ほっとけないから

 翌朝、凜は憂鬱な気持ちで一人登校していた。

 考えるのはもちろん昨日のことだ。冴えないサラリーマン相手に営業スマイルを振りまいていた久美。自分のせいで久美があんなことをする羽目になったのだと思うと、凜は自分がとても悪いことをした気がしてきた。

 久美をこのまま放ってはおけない、何とかしてパパ活を止めさせなくてはいけない、そう考えはするのだけれど、具体的に何をすればいいのかまるで思いつかなかった。


「凜! おはよう!」


 後ろから明るい声が飛び込んできたのはその時だ。肩をぽんと叩かれて顔を上げると、侑李が隣を歩いているのが見えた。


「あ、侑李……。おはよう」


「あれ、今日元気ないじゃん。何かあったの? 昨日あんま寝れなかったとか?」


「うん……。まぁ、そうかな」


 事実、昨日はほとんど眠れなかった。目を閉じるとあのカフェでの光景が浮かんできて、想像がどんどん悪い方向に広がっていってしまったのだ。


「そっかー。今日一限目生物だっけ? あの先生の授業普段から眠いからなー。寝不足だと余計キツイかもねー」


 侑李はいつもと変わらない調子で言った。それを見て、凜はふと思うことがあった。


「そういえばさ、侑李、最近片瀬さんと連絡取ってるの?」


 急に久美のことを話題に出され、侑李が面食らった顔になる。それから首を傾げると、考えるように顎に手を当てた。


「え、久美? うーん、そうだなぁ……。あの子が学校来なくなった直後は一応連絡してたんだけど、それもだんだん回数減ってきて、最近は全然してないなぁ……」


「……そうなんだ」


 凜は納得して頷いた。唯一相手をしてくれていた侑李からも連絡が来なくなり、久美は誰とも繋がることができなくなった。それで出会い系に走ったのかもしれない。


「でもどしたの? 急に久美のことなんか気にして」


 侑李が不思議そうに尋ねてくる。凜は昨日のことを侑李に話すべきか悩んだ。久美がパパ活をしていると知ったら侑李はどう思うだろう。久美がこれ以上深みに嵌まらないよう、自分の代わりに久美を止めてくれるだろうか。


 しばらく逡巡したものの、凜は意を決して切り出すことにした。


「実はさ……。昨日、見ちゃったんだよね……」


 


「パパ活?」


 凜がその単語を口にした途端、侑李がぴたりと足を止めた。眉間に皺を寄せ、険しい顔で凜を見つめてくる。


「うん。時期的にまだ始めたばっかだとは思うんだけど……。でも危なくない? このままあいつとの関係が続いたら、もっといろんなこと要求されるかもしれないし……」


 またも余計なことを想像しそうになって、凜は慌ててその考えを頭から振り払った。侑李は立ち止まったまま腕組みをし、難しい顔で何かを考え込んでいる。


「ねぇ侑李、片瀬さんのこと止めてあげなよ! あたしが言っても効果ないと思うけど、侑李の言うことならきっと聞くよ!」


 身を乗り出しながら凜は言ったが、侑李は答えなかった。眉根を寄せたまま、じっと地面を睨みつけている。


「ねぇ、侑李……!」


「……ほっとけばいいんじゃない?」


 思いがけず出たその言葉に、凜は目を丸くして侑李の顔を見つめた。

 侑李ははぁっとため息をつくと、露骨に顔をしかめて言った。


「あたし、もう嫌なんだよね。久美の子守りするの。久美って昔からあたしにべったりでさ。あたしがちょっとでも他の子と仲良くしてたらすぐ拗ねて、あたしのことなんかキライだって言って、そのくせ絶対あたしから離れないの。小さい頃はそれも可愛いって思えてたんだけど、正直だんだんうっとうしくなってきて……。

 せっかく凜みたいに新しい友達見つけても、久美がいたらあたしはその子と話すこともできない。今やっと久美から離れて、他の友達とも話せるようになったのに、また久美にまとわりつかれる生活に戻るなんてあたしは嫌」


「でもパパ活だよ!? 片瀬さんは軽い気持ちでやってるのかもしれないけど、もっとヤバいことになってから後悔したって遅いんだよ!?」


「凜はそれでいいの?」


 突然侑李の声が鋭くなる。凜は気圧されて侑李を見返した。侑李は厳しい顔つきで、凜の方に一歩詰め寄ると言った。


「凜、あんた自分が久美にされたこと忘れたの? 学校でハブられた上に、久美のせいで交通事故にまで遭ったんだよ? たまたま退院できたからよかったけど、下手したら死んでたかもしれないんだよ!?」


「それは……、そうだけど……」


 もちろん忘れたわけではない。久美のことを許したわけでもない。だけどこのまま何もせずに久美が間違いを犯してしまったら、自分は絶対に後悔すると思った。


 侑李は再びはぁっとため息をつくと、呆れた顔で腰に手を当てて言った。


「……凜は偉いよね。自分にあんなひどいことした久美のこと、助けようって思うんだから……。でも、あたしからは何も言わないよ。だって自業自得だもん。今まで散々甘やかされてきたんだから、ちょっとはいい薬になるんじゃない?」


「そんな……」


 その時、始業を知らせるチャイムが聞こえ、二人ははっとして校門の方を振り返った。生徒指導の教師が門を閉めようとしているのが見える。凜達は話を止め、慌てて校門の方へ駆けて行った。


(でも、どうしよう……)


 校門に向かって息を切らして走る中で、凜はなおも考え続けていた。


(このまま何もしなかったら、あたし、絶対自分のこと許せない……。侑李の手が借りられないなら、あたし一人で何とかするかしかない!)


 胸の内でそう決意を固め、凜は滑るようにしながら校門を潜り抜けたのだった。

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