第27話 凶行の笛

「ディルフィーネ様、ステキでしたね!」


 一番興奮していたのはソラだった。

 頬を紅潮させて、三階廊下には人目がないのをいいことに囁きかけてくる。


「もう、ただ座ってるだけでも絵になってて! 肖像画で見るより断ッ然おキレイでした!」

「あはは。そうだね」


 晴れ舞台を終えて気疲れした心にはありがたくて、笑いながら相槌を打つ。


「ソラもよかったよね。昔のこと、覚えていてくれて」

「はい!」


 会談の前のことだ。

 バルコニーにまで歩いている間にも軽い会話ができたんだけど、ディルフィーネ殿下がソラに話しかける場面があった。


「今年の卒業試験で主席を取ったとか」

「は、はいぃ! ごご、ご存じだったんですか?」

「もちろん。私も卒業生ですもの。以前に会った時はお互いに小さかったのに、あれから大きくなりましたね」

「おっ、おおお覚えてらしたんですか!?」

「ふふふ。緊張しやすいのは変わっていないみたいで」


 体面もへったくれもなしに声を裏返すソラに、ディルフィーネ殿下は可笑しそうに口元を隠していた。

 よほど感激したみたいで、いまだに噛み締めてるけれど……


「……腹の中では、何を考えていたか……わかったものじゃ、ないですけどね」


 クイントさんはシニカルな薄ら笑い。

 なんでも、ディルフィーネ殿下の善良な姿はすべて演技なんだって。

 たしかに最後辺りでちょっと違和感を覚えたものの、本当にそこまで断言しちゃっていいのか、ぼくには自信がなかった。


「ア、ハァ。……化かし騙しが専門の、怪盗が言うんです。……あれはまがい物ですよ」

「堂に入ったものではあったがな。吾が輩も見る目には自負がある方だが、すぐには気付かなんだ」

「ですが、直に握手するのは我慢しきれなかったようですな~。無意識の忌避感が、呼吸や筋肉の緊張として表れておりました。手袋の下では、鳥肌を立てていたのではないですかな?」


 デュオ陛下やリー老師まで言うんだから、間違いないんだろう。

 でも、だとしたらショックだな。人狼だからって嫌な顔をせず、ためらうこともなく近寄って握手してくれたのは、嬉しかったのに。


「……王侯貴族なんて、そんなものですよ。……隠そうとしてるだけ、マシな部類です」

「為政者としては、優秀そうな娘であったな」

「若いのに背伸びしているところなど、キュンキュンしますな~」


 意外にも、見抜いた三人は高評価らしい……と思ったけど、逆に辛辣な気がしないこともない。


 とまあ、感想はさておき。

 会談の後、ぼくらは殿下に付き添っていた白衣の男性と一緒に、ミスミ城の医務室に立ち寄った。

 彼は帝都の薬師らしい。

 薬については、専門家とも話をするべきだろうと、殿下から紹介された。本性は怪しいところがあったとしても、その心配りは素直にありがたい。


「……で、猫泣き草の根から……」

「なるほど。それで抑制剤の……でも、毒が……」

「そこは……を目安に……ッス」

「かなりリスキーですね。聞伝の製薬で成功したなんて、奇跡に近いですよ」


 人格交代したナナ姉さんから話を聞いて、薬師はしきりに感心しながらメモを取っている。

 打てば響くような反応は気持ちいいけど、姉さんが高揚し始めてるのが心配だな。テンションが上がってしゃべり過ぎたりしないでほしい。

 今回交代したのは、世のためになる薬なら姉さんが直接説明した方がいいと思ったからで、変な目で見られても平気ってわけじゃないんだから。


「わかってるッスよ……フヒヒ」

 ……大丈夫かなぁ


 主人格権限で強制的に交代解除するのも視野に入れ始めたところ。でも結局、ぼくが横から口を出すことにはならなかった。


『――ュ!』


 狼耳が逆立ち、血の気が引いた。

 ぼく以外には聞こえていないらしい。それは昨日も聞いた、人狼を調教していた犬笛の音だ。

 かなり近い。

 おそらく城内。三階から。


(ケヒヒッ。キナ臭ェなァ)

(ど、どうするの?)

