第14話 即興のミルフィーユ
この国の身長というのは、格差がある。
私の弟子たちは元軍人という経歴があり、ほぼ175~180前後。貴族の三男坊以下という出身もあり、生まれたときからいいもの食べてるかららしい。一般人よりは肉食って、運動して身長を伸ばしている。
対して一般の人というのは170~175あたりが平均。
ただし、女性となると皆おなじくらいになるらしい。150~160くらい。150以下ということも珍しくはないようだ。
私が163くらいだったのでこの世界ではかなりでかい女だった。
ということを踏まえて、私が出した求人広告の位置を確認してみよう。
「……確かに、高いわ」
位置が悪いっ! 絶妙に視界から外れる位置。一応、遠くからなら何か貼ってあるのはわかるけど、すぐ近くなら見にくい。
以前の求人広告は即刻外した。弟子のひとりに窓に貼っといてといった私が悪かったんだろう。その人、180くらいありそうだ。自分が見やすい位置に貼っちゃった。
私もちょっとどうかなと思っていたような……。いや、スルーしてたな。
視界に入らないとか考えつかない。何人かは足をとめた人がいたから。見られない求人ではないが人がなぜか来ない。そう思っていた。
求人は今は私の目線よりやや下あたりに張り直しした。
「これでどうかな」
新しい店員のシアさんに尋ねる。
彼女は少し思案して頷いた。
「よいと思いますが、こう言った方法ではなく、新聞などに求人をのせては?」
「男の人だけいっぱい来たからやめたの。男手は余ってる。
シアさんがきてくれてよかった」
求人を見上げて、うちの弟子とちゃんと話をして、問題を指摘してくれた。
すごい。
今まであれば、ごくまれにあそこで足をとめたとして、弟子が気がついて声をかけた瞬間にひえっという顔をして逃げられる。私が出ていったこともあるが、店主だとわかるとサインが欲しいとかお菓子の感想だとかで、逆に私が逃げ出す羽目にね……。
もう、女性の雇用は諦めていた。店員ならなりたいと言う人はいたんだけどね。女性の職人を増やしたかったのでお断りしている。
女性の菓子職人、いないわけでもないが絶滅危惧種なんだ……。
「まだ、お役に立っていないと思いますよ」
あたしの言葉にシアさんは少し困った顔をしている。
「中流家庭でのお茶会事情とか、下町流井戸端会議とか、とっても役にたってるよ。
私、この辺りの生まれではないから」
それどころかこの世界で生まれてもいない。という話ではあるけど。
その話にはシアさんも納得するところがあるようだ。
「都会には都会の流儀がありますからね……。
でも、中流までですよ」
「主な購買層はそこだから大丈夫。
さて、今日も今日とて覚えてもらうことがあるよ。開店前に味見しないと」
「はい、がんばります」
素直にそう言ってくれてありがたい。
弟子たちも説明するとちゃんとわかってくれるし、基本、素直だからやりやすいんだよね。
それだけではなく、上官に逆らうなというのを徹底されてきたってところもあるんだとは思うけど……。
「じゃ、味見前にシアさん、お茶入れてくれるかな。
ついでに誰かを連れて教えてあげて。私は店先を掃除してから行くから」
「承知しました」
きれいに一礼してシアさんはぱたぱたと店の奥に消えていく。
彼女は中流家庭のメイドさんだったそうで、家事のプロだ。いろいろ学ぶことも多い。特に紅茶の入れ方というのは、階級差があるらしい。使う茶葉が違うのでそれぞれおいしいやり方が違うそうだ。
貧しいほうは三回使うとか。労働階級だと茶葉の粉末を濾しもせず飲むとか。砂糖と牛乳を使い始めてようやく中流かなという具合。
ほーと弟子一同感心していた。彼らは貴族式か軍隊式で生きていてそれ以外は知識になかったらしい。そういえば、あのあたりでシアさんが一目置かれたような気もする。
軋轢などはなくて幸いである。
そう言う意味では店は順調である。
店以外は全然順調ではない。
シェフことライオット氏が忙しい。それというのも、アフタヌーンティーセットが功を奏したのか、聖女様への求婚が成功したから。
