第13話 ゴミ拾いも立派な治安維持であると、俺は気が付いた
目まぐるしい日常をいつものようにこなしているある朝、先輩が「今日は風俗街の見回りだよ」とすごい不機嫌そうに巡回の準備をしていた俺の元にやって来た。
「これはまた珍しいですね」
「『例の件』だよ。昨日上から返事が来てね、イザベルさんにその返事の手紙を渡しに行くついでさ」
「あぁ……分かりました」
周りも忙しそうに仕事の準備をして走り回っている衛兵たちもいるからか、小声でぼかすように話す先輩に俺は首を縦に振る。
いつもの革鎧を胸に当てて、ショートソードを腰に提げた俺は先輩と共に風俗街へと足を伸ばすのだった。
ヘリガの風俗街での朝は、夜と打って変わって静かだ。道行く人もまばらで、目線を上に上げると眠たげに目を擦りながら髪の毛がぼさぼさの女性が窓のそばで煙草を吹かしているのが見える。
「……静かですね」
「風俗が朝からやってたら女の子は辛いだろうし――『朝から風俗通いしている男』って、どうしても良い印象はないでしょ?」
「まあ、そうですね」
ぱっと思いつくのはハンス衛兵長の顔。なるほど、良い印象はないな。冤罪で好感度が下がった衛兵長のことはさておいて、俺たちは名目上ではあるがしっかりと巡回をこなす。
風俗街は人目が付かないように大通りから離れて作られている仕様上、貧民街ほどではないが治安が悪い。
夜も人が多いから暴力や金銭トラブルといった事件が多いが、日中は人がいないから人さらいや手配犯の潜伏に目を光らせないといけないのだ。
「イザベルさんはいつごろお見えに?」
「うーん……それがあんまり分からないんだよね。貴族街のイザベルさんの家に手紙を出そうにも貴族街の衛兵の『検閲』が入っちゃうから、ここでイザベルさんを待つしかないんだよ」
「……それ、ちゃんと会えます?」
急に不安になった俺がそんな風に先輩を見ると、先輩は大丈夫だよとだけ自信満々に返した。
本当に大丈夫だろうか……先輩、変なところで抜けているからなぁとちょっと肩を落としながらも俺たちは風俗街を巡回していく。
入り組んだ建物の隙間や暗がりの裏路地、空き地や『悪そうな臭いがする』場所。そんな場所を回っては目を皿にするように、何か異変や困っている人がいないかを俺たちは探していた。
「……先輩」
「んー? 何か見つけたー?」
「いえ、今日も平和だなと」
ゴミ袋片手に空き瓶を拾っている先輩に、バラバラになった角材の破片を持っていたゴミ袋に入れながら俺はそう話しかける。
平和……そう、平和なのだ。エルフの輸入未遂といった大事件が起きてもヘリガの街は変わらない。
先輩も平和だねぇ、と朗らかに笑いながらも「でもね……」と続ける。
「平和なのは、ボクたちが頑張っているからだよヴェルナー。もちろんボクたちだけじゃない、街のみんなも協力してくれているから……今の平和があるんだ」
「そうさね。魔王がいたころは色んな街を見てきたけど、中には奪わないと生きられない街ってのもあったよ」
「イザベルさん……おはようございます」
カランコロンと下駄を鳴らしながらゴミ袋片手にイザベルさんがやって来た。カチカチとトングを鳴らしながら俺たちに挨拶をしてきた彼女に俺たちは立ち上がって挨拶を返す。
「はい、おはようさん。ふわぁ……朝から元気さねぇ」
「早いねイザベルさん、まだ朝の9時だよ」
「なに、過去の名残りさよ。3、4時間寝れば十分さ」
これでも眠気が残っているのは、平和に慣れてきたからかもねぇ……とイザベルさんは地面に投げ捨てられていた煙草の燃えカスをトングで拾い上げてゴミ袋に入れながら困ったように笑った。
「イザベルさんって……貴族でしたよね?」
「ん? 貴族がゴミ拾いしているのは珍しいかい?」
「……正直に言うと」
「はっはっは! 父からの受け売りなのさ、『商売をする場所は清潔感で客層が変わるもの』ってね。きれいな場所にはきれいな客が付き、汚い場所には汚い客しか付かない――あたいはそれを守っているのさ」
イザベルさんが俺たちの巡回に付いてきながらそんなことを教えてくれた。なるほど、『きれいな場所にはきれいな客が付く』か……俺は朝の街の掃除をきちんとやろうと少し気合を入れなおす。
そんな俺の姿を見てイザベルさんがそそそ……と先輩と距離を詰めて、こそこそと俺に内緒で話を始めた。
「ねぇカタリナぁ~」
「あげないからね」
「男娼とか関係なく欲しいのさ、あたいももう23だし――ほら、貴族に見初められるって玉の輿だろう?」
「ヴェルナーに貴族のドロドロを見せたくない!」
何を話しているのだろうか……女性の内緒話に耳を立てるほど無粋なことはしないが、やはり気になるものは気になる。
こういうときは仕事に集中するか、と俺はゴミ拾いに精を出すことにした。
「一国の伯爵になれるってすごいことさよ? あ。あたいは第二婦人とかオッケーな人だから、カタリナもどうさね?」
「そっ、それはぁ……何となく、やだ……」
「あーもう、いじらしくて可愛いさねぇカタリナも~!」
美人な人二人がいちゃいちゃしている、先輩は全身ガチガチの甲冑だから顔は見えないけど。そんな二人を見ながら歩いていると、いつの間にか『夜の帳』の前に俺たちは立っていた。
それに気が付いて驚くように俺がイザベルさんを見ると、イザベルさんは「んふ~」と鼻高々に悪戯が成功したかのような子供っぽい笑みを浮かべる。
それだけで俺はイザベルさんに誘導されていたことを察した。
「……いったいどうやったんですか?」
「娼婦の客引きってのは数多の手段があるんさよ……さて、カタリナたちがここに来てるってことはあたいに話があるんさね? 入りな」
「ぶー……イザベルさんに弄ばれてる気がする……」
気がするじゃなくて、弄ばれてます先輩。俺たちはイザベルさんに手招きされて店に入りいつものように最上階へと促される。
この前のような嬌声が聞こえることもなく、静かな2階を上がり俺たちは応接間へと通された。
「ほらカタリナ、出しな」
「前置きもなくいきなりだね……」
「時は金なりさね」
イザベルさんにそう言われて先輩は一通の封筒を懐から取り出す。あれが国からの手紙か……イザベルさんの目の前に置かれた、蝋で厳重に封をされた手紙を見て俺は何となく緊張して姿勢を正した。
イザベルさんがナイフでピッと封筒の口を切って手紙を取り出して読み始める。そして少し経った後――ため息とともにぽいっと投げやりに手紙をテーブルに置いた。
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