(ガウガウ!)

 ……行こう。姉さん、代わって!


 ぼくは決断すると、医務室から飛び出した。薬棚にあった小瓶を掠めとり、大人達が驚いて呼び止めるのも無視して、音がした方角へと急行する。

 廊下を走っていると、すぐ様子がおかしいことに気付いた。


 ……誰もいないね。

(ア、ハァ。……人払い、されていますね)


 足を止めて、鼻を動かす。

 笛の音は昨日とは違い、四度ほど続けて鳴ったきり聞こえなくなっていたけど、代わりに漂ってくるものがある。


 かすかだけど、これは――血の匂いだ。


 錆びた鉄にも似た匂いは、部屋の一つが出所のようだった。

 ノックしてみる。

 返事はない。

 迷っては、いられない。


「入りますよ!」


 鍵はかかっていなかった。

 どうやら客室らしかったけど、ひどい有り様だ。ワゴンが壊されていたりソファがひっくり返っていたりして……その影に、誰かが倒れている!

 うつ伏せになっているのは、赤鎧に金髪の少女。薬師とともにディルフィーネ殿下に付き添っていた女騎士だ。


(まだ息がありますぞ!)

(もっかい、ウチに代わるッス)


 駆け寄って、傍らに膝を着く。

 血の匂いは、女騎士の左腕からだった。鎧で守られていない部分に、抉ったような穴がいくつも並んでいる。


「歯形。鋭い牙を持つ獣……状況から判断して人狼ッスかね」


 ナナ姉さんは女騎士を仰向けにすると、腕部鎧を取り外す。

 錬金術師の観察眼で鎧の構造を一目で看破すると、外からはわかりづら場所で結ばれている留め紐を簡単にほどき、下に着ていたシャツの袖を破いて傷口を露出させた。


 咬み痕を確認した後、医務室から失敬してきた小瓶――人狼化抑制剤の栓を抜く。ワゴンの側に清潔そうなタオルが落ちてたので拝借し、たっぷり染み込ませたものを患部に押し当て、傷口から薬液を浸透させる。


「まだ変異ステージは1だと思うッス。抑制剤さえ効いてくれれば……」


 しばらくは様子見だ。

 容態を見守っているうちに、ソラと父様と執事が追ってきたので、客室の惨状に驚く三人に事情を説明していたら、女騎士が身じろぎをした。


「う……んん」

「気が付いた?」


 女騎士は虚ろに目を開いてぼくを見上げ、数秒ほど間を置いて瞳に光が宿った。


「……。……っ! 姫様は!? あ、いや、離れてください! 自分は人狼に咬まれて……!」

「待って待って、落ち着いて! ちゃんと手当したから」


 一気に記憶が蘇ったか。錯乱する女騎士を、抑えて薬の小瓶を突き付けてやる。


「特効薬を使った。熱も下がってるみたいだし、大丈夫。きみは人間のままだよ」


 嚙んで含めるように言い聞かせると、錯乱しかけていた女騎士は焦点を抑制剤のラベルに定めて、暴れるのを止めた。

 大した自制心だ。それ以上はぼくが処置するまでもなく、急速に呼吸を整えていく。


「……フー。スー、フ――――。……失礼しました。もう、大丈夫です」

「うん」


 抑えていた手を放して、一歩下がる。

 平静を取り戻した女騎士は改めて室内を見渡した後、ぼくらに向き直って頭を下げた。


「危ういところを助けていただき、感謝します。本来ならば礼を尽くすところですが、今は何を置いても我が主、ディルフィーネ殿下の安否を確かめねばなりません」

「そうだね。だから、教えてほしい。この部屋で起こったこと。きみと殿下の身に、何があったのか、を」


 話を促すと、女騎士はハキハキと語り始めた。

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