中だけだった毛皮が広がっていき、全身を覆いつくす。
一秒とかからず、ぼくは狼へと変身を遂げた。
ひそかに練習していた甲斐あって、実にスムーズだ。
「こ、これは……なんて、申したらいいか……」
キアラさんは、顔を引きつらせている。無理もない、か。変身した人狼に咬まれたばかりなんだから。
安心させようにも、この姿だと声帯も変化していて「わんわん」しか言えないので、代わりにソラへとすり寄った。
頭を撫でてもらい、尻尾を振る。
人懐っこい仕草を見せると、ちょっとは緊張がほぐれたみたいだ。
「……失念していました。人狼ならば可能ということですか」
「わん!」
ご名答、とばかりに一吠え。
――本当なら、不可能なんだけどね。
たしかに、人狼の嗅覚は人間だった頃よりもはるかに強化されていて、狼形態になるとさらに鋭くなる。
でも、犬になったことのある人ならわかるだろうけど、「匂いを追跡する」なんて芸当はなかなかの高等技術だ。生まれつきの犬なら本能的にできるのかもしれないとしても、ついこの間まで人間だった鼻には無理難題だ。
だから、ぼくの出番はここまで。
……後は頼んだよ――ハチ公。
「わん、わわん!」
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