おめでとう、で済まなかった。じりじりとしていた周囲が大いに盛り上がって、早速、婚約の宴をとやっちゃうらしい。それでちょっとばかり聖女様のご機嫌が斜めになったりもしたが、開催を見送られることはなかった。
で、宴と言うからには食事が出る。厨房、大忙し。休む暇どころか、ちゃんと寝れているのかすら心配になってくるレベルである。
私も先週、デザートの参考にと呼ばれた。その時に、会ったのが最後である。まともに話もできる雰囲気でもなかったので、非常食を押し付けてきた。
ちゃんとやっているのか、心配である。
そして、もう一つの問題。
某伯爵。ルイス氏である。
思い出すと頭が痛い。
あのクッキー事件から半月ほどたっているが、相変わらず出禁中である。納得しがたいが、悪かったっぽいので謝る、みたいな領域を抜けてない。
反省文のリテイクというのを要求する羽目になるとは思わなかった。4,5日おきに反省文をもらうがかみ合わなさを感じている。
「はぁ……」
思い返すとため息が出る。
そもそも、あの子、私が上官って認識なさそうなんだ。店主、一番偉い、という感覚がないって言うか。王族やってるからお店の主も対等とかもしかしたら下と思ってる。無意識なんだろうとは思うけどね。
だからと言って敬意を払っていないというわけでもない。
プライベートとか仕事の相手なら別に構わないんだ。
ただ、弟子の立場でそれやられると困んのよっ! という切実さを誰か叩き込んでほしい。
ただでさえ、嘗められがちな女店主ですよの。やっぱり、愛人だからとか陰口はいらんというのに。
このままでは本格的に国王陛下に相談案件に育ちそうだ。
お父さんに怒られておいで、というのは、かわいそうな気もするのでその前になんとかしたいけどさ……。
まあ、とりあえずは、次の反省文で考えよう。
箒で小さいゴミをまとめて片付ける。手を洗って着替えてと次の段取りを考えながら店の扉に手をかける。
「まだ開店していないのかい?」
「あ。あと、半刻は……」
振り返り反射的に答えて途中で言葉が止まった。
なんかお忍びな感じの偉い人がいた。
彼は中流階級のありがちな服装で、それほど浮いていないように見える。しかし、男性の方の顔に似た人を知っていた。
某伯爵とか執事(仮)とか、その弟とか。推定その父親とか。
同じ系統の顔の金髪碧眼なのだよね……。あ、御兄弟ですね? と思うくらいに父親の遺伝子が強い。
彼は一人ではなく、その隣にも美女が立っていた。さらに後ろに護衛っぽい人が二人いて申し訳なさそうな顔をしている。
「……開店します」
待たせたほうが面倒がやってきそうなので、開店することにした。
彼は私よりもいくつか年上に見えた。連れの女性も同じくらいで、おそらく彼の奥さんだろう。そうでなければ、修羅場過ぎる。
彼らは興味津々と言いたげに店内を見回している。
開店準備中の弟子たちがびしっと直立不動になったので、やっぱり偉い人……と思う。
たぶん、既婚でそのくらいの年となると二番目の王子様じゃないかな……。
「おすすめを聞いてきたんだよね。
シフォンケーキっていうのが、いいって。それから、ブラウニー。クッキーもおいしいって聞いたけど、今日はあるかな」
「まあ、わたくしは、店内でしか食べれないミルフィーユというものが絶品と聞きましたよ」
「それなら、持ち帰れないものを食べていこうか」
……お買い物だけでなく、お召し上がりですか……。
「こちらへどうぞ」
諦めて席に案内する。今日は開店を遅らせるしかない。
もし開けても彼らに同席する一般人がかわいそうだ。やっぱりオーラが違う。まぶしっ! という華やかさがあった。
メニューを開き、一通り説明するのは私の役目になった。弟子一同、厨房に引っ込みやがった。引っ込む前に私にこの人が誰なのか説明してくれ。なんとなく察したけど、正解を教えて。
楽しそうに選んでいる二人は少し時間がかかりそうなので、お連れの護衛にも注文を聞いておいた。彼らもお客という設定らしい。無難にフルーツタルトと焼き菓子のセットを半分ずつするらしい。
そうしている間に王子様方も注文が決まったらしい。
「ご注文を繰り返します。
シュークリームセットとミルフィーユセットですね」
「あとは焼き菓子をいくつか見繕ってくれるかな。
お土産をもっていかないと怒られそうだからね。中くらいの箱を5つ分よろしく」
「畏まりました」
……なんか、王族のお土産にされた。眩暈がする。
引きつりそうな笑顔のままに一度厨房に下がる。お客さんを残して店員がいなくなるというのは問題ではある。
しかし、私が失敗をする可能性を排除するためには一度下がるしかない。
「で、弟子よ。
あのお方たち、誰」
「第二王子アザール閣下です」
「お連れになっているのは閣下の奥方さまのラリッサ様です」
「下町によく出ているとは聞いていましたが、実際お会いしたのは初めてです」
なんか、ここの王族、フットワーク軽すぎない? 前も何番目かのお姫様来てたよ? お友達と盛り上がって、買い占めようとしたのを止めた。みんなで楽しく分け合うのも大事では? という話で説得できたのは良かった。
今回いらっしゃった方はそれなりに慣れてるようで大丈夫だとは思うけど……。
シアさんは初めてなのでえ? 閣下? 王子? と混乱しているし、弟子一同が他の方よりも緊張している。
「私がやるからいつもの開店準備しておいて」
シュークリームはシューの焼き時間が重要だ。とは言っても今日のシューは焼かれた後だ。店内用なので注文後にクリームを入れる。
カスタードも炊いてあるのであとは生クリームと混ぜて粘度と味を調節する。
それにしてもカスタードというのは、なぜ炊くと言うのかは謎である。小豆を炊くとかと同列なのだろうか。
ミルフィーユ用のパイもパリッパリに焼いている。
あとは組み立てるだけだ。
客席の様子を見れば、店内見学中で楽しそうではある。あれこれ触ったりしないところが高得点だ。時々いるんだ。子供かってくらいに触ったりする人。
さて、組み立てと思って、私は手をとめた。
どうせ、ほかに客を入れないのだからいつもしないことをしてもいいだろう。
「実演してくる」
ミルフィーユというのは、食感が命である。食べにくさとか放り投げて、パリッパリのパイを用意する。しんなりしないように、表面に砂糖を振ってがりがりに焼いた。ちょっと焼きすぎでは? というくらいに焼くのがうちの先生であった。ま、まだ、焼くの? というびびった思い出。
ミルフィーユも割と最近のお菓子ではある。19世紀が最近というかはさておいてではあるけど。
ちなみにシュークリームのほうが古い。同じようなものがこの世界にもあったけど、こちらはパンの延長線上にあった。ポップオーバーに近い感じで食事の付け合わせ。最初はおいしいの? という疑惑で見られていたものである。
私はワゴンにミルフィーユとシュークリームの材料を載せて客席に行く。
ミルフィーユ
事前準備。
・パイ生地を用意しておく。
・カスタードを炊く
・生クリームを泡立てておく
1.パイを焼く。膨らみ過ぎないように途中から天板を上に乗せる。
2.用意していたカスタードに生クリームを入れる。
3.焼きあがったパイを必要なサイズに切り分ける。
4.組み立てる。
事前準備とまとめられているほうが大変という罠。
まあ、どれも他のお菓子で使うからそれ用に用意はしないからこういう感じなっているけど。
皿の上にパイを敷きクリームを絞り、もう一枚パイを載せ、さらにクリームのせてパイを載せる。今日は上に飾りのクリームを載せて、ブルーベリーをちょんとのせる。
シュークリームはそのままクリームの入れて皿に乗せる。
「どうぞ」
「俺の、これだけ?」
彼にはそっけない食べ物に見えたのだろう。
「そういう食べ物なので。手でつかんで食べる作法がありまして、こう、クリームが落ちないようにひっくり返してですね」
こう、がぶっとね! とやったらアザール氏ではなく、奥さんのラリッサさんのほうがびっくりしていた。
「ご婦人向けには一口で食べられるサイズのものがありますよ。小さいのを積んで」
小さいシューを三つほど作って実演しておく。
誰もかれもにかぶりつけとは言わない。
ただし、である。この商品、地味に人気なんである。味以外の理由で。
「そちらのシュークリームはクリームがあふれて大変になるまでがセットです。口元とか汚れちゃいますから気をつけて」
はっと気がついたように、アザール氏は奥さんとシュークリームを見る。
そうそう、そういうイベント。
奥さんにお世話されちゃうやつ。仕方ないわねぇとぬぐってもらって。
「そういう作法なら仕方ないな」
「気をつけてくださいね」
ラリッサさんはこの意図に気がついてないようだ。心配そうである。
仲良く楽しんでいただきたい。
ミルフィーユも食べにくくて、あれこれ試して欲しい。
食べやすさだけが、良いというわけでもない。
無事、アザール氏はシュークリームをそこそこの被害でこぼし、ラリッサさんに気をつけてくださいねと言われながら世話を焼いてもらっていた。
こっそりサムズアップされたので、どこの誰が王子様にこんなの教えたのと思ったりもしたが。
お気に召したようでなにより。
偉い人がご機嫌なのがわかったのか弟子たちも厨房から出てきて開店準備をしている。護衛の方の給仕もしてくれたらしい。
それなら私はお持ち帰り用のお菓子詰め合わせをつくるか。
ご贈答というのはこの世界でも普通にあるようできちんとした箱をいくつかのサイズで用意している。箱詰めして、ラッピングしてと作業する。安くはないが、紙が存在するのは良かった。くるくると巻いてリボンを結ぶ。こんな異世界でラッピングの授業が役に立つ日が来るとは思わなかった。
「へえ?」
急に声が聞こえてびくっとした。
アザール氏、気配がなかった。弟子たちも時々そうなるけど、そっち方面の人なの? そうなの? だから弟子たちがびびってたの?
「器用だね。うちの弟が騒ぐのが分かった」
「光栄です」
これ、すごい便利な言葉。
偉い人に対して万能すぎる。
「弟と同じくらいだと言うのにすごいな」
「……あの、4歳年上です」
一応、訂正しておこう。おそらく彼の言う弟というのは某伯爵だろうし。
それにしても地味に若く見られる。私もそうだが、姉さんも。
「……23?」
がっつり計算された。もうそろそろ24だということはいわないことにする。婚期を逃したということにほかならないからね……。婚活市場、早いと14くらいからというから10年あって結婚しないんだから無理よねという圧は感じる。
「アザール様、女性に年齢を尋ねるのはよろしくないことぐらいご存じですわよね」
柔らかいがドスの効いた声というものは存在するらしい。がしっと貴婦人の手が肩にかけられているが、なんかのホラーを見ているような気分になる。
あ、その、あの、としどろもどろなアザール氏。
「ごめんなさいね。
もう帰るわ。今度はお友達と来るわ。行くときには先にお手紙を送っておくわね」
「あ、はい」
じゃあ、護衛の人も帰るよねと見れば……。
のんびりとタルトを食べていた。はっと気がついて、居住まいを正しているがいまさらである。
「気を抜きすぎだ」
呆れたようにアザール氏は見ているが、確かに私もそう思う。
そのまま立ち上がるのかと思えば、その前に残ったタルトを口に放り込んだのを目撃してしまった。
もぐもぐとそりゃあもうリスのように。
「……まったく。また寄らせてもらうよ」
そういうアザール氏に。
「おまちしております」
というのは建前である。
もちろん、お互いわかっているだろう。わかってて、来るんだろうけどさぁ。
「そうそう。厨房はそろそろ落ち着く頃だと思うよ。試作品は終わったみたいだから」
私が返事をする前にアザール氏は背を向けていた。
……そーいえば、元上司でしたか。
「……さて、開店しないと」
定刻からやや遅れての開店となった。
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