告白
楽屋を後にし、凜は自分の足元を見つめながら大股で歩いていた。ライブ会場内には未だグッズを片手に賑わう人々の姿があり、壁にはシゲルとルナのツーショットのポスターが張り巡らされている。だが、そうした光景は一切凜の目には入らず、ただ何かを振り切るように歩き続けていた。
「おい、凜!」
背後から誰かに呼ばれたが、凜は振り返らなかった。今はただこの場から逃れて一人になりたくて、凜の歩調は次第に早まり気づいた時には走り出していた。
「凜! 待てったら!」
声の主が自分の方に駆けてくる音がして、間もなく凜は手首を摑まれた。睨みつけるように振り返ると、息を切らしながらこちらを見つめている昴と目が合った。瑠名の楽屋を出て追ってきたらしい。凜は彼の手を振りほどこうと摑まれた手を乱暴に振った。
「何なのよあんた! あたしのことはほっといてよ!」
「そうはいかない。君をこのまま帰したら、俺が何のために君をここまで連れてきたのかわからなくなる」
「何のためって……」
凜が困惑気味に昴の顔を見返す。昴は諭すように続けた。
「俺は君に、夢遊界にいる人間の姿を見せたいと思った。夢遊界を必要として、この世界で生きていくことを決めた奴らの姿をな。だから俺は君を瑠名に会わせて、君はそこで何かを感じた。それを俺に教えてくれないか?」
「そんなこと言われたって、自分でもよくわかんないし……」
「わからなくていい。頭の中がぐちゃぐちゃなら、そのぐちゃぐちゃしたものをそのまま教えてくれればいい。言葉にすることで、自分でも気づかなかった何かが見えてくるかもしれないだろ?」
「そうだけど……」
普段の軽佻さを引っ込め、真剣な眼差しで自分を見つめてくる昴の視線に耐え切れなくなり、凜はそっと目を伏せた。昴が真面目に話しているのはわかったが、レインボーランドでほだされそうになったこともあり、完全に信用する気にはなれなかった。
そんな凜の胸中を汲み取ったかのように、昴がさらに言葉を重ねる。
「大丈夫。この前みたいに、君を無理やり夢遊界に引き留めるような真似はもうしない。俺はただ、君が思ったことを知りたいだけなんだ」
改めて諭すように言われ、凜は床を見つめながら考え込んだ。瑠名の話を聞いて自分が思ったこと。それを言えば、昨日から感じていたもやもやした気持ちも少しは晴れるのだろうか。
「……あたし、ずっと、自分が何にもない人間なんだって思ってた」
床に視線を落としたまま、凜が静かに切り出した。昴は凜の手を離すと、彼女の顔を見つめて続きを待った。
「楽しいことなんて何にもない。得意なこともやりたいことも見つからない。そんなんだからあたし、自分が何のために生きてるかずっとわからなかった。でも夢遊界に来て、ここが何でも願いが叶う場所だってことを知って……こんなあたしでも、この場所でなら、今までより幸せになれるかもしれないって、ちょっとだけ思った。でも……」
ぽつりぽつりと言葉を紡いでいた凛だったが、そこで不意に言葉を切った。表情に影が差し、虚ろな目で瞬きを繰り返す。
「……結局ここでも、自分が何もない人間なんだってことを思い知らされた。あたし、昨日史也って言う男の子と話をしたんだけど、その子の親は医者で、その子にも後継いで医者になってほしいみたいなんだけど、本人はパティシエになりたいんだって。実際パティシエの才能もあるみたいなんだけど、現実じゃ親に反対されるからって、ずっと夢遊界に引きこもってる。
でもさ……それっておかしくない!? 本当にやりたいことがあるんだったら、夢じゃなくて現実で頑張ればいいじゃない! 瑠名だってそうだよ。現実に戻って手術受ければ、病気も治ってシゲルと一緒にデビューできるかもしれないのに、何でそれを諦めて死のうなんて思っちゃうわけ!? 瑠名はシゲルのためだって言ってたけど、本当はシゲルの気持ちなんか全然考えてない。ただの自己満足じゃない!」
そこまで一気にまくし立てたところで、凜は肩を怒らせてはぁはぁと息をついた。心の中で鬱積していた感情が爆発し、汚泥のように流れ出してくるのを感じる。
そう。これこそが凜が抱いていたもやもやの正体。現実でも成功を収められるだけの才能があるのに、それを活かそうとせず、夢遊界という虚構の空間に留まり続けている史也と瑠名。そんな二人と自分を比べ、ますます自分の空っぽさを突きつけられた。だから苛立って怒りをぶつけ、そんな自分がまた嫌になる。あの二人とは違って、自分には追いかけたい道もなければ、その道を歩めるだけの才能もない。自分が何もないままであれば、現実でも夢遊界でも、幸福になどなれるはずがない。
興奮した口調でまくし立てた凜を、昴は気圧された様子で見つめていたが、やがて悲しげな表情になると、静かにため息をついて言った。
「……そっか、残念だな。結局俺達は、最後まで相容れないままだってことか」
昴の口調に奇妙なものを感じ、凜は顔を上げて彼を見た。昴は背後にある手すりに身体を預け、上方にある何もない空間に視線を向けている。
「俺、ちょっとだけ期待してたんだよ。瑠名みたいに夢遊界で生きてる奴の姿を見たら、君もこの世界のことを見直して、夢遊界にいてもいいって思ってくれるかもしれないってさ。
だけど結局、君の気持ちを変えることはできなかった。まぁ仕方ないよな。君は俺達とは違って、現実に立ち向かえる強い人間だ。君からしたら、俺達は夢の世界に閉じこもって、現実から逃げてるだけの意気地なしみたいに見えるんだろう。
だけどさ、世の中は君みたいに強い人間ばかりじゃない。厳しい現実に直面して、何とかそこから逃れようとして、それで夢遊界に来た奴は大勢いる。そんな奴らにとっちゃ、この世界は唯一の居場所、ようやく辿り着いた最後の楽園なんだよ」
「最後の……楽園?」
「そう。厳しい現実から解放されて、何にも縛られず、自由に生きていける場所だよ。現実で生きる気力や意味をなくした奴らでも、夢遊界でならもう一回生きようって思える。そうやって生きる意味を見出した奴らに向かって、もう一度現実に戻れっていうのは、すごく酷なことなんだよ」
「それは……」
凜は言葉を返せなかった。確かに端から見ている限りは何とでも言える。だけど、もし自分が史也や瑠名の立場だったとして、それでも同じように現実に戻るべきだと考えるだろうか。
史也のことを考える。彼がパティシエの道に進むためには、まず親を説得し、それから専門学校かどこかで勉強し、さらに実際に店で働いて修行を積むことが必要になるのだろう。考えただけでも気の遠くなるような道のりだ。
それに瑠名の方も、たとえ手術が成功したとしても、プロとしてデビューするためにはやはり親を説得しなければならない。もし説得が成功してデビューできたとしても、ヒットする曲を出し続けるのは相当難しいだろう。最初の一曲がヒットしただけで、その後テレビに出なくなった歌手なんていくらでもいる。才能があって努力を重ねても成功するとは限らない。現実はそう甘くはないのだ。そんなことを考えると、凜はさっきまでの勢いが急激に萎んでいくような気がした。
「……まぁ、ここらが潮時かな。俺もそろそろ、自分の仕事をするとしようか」
不意に昴がそう言うと、手すりから身を起こして凜の方に向き直った。手を伸ばせば届きそうなほど距離が近い。彼が真面目な顔をしていることもあって、凜は何だかどぎまぎしてきた。
「本当はこんなに早く伝えるつもりじゃなかった。もっと時間が経って、君の心の準備ができてから言おうと思っていた。だけど……もう、今しか伝えるチャンスがなさそうだ」
真面目な顔のままそんなことを言われ、凜は思わず身を固くした。このタイミングでのこの台詞。その次に続く言葉を想像して一瞬、心が高揚するも、すぐにあり得ないと思い直す。だけど昴の顔はいつになく真剣で、その表情が、やはり思い違いではないのかという予感を抱かせる。初めて会った時から妙に馴れ馴れしいと思っていたけれど、彼のその態度の理由は、もしかして――?
昴が一心に凜を見つめる。今までは何とも思わなかったその視線が、今はいやに熱を帯びたものに思えて、凜は自分の心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。
「凜、俺……」
昴が凜の方に身を乗り出す。凜は咄嗟に後ずさったが、昴から目を離すことができなかった。彼の瞳が凜を捉え、その唇が、静かに開かれる。
「……俺は君に、嘘をついていた。まだ身体の準備ができてないから現実に戻れないって言ってたけど、本当は違った。手術はとっくに終わっていて、術後の経過にも問題はない。凜、君はもう、いつでも現実に戻れるんだよ」
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