TSメイドの推し事 ―お嬢様を溺愛する女装メイドが本当に女の子になってしまったようですー
星 高目
始まり→悪だくみ
貴族とは心底面倒な生き物だ。
無駄に格式ばった礼儀作法を優雅ともてはやし、不必要に豪華な物事で生活を満たして財力を誇示する。
傍から見れば馬鹿馬鹿しいにもほどがあるそれは、彼らが高貴な存在であるために必要なのだそうだ。
僕にとってはそんなことはどうだっていいことこの上ない。
しかし悲しいかな、木っ端ながらも貴族の一員として産まれ、更に家を庇護してくれている大貴族のお嬢様に仕える一使用人としてこの場にいる以上はその文化の中で生きねばならない。
ままならないものだ。僕も、お嬢様も。
お嬢様が住まう屋敷の庭園に設えられた四阿でのお茶会、美しい花々で彩られ、一見貴族らしく優雅なものに見えるだろう。
テーブルに座るは儚げな美貌をヴェールで隠した
お嬢様の尊さを表すにあたっては、言葉というものはあまりにも無力だと痛感する。
日の光さえ透き通るような銀の髪は腰まで流れ、星空に架かる大河のよう。それを彩るように挿されたヘアピンが象るのはお嬢様の好きな白い鈴蘭の花。
細く小さな体躯は触れれば折れてしまいそうな儚い命そのものを表しているようで、白くたおやかな肌がそれに拍車をかける。
精いっぱい言葉に表そうとしたけれど、陳腐に過ぎる。お嬢様の前では一つだけでも平民を何年か養えるであろうこの男の装飾の価値も霞む。
他にこの場にいるのは、お嬢様の側に仕えて給仕をする僕と男の護衛である軍服を纏った騎士が一人。
誰も言葉を発しようとしない奇妙で静かなお茶会である。
言葉一つない空間の中で物音を立てないよう、丁寧に紅茶を淹れていく。
茶葉は望みうる限り最高級の物、お湯の温度も茶葉を蒸らす時間も手抜かりない。
事前に温めておいた二つのティーカップにそれぞれムラが出ないよう交互に紅茶を注いで、男とお嬢様の前に差し出した。
すると男はちらとお嬢様に目配せすると上品な仕草でカップを口元へ運び、一口飲んで器に置いた。
「うむ、やはりアイラ嬢の侍女が淹れる紅茶は格別だな」
「お褒めに預かり光栄です」
思ってもいないだろう言葉に、全く思っていない感謝を述べる。
むなしいやり取りだが、しなければ主であるお嬢様に迷惑が掛かるのだから仕方がない。
得はしないのに損はいくらでもする。
目の前のティーテーブルに座っている男はそんな理不尽な存在だ。
傲慢な肉が豪華な服を着ているくせに、中身はそこらの子どものほうがましなろくでなし。
ミラナレ王国が第三王子ザック・エス・ミラナレに対して僕が抱く印象はそんなものだ。
そして忌々しいことに、お嬢様の婚約者候補として現時点で一番有力な人間でもある。
「折角のお茶会なのだから、アイラ嬢の声も聞ければなおのこと嬉しいのだがな」
王子はどぼどぼと紅茶に角砂糖を入れながらのたまう。
その言葉にお嬢様はふるふると首を小さく振ると、僕を招き寄せて耳打ちをした。
「ど、どうしよう……話した方がいいのかな? もう何度も来てもらっているし……」
我が主であるアイラ・エス・アリフレタお嬢様の声はとても不安げで、儚く消えてしまいそうなほどか細い物だった。
僕は背筋を正すと素知らぬ顔でザック王子に告げる。
「お嬢様は『今日は喉に住んでいる精霊がお休みしているのでどうか静かにこの時間を楽しませてください』と仰っておられます」
「……そうか」
お嬢様がそんなこと言ってないよ!? とでも言いたげに僕のメイド服のスカートを二人には見えないようにくいくいと引っ張っている。可愛い。
脳内で幸せを噛み締めながらも、僕は心を揺るがせまいと固く決意した。
お嬢様は優しすぎる。それは美徳であるが、王子のような相手にはただ付け入る隙を与えてしまうだけだ。
それに僕は嘘などついていない。
お嬢様は髪先から足の指先に至るまですべてが尊く、空間そのものを浄化してしまうほどなのだから喉に精霊が住んでいてもおかしくない。むしろ住んでいない方がおかしいのだ。
住んでいないのならばそれは女神様の怠慢に違いない。
しかし女神様に怠慢などあるはずもないので、僕は全て真実を話しているということだ。
要するにお嬢様は女神様も精霊も寵愛を注ぐ至宝なのである。
そんな世界の宝物を、このように下心が剥き出しの下卑た男に触れさせるわけにはいかない。
「……前回は『枯れてしまった一輪の花を偲ぶため』、その前は『本を読んだ感動で胸が詰まり言葉も出ないため』、だったか。一体いつまで続けるつもりだ」
「よい、リズク」
「……は」
騎士がこちらを咎めようと声を上げたが、ザック王子が制止する。
……そういえばそんな理由を使っていたのだっけ。
お嬢様がお気に入りの花が枯れてしまって悲しそうにじっと見ておられたのも、悲劇の本を読んで涙するあまり僕を一時間ほど掴んで離さなかったのも本当である。
あの時のお嬢様は特別可愛かったなあ。常にそうであるのは間違いないが、胸の内にある感情を抑えきれないでいる様子など見ているだけで意識が飛びそうなほどに尊い。
どれもお嬢様の慈悲深さを表しながらもお前と喋る気はないからさっさと帰れという意志表示に相応しいので使わせていただいた。
しかし流石に露骨過ぎたのだろうか、騎士は感づいているようだった。
まあ十回近く訪問してその度に会話を断られていてはいくら馬鹿でも気付くだろう。
制止するということは王子にも多少なりとも寛容さが……。
「俺を焦らそうというのだろう。全くいつになったら心を開いてくれるのやら。こうして何度も通っている以上俺がアイラ嬢の恐れる男どもとは違うことなど明らかなのだがな」
わあ、こいつ帰り道で暗殺されてくれないかな。
不敵な笑みを浮かべる豚野郎に対して、心の底から思う。
何という事はない、想像以上に度を越して馬鹿なだけだった。
しかもただの馬鹿ではない。人の迷惑を顧みず、全て自分に都合よく考える存在そのものが害悪な馬鹿である。
お嬢様が過去に起きた事件から男性恐怖症であるということは貴族であればほとんどの人間が知っていることだ。
それも視線を浴びるだけで身体が固まってしまうほどの重度の物。
そんなお嬢様にとっては何度も何度も押しかけて来られること自体が恐ろしいとなぜ気付かないのだろうか。
僕のスカートを握るお嬢様の手は、蛇に怯える小動物のように哀れに震えている。
こいつが王子でさえなければいかようにでも要求を突っぱねられたというのに。
どうしてこんな奴が王子などという無駄に権力のある地位にいるのだろうか。
世界とお嬢様の平和のためにぜひ消えてくれ。
……などと衝動のままに叫べたらどれほど楽だろうか。
腐っても王子相手にそんな言葉も、感情も吐けるわけがない。
もし悟られようものなら僕の命だけで済むなら御の字、お嬢様に多大な迷惑が掛かるだろう。
感情に突き動かされて主に迷惑を掛けるなど、傍仕えとしてあってはならないことである。
あまりの気持ち悪さに震えそうな身体も、怒りのあまり歪みそうになる口元も鋼の意志で押さえつけて平静を装う。
僕は置物だ。澄ました顔で黙っていれば、この馬鹿王子は良いように取ってくれるだろう。
そう願って暫し待つ。
どうやら願いは通じたようで、王子は笑みを深めてにやけている。
「星見の御子というのも結局は人の子。俺の輝きの前では目も霞むと見える」
耳を塞ぎたくなるような戯言だ。
しかし今は相手の機嫌を適当にとって帰ってもらうのが上策である。
このまま調子よく囀ってくれているなら問題ない……そんな目論見は甘かったとすぐに知らされる。
「だが覚えておけ」
王子の持つカップがソーサーと擦れて耳障りな音を立てる。
見れば王子は不機嫌さを隠そうともせずに顔をしかめ、カップの持ち手を握りつぶさんばかりに力を込めているのだった。
「俺の気は長くない。あまり俺を待たせていると痛い目を見るぞ」
そう言うなり、カップに残っていた紅茶をぐびりと飲み干して立ち上がる。
それは酷く不作法な態度だった。
お嬢様の手はその怒気にあてられて一層強く震えている。きっとヴェールの下では涙を滲ませていることだろう。
自分勝手にお嬢様を傷つける目の前の男が、腹立たしくて仕方がなかった。
「もう帰る。見送りは結構だが……そこの侍女、お前はついてこい」
指差しで選ばれたのは僕でした。
何故僕が? という疑問を抱きつつも、拒否できるだけの材料がない。
下手に歯向かってお嬢様に見送れと言われるよりは何百倍もましなので、僕はかしこまりましたと付いていくしかないのだった。
*
ずかずかと廊下を歩く王子を屋敷の出口まで先導する。
玄関の扉を開けば、部屋を出る際に先触れを出しておいたため王子の馬車が既に迎えに来ていた。
帰る準備は万端に整っているようで、後は王子と護衛の騎士が馬車に乗り込むのみ。
そして僕の仕事は彼らが屋敷の敷地を出るまで礼をして見送ることだ。
「それではザック様、本日はお越しいただきありがとうございました」
両手をお腹の前で揃えて四十五度に腰を曲げて感謝の意を示す。
貴様なぞもう二度と来るなとは心の声である。
後は二人が馬車に乗り込む、そう思っていた時だった。
「そういえば、だ」
王子が足を止めて口を開いた。
声の向きから察するに話しかけているのは護衛ではなく僕だ。
いつも彼がしないその行動に、とても嫌な予感がする。
お客様がお帰りのとき侍女に話しかけるなど、とても良いことがあるかとても悪いことがあるかの二択だ。
そしてこの王子においては前者を期待できるはずもない。
「最近考えていたのだよ。アイラ嬢の男嫌いを治すためにはどのようにするべきかと」
うるせえ、それはお前の考えることじゃないやい。
そんな僕の内心は届くことなく、王子の厭味ったらしい言葉が続く。
その言葉の中にあるのは嘲りや悪意、いかにもおぞましい感情。
禍々しいそれらを感じ取ってか、嫌な予感は先程から脳裏で警鐘を鳴らしている。
しかしいくら何でもお嬢様の屋敷で狼藉は働かないだろうと考えて、多少の嫌なことであれば甘んじて耐えることにした。
だから反応が遅れてしまった。
「そして名案を思い付いたのだ。お前を使えばいいのではと」
「わぁっ!」
おもむろに王子が持ち上げた手から眩い光が放たれ、僕に襲い掛かったのだ。
それは避ける間もなく僕を包み込み、視界を真っ白に染め上げる。
閃光。そして徐々に目が馴染む。
なんだ? 一体何をされた?
痛みや吐き気の類はない。かといってただ目くらましをされたわけではないだろう。
周囲の気配に特段変わりはなく、僕以外に何かをしたということもなさそうだ。
状況に戸惑う僕を嘲笑うような上機嫌で王子が告げる。
「傍仕えとして一番近くにいるのだろうお前が女から男になったと知れば、あの女はどうするだろうなあ? 本当に男嫌いならお前が男になったことに我慢しきれず、きっと俺に許しを求めて跪くに違いなかろうよ」
思わず顔を上げて目にしたのは、彼が僕に右の掌を向け愉快そうに口を歪めている姿。
その手の人差し指には赤い残光を宿す見覚えのない指輪があった。
あんなものを王子は身に着けていなかったはずだ。僕が礼で視線を切った瞬間につけたのだろうか。
すると恐らく指輪は何か強力な力を持った
そして彼の言葉、と思考を連ねてようやく彼が僕に何をしたのかを知る。
布を詰めていた胸部が更に膨らんだかのような圧迫感、足にこもる力の感覚が変わっている。
何より股にあるべきものが無くなっていた。
「そんな……」
「結果を楽しみに待っているぞ」
唖然と呟いた僕を置いて、王子たちが足早に馬車に乗り込むと逃げるように馬車は走り去っていく。
その姿を呆然と見送る。
王子によってもたらされたとんでもない出来事。それがお嬢様に与える影響。考えるだけで眩暈がしそうだ。
僕は足取り重くお嬢様のもとに戻るのだった。
人がいなくなった庭園で、紅茶の味を名残惜しむようにゆっくりと味わいながらお嬢様は待っていた。
そして僕の姿を見るなり、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「お帰り、エスタ。ごめんね、いつも迷惑かけちゃって」
「いえ、大丈夫です。お嬢様を煩わせるわけにはいきませんから」
ただ、その……と口ごもる。
不覚を取ってしまったことがただただ申し訳なく、これからお嬢様に掛ける心労を思うと今にも死んでしまいたい心持ちだ。
それでも伝えないわけにはいかないだろう。それほどの事態だ。
こてんと首を傾げるお嬢様に、意を決して口に出した。
「僕、女の子にされちゃいました」
「……………………えええええええええええええええええぇ!!」
僕はエスタ・ネイフ。
メイド服を着てお嬢様に仕える、
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