打ち明けた気持ち
校舎を出た途端、夏の眩しい日差しが凜の顔を照らした。額に手を当て、目を細めて空を見上げる。青い空に浮かぶ白い雲。夏の始まりを思わせるその光景は毎年見ているはずなのに、不思議といつもとは違っているように感じられた。
校門に向かっていく生徒の姿がちらほらと見える。夏休みの予定を楽しげに話す女子二人組、通知表の結果を苦笑しながら報告し合う男子のグループ。話の内容は違っても、そこに浮かぶ表情は誰のものも晴れやかだ。
以前の凜なら、そんな連中が視界に入ったところで、仏頂面でさっさと脇を通り過ぎただけだろう。だが今の凜は、まるで母親が家の中を駆け回る幼い我が子を見るかのように、目を細めて彼らの姿を見つめていた。
彼らはまだ知らないのだ。自分達がこの世界に生きていることが、どれほどの奇跡の上に成り立っていることなのかを。
彼らは当たり前のようにこの現実の世界を生きている。今日と同じような明日が来て、そんな日々がずっと繰り返されるものと信じている。
だが、実際にはそうではないことを凜は知っていた。いつ、どこで現実での生活が失われ、当たり前に過ごしていた日々がなくなるかはわからない。一度は偶然に、一度は自らの意思で現実とは違う世界に行った凜だからこそ、今、こうして自分が再び現実の世界で生きているという事実に、言いようのない尊さを感じずにはいられないのだった。
(だからあんた達も、せいぜい後悔しないように、自分の人生しっかり生きなさいよね)
凜は心の中でそう呟くと、ふっと口元を緩め、自分も校門に向かって歩いて行こうとした。
「葉月!」
聞き覚えのある声が後ろから飛び込んできたかと思うと、後ろから駆けてくる足音が聞こえた。お決まりのパターンとなったかのような一連の流れ。凜が振り返ると、サッカー部のユニフォームを着た鷹が走ってくるのが見えた。
鷹は凜の眼前まで来たところで立ち止まり、はぁはぁと膝に手を突いて荒い呼吸をしたが、すぐに体勢を立て直して凜の方を見つめてきた。その顔をじっと見返しながら、凜は退院してから鷹と会うのが初めてであることに気づいた。
「あ、鷹……。なんか久しぶりだね」
凜はそう言いながら、最後に鷹と会った時のことを思い出していた。
あれは自分が夢遊界に戻る前、昴の話を聞いた時のことだ。考えて見れば、今回一番心配をかけてしまったのは鷹かもしれない。何しろ凜は、鷹から昴の話を聞いた直後に再び意識不明になったのだ。自分に何らかの責任があると鷹が考えたとしても無理はない。
「退院してから全然話す機会なかったよね。あたし、鷹にいっぱい心配かけちゃったから、もう愛想つかされたのかと思ってたんだけど……」
凜が二度目に目を覚ましたあの日、結局鷹は病院に来なかった。もちろん鷹の方にも用事はあるだろうから、その時の凜は大して気にしていなかった。
だが、その後の検査入院の間も全く姿を見せず、さらに退院してからも会いに来る気配がまるでないので、さすがに凜も心配になっていたのだ。けれど、今わざわざ声をかけてきたところから見ると、どうやら愛想をつかされたわけではなさそうだ。
「ああ、悪ぃ。俺も会いに行かなきゃとは思ってたんだけど、何かこう、踏ん切りがつかなくてさ」鷹は気まずそうにぽりぽりと頭を搔いた。
「でも、明日から夏休み入るし、今日逃したらもうチャンスなくなると思って、それでここで待ってたんだ」
凜は小首を傾げて鷹の顔を見返した。踏ん切りがつかないとか、チャンスがなくなるとか、鷹は何のことを言っているのだろう。
鷹はふうーっと大きく息を吐き出すと、人目を窺うように辺りを見回した。周囲に誰もいないことを確認すると、凜の方に向き直り、改まった口調で言った。
「葉月……。俺、お前が目を覚ましてくれて、本当によかったと思ってる。俺、お前があのまま目を覚まさないんじゃないかと思ってたから……、結局お前に何にもしてやることができないんだって、ずっと後悔するところだった。
でも、お前はこうやって戻ってきてくれた。お前が目を覚ましたって聞いた時から、俺、ずっと考えてたんだよ。このまま何もできない自分でいるのは嫌だって。自分の本音も伝えられないまま、後悔するようなことは、もうしたくないって……」
「それって……」
正直、まさかとは思った。鷹が自分を相手にそんなことを言うはずがない。だけど、人目を忍んだこのシチュエーションに、鷹の真剣な表情。そんな諸々の状況から察するに、鷹が言おうとしていることは一つしか考えられなかった。
鷹は凜の目をまっすぐに見つめた。意を決したように唾を飲み込み、そして言った。
「葉月……。俺は、お前のことが好きだよ」
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