吸血鬼の眷属

ボナンザ ソバイユ

第1話 魔法使い①

 「お?君は野良の人間ですか?」

 「そうですよねえ、誰の魔力もついていないですし」

少し高揚しているような声で僕に話しかけているのは2mほどありそうな長身にオールバック、黒いスーツとヤクザ風ネクタイを身にまとっている男。

その口元には大きな歯と太い唇の笑顔が施されたマスクを着けている。


魔法使いだ。


本当にいたんだ。逃げなきゃ。どこに?走る?目ぇそらさないほうがいいんだっけ?

わからないわからないわからない

「誰のつばもついてないということは私がもらