二章 魔女に首輪は似合わない(1)

 連行した男の名はザック・ノル。職業〈売人〉――薬法をすり抜けることならお手のもの。

 ザックは結局拷問で吐いたこと以上の内容は語らなかったものの、自分自身のことならボソボソと聞き取りづらい声で話した。


 あの部屋では違法薬物の調剤をしていたこと。

 自分は戦争帰りで雇ってくれる所はなく、仕方なくやっていたこと。

 金がとにかく必要だということ。

 被害者と面識はないということ。

〈空間転移〉の刻印については顧客がいたずらでやったかもしれないということ(これは苦し紛れの言い訳だろう。部屋の防犯対策は完璧だった)。


 尋問は地域管轄の署で行い、情報を得た後は留置場にぶち込み、ローグたちは第六分署に戻って来た。昇降機が降下するのを待つ間、ミゼリアは手に入れた情報とやらを語った。

「ザック・ノルはねえ、子供に声をかけられたと言ってたよ。そいつが自分に刻印だとか作らせたんだってさ。ちなみにその子供はザック・ノルが元軍人だということも知っていたらしい。彼が言うには、軍関係者の子供かもしれないってさ」

「軍属か……その線で洗ってみるか」

「当てはあるのかい?」

 ローグは頷いた。現在、軍が問題を起こしたという話は聞かないし、情報統制もなされている。となると掘り下げるなら、もっと過去のことだ。

「……浄化戦争って知っているか?」

 問うと、遠い目をしながらミゼリアが、

「浄化戦争か。そんなこともあったねえ。歳をとるとどうにも覚えが悪い」

「何だよ老人みたいに。お前何歳だよ」

「千二百歳」

「……マジかよ」


 ローグがあの戦争について知っていることはそれほど多くない。


 世界中の民衆に魔術が広まった初頭である。

 それは宗教国家セグメドが発端だった。「魔術は偉大な神からの贈り物なのだから、下等階級が使用するなど断じて許されることではない」と、セグメドはそれを口実に隣国へと戦争をしかけたのだ。

 皇国の『二大貴族』は隣国に自国の兵を救援として送り、セグメドを滅ぼした。その際、『二大貴族』は過度な軍事介入をしたとされ、他国からも自国からも非難を受けたのだった。

 そのような経緯があり、浄化戦争に参加した部隊は戦争の終結と共に解体され、戦争参加者のデータは個人情報保護のため全て破棄されていた。捜査官であれ彼らの情報を入手することはできない。



「着いたよ」

 ミゼリアが言うと昇降機のドアが開く。

 光が広がった先にリコが出待ちしており、ローグたちの姿を認めると、

「おかえりなさいローグ捜査官、ミゼリア」

 そう言われてホッとしたのは初めてだった。妙な気持ちだ。自分は今、帰ってきたのだという実感がある。

 ローグをそんな気持ちにさせた張本人は、吞気にリコへ声をかけている。

「やあリコ、元気にしてたかい」

「そうでもありません」

「ふうん?」

 と、リコがホールへ手を向けた。

「魔女の皆様のお世話をしていましたので」

 確かにリコの言う通りだ。ローグの視線の先には、だらけきった魔女たちの姿がある。いかにも自由時間といった感じで、トランプをやっていたり何か食べていたりしている。喋り声もいくつか聞こえた。

 だがローグたちがホール中央に足を踏み入れると、それら全ての音が止まった。

 見られていた。

 無表情に、しかしまるで招かれざる客がやってきたかのように目で問いかけていた。

 なぜ無事なのかと。

 空気が張り詰めていく。自分の肌が粟立つように感じる。十秒前まで安堵すらしていたというのに、一瞬で状況が変わってしまった。

「おやおや、皆どうしたんだい? そんな顔して」

 隣のミゼリアが不思議そうに言った。もちろんわざとだろう。他の魔女が反応しないかひやひやしていると、ついに上から声がした。

「なんでそいつを殺してこなかったんだって思ってるからだよ!」

 見上げるとフェンスを飛び越える影があった。宙で何回転もしながら影はローグとミゼリアの前に着地する。何メートルもの高さからだというのにバランスをほとんど崩さなかった。

 少女だった。

 肩にスタッズのあるジャケットを羽織っており、サングラスまでかけている。しかし上背はなく、ローグより頭ひとつ分低い。ともすれば子供がごっこ遊びをしているようにも見えた。もちろん首にはミゼリアと同じく〈首輪〉が付いている。

 ――こんな少女も魔女なのか?

 そう思っていると、ミゼリアがにこやかに口火を切った。

「やあフマフ。気分はどうかな?」

「おいてめえ……なんで新人殺してねえんだ? あたしが『死ぬ方』に賭けてたの知ってたよな?」

 サングラスの少女がドスの利いた声を出すもミゼリアは、

「そうだったかな。歳のせいか覚えが悪くてね」

「てめえっ!」

 サングラスの少女がミゼリアの首を右手で掴んだかと思うと、そのまま宙に持ち上げた。信じられない怪力だった。さほど力を込めているようにも見えないのに、ミゼリアの脚が完全に浮いてしまっている。

「フマフ。すぐ怒るのは君の悪い癖だね」

 脚をばたつかせながらミゼリアが言う。

「人をイラつかせるようなことを言うのもてめえの悪い癖だな。そのほっそい首へし折ってやる」

 と、不意にミゼリアがローグにウインクをしてきた。それははっきりとサングラスの少女に見られていた。

「なんだ今の?」

 サングラスの少女が声を上げるとミゼリアがさも自慢げに、

「短時間ではあるが、ローグ君とは友情を結んでね。私の代わりに悪い子を𠮟ってくれるんだよ」

「へえ……そうかよ……」

 サングラスの少女の声が低くなっていく。鋭く尖った犬歯を剥き出しにローグを睨む。

(あの野郎! 俺を巻き込みやがった!)

「てめえから先に死んどくか」

 軽々しく放たれたその一言は自身を縛る〈首輪〉の存在を忘れているとしか思えなかった。思考がおかしい。人を殺したら自分も即死するのに、なぜそんなことを言えるのか。

 説得が通じない以上、覚悟を決めるしかない。

「……そいつから手を離せ」

 睨み返してやる。よくよく考えれば、このようなチンピラじみた輩ならいくらでも関わってきた。魔女の肩書きがあろうがどうした。それに同じ魔女であるのに、ミゼリアと比べたら全然怖くない。

「てめえ……あたしにガン付けやがったなぁ?」

 ずいと少女――フマフがローグに近づいた。頭に血が上っているのか右手のことを気にしていないようで、ミゼリアが放り出されるのが見えた。

 フマフが両手を服の隙間に差し込んだ。そして両手が引き出されると、その手には二本の果物ナイフが握られていた。

「やっすい武器が好きでよぉ。こんなので何百も殺してきたんだぜ。てめえも安物の切れ味、味わってみろよ」

 フマフが丸テーブルにナイフを向けると、

「〈機関エンジン〉」

 そう唱えた。

 次の瞬間、銀閃が煌めき、テーブルの足が残らず切断されていた。テーブルが落下し鼓膜を震わせる。動きが速すぎて碌に見えなかった。が、フマフの手元に戻ってきたナイフを見て、ローグは理解した。

 二本の果物ナイフはフマフの手の上数センチで、浮遊していた。それらが蜻蛉のごとく精緻に動き、テーブルの足を切断したのだ。

 物体の操作魔術――これほどのものは初めて見た。理性が今すぐ逃げろと赤信号を灯している。背後に目をやるが、扉は閉ざされたままだ。

「くそっ」

 フマフがゆらりとローグに向き合う。

 ミゼリアは見ているだけ。リコは戦えそうにない。助けてくれる者ゼロ。

 拳を構える。

(やるしかねえのか……!)

 歩きながらフマフが言う。

「安物の切れ味……味わってみろよ」

「あ?」

「てめえも安物の切れ味……味わってみろよ」

「だからそれは聞いたって――」

「安物の切れふぁふぃ……ふぁあ」

 何か様子がおかしい。しきりにあくびをしている。

「やふものの……ふぃれふぁひ……」

 その時、目を掻こうとしたのかサングラスにフマフの手が当たった。床にサングラスが落ち、彼女の目が露出した。

 どこかのお嬢様のようなおっとりとした目だった。あくび交じりに涙を浮かべ、充血し真っ赤だ。まるで慣れない夜更かしをした日のようだった。

 ローグは唖然としながら言った。

「お前、眠いのか?」

「うるふぇあたひぃはぁ」

 ナイフが繰り出されるが、亀よりも遅く簡単に避けられる。不安定な軌道を描き、ナイフはそのまま明後日の方向に飛んでいき、フマフも「ああー」と前に倒れていく。別に助ける義理はないのだが、ローグは一応彼女を受け止めた。

「ね、ねむい……」

「何だこいつ……」

 腕に抱いたままそう呟くと、リコの声がした。

「フマフ――貴族評議会による彼女の識別名は〈不眠獣〉。七番目の魔女です。人を殺さないと眠れない体質で、監獄に収監されてからは、慢性的に睡眠不足なんです」

 見ると、フマフはとんでもなく眠そうに「ふぁ……ふぁ」と言っているが、瞼が閉じかけるとすぐパッと開く。ローグの腕の中でそれをずっと繰り返している。

「おい、邪魔だぞ」

「ねむい……ねる」

「俺はお前の枕じゃねえ。さっさと俺のところからどけ」

「いやだぁここでねむるのぉ……」

 フマフはローグにしがみつき首を振った。

 リコがホッとした声を出し、

「イヤイヤ期に入りましたね。今のうちに引き剥がしましょう」

 慣れた手つきでローグからフマフを受け取ると、床に引きずっていく。

 思わず感嘆の声が出た。

「……リコさんよくこんなところで働いてるな。尊敬するよ」

「ご理解いただけたようで何よりです」

 リコは一ミリほど口角を上げたように見えた。それから一礼するとフマフをホールの奥に連れて行く。彼女たちの姿が消えるのをぼんやり見届けると、奴への怒りが再燃してきた。

「……よくも俺を巻き込んだな」

 自分でも驚くくらい刺々しい声だった。投げ飛ばされた姿勢のまま転がっている奴が答える。

「いやあ申し訳ない。でも、ローグ君頼りになるなあ。かっこよかったよ」

「思ってもないことを言うな」

「思ってるよ。すごく思ってる。いやあ、フマフから助けてくれた時のローグ君カッコ良すぎたなあ。街に出て自慢してきたいなあ。うちのローグ君がかっこよすぎるんですって」

「馬鹿にしやがって。あの魔女にお得意の夢でもなんでも見せて、一人で助かってれば良かったじゃないかよ」

「ふむ、それは難しい提案だ」

 そこでミゼリアが体を起こし、立ち上がった。ローグの方へ歩いてくる。まじめ腐った顔を作っているので、思わず面食らった。

「……何が難しい提案なんだ」

「何って、そりゃ首輪の制限があるからねえ。あんな魔術、短い時間でしか使えないよ。首を掴まれた時点で私の負けさ」

「……じゃあなんで喧嘩売ったんだよ」

「面白いから、かな? でも今回は行けると思ったんだよ」

 と、ミゼリアがなぜか照れたように歯を見せた。

「今回はって……お前何度もこんなことやってるのか?」

「両手両足の指では数えきれないほどにね」

 ため息が出る。

 心の底から呆れた。

「……お前に学習能力はないのか」

「喉元過ぎれば熱さを忘れるというじゃないか。過ぎ去った過去に思いを馳せるのは馬鹿のすることだよ」

「自分のこと言ってんだよなそれ?」

 その時ドサッと物が落ちる音がし、

「あ、あなたどうしてミゼリアと喋れてるの?」

 妙に慌てた声が間に入ってきた。

「……は?」

 会話に割り込まれ、振り向くと、いつの間にか新たな少女がいた。くすんだ茶色の髪にシスター服を着ている。ローグへ指した指をプルプルと震わせている。足元には先ほど落としたと思われる本が落ちていた。

「だ、大丈夫なんですか? 怪我は? 頭は何かされました?」

 少女は一見するとこの場所には相応しくないように見えた。視線はあっちこっちに動き、耳は真っ赤――魔女としての自信も誇りもどこにもなさそうだった。反応に迷い、ローグ自身も歯切れ悪く、

「まあ怪我は特にないが……」

 そう言ったものの、少女は狼狽したままで、ローグの声が届いているかも怪しかった。

「おやおや、先に名前を言わないと誰だかわからないよ。ほら例のアレもつけて」

 しかしミゼリアがニヤニヤしながらそう言うと、

「そ、そうですわたしは――」

 少女はいきなり腰に左手を当て、右手を突き出した。手袋に包まれた指が目の辺りでピースの形を作っている。

「わたしは〈聖女〉カトリーヌ! 三番目の魔女にしてその斬首期限は三千八百年! 恐れ慄いてくださいローグ・マカベスタ!」

「あー……」

 どう反応すればいいのかわからない。何せやっている本人が恥ずかしがっていた。翡翠の瞳は涙を浮かべかけているし、白い肌はお湯に浸かっているかのごとく赤くなっている。ポーズをとったまま小刻みに震えていた。

 自信を持ってやってくれるならともかく、中途半端に決めポーズを決められてはローグとしても擁護しようがなかった。

「ろ、ローグ捜査官!? わ、わたしは〈聖女〉カトリーヌ! 三番目の魔女にしてその斬首期限は三千八百年!」

 聞こえていないかと思ったのか〈聖女〉カトリーヌが同じくだりを繰り返す。

「……もういいぞ」

 空調の風が緩やかに吹いていく。

「あ、そ、そう」

 腕を下ろしカトリーヌは俯く。そして上目遣いでローグの側にいるミゼリアを睨む。

「……ミゼリア」

「おや、どうしたんだい? そんな毒でも盛られたみたいな顔して」

「あなたが騙したからじゃありませんか!」

「騙した? 人聞きの悪いことを言うねえ。私は今のポーズを決めれば新入りが君にびびってくれる……かもしれないと言っただけだよ」

「あなたのせいでわたしはぁっ……わたしはぁっ」

「よかったじゃないか。自己紹介する手間が省けて――ローグ君。カトリーヌはこんな奴だよ。さあもう行こう」

「待ってローグ捜査官! わたしはこんな感じじゃないんです! もっと有能な感じです!」

 カトリーヌが縋り付くような勢いで言った。

「いいやあんな感じさ。昔はブイブイ言わせていたそうだが、今はすっかり落ちぶれてしまったそうだ。やれやれ……時の流れとは残酷だ」

 ミゼリアが残念そうに首を振る。

「あなたは黙っててくださいミゼリア!」とカトリーヌが言った。「ローグ捜査官! わたしは捜査に参加したいんです! 情報を教えてもらえますか!」

「はあ……じゃあ行くぞ」

 ローグはため息を吐いた。

「そんな……」

 カトリーヌが絶望したような顔になる。

「ああ、彼女に構っていたら日が暮れてしまう」とミゼリアが肩をすくめた。

「お前じゃねえよ」

「え」

 ミゼリアがキョトンとした顔をした。初めて見た顔だった。

 ざまあみろと思いつつローグは、カトリーヌに言った。

「こいつのいないところで話をしよう。情報交換をしたい」

「ろ、ローグ捜査官!」

 カトリーヌがキラキラと目を輝かせた。するとミゼリアが、

「どうして私が除け者なんだい!? おかしいだろう! 断固抗議する!」

「何が抗議だ! お前がいたらいつまで経っても話が進まねえだろうが! どうしてお前はそう他人をからかうんだよ!」

 ミゼリアは白銀の髪をかきあげ自信満々に、

「仕方がないだろう! 他人をからかうのは私の生きがいだ」

「そんな生きがい捨てちまえ」

「なってない……なってないよローグ君。人生とはえてして他人が自分を脅かし――」

「行きましょう! ローグ捜査官」

「行くか」

「ローグ君!?」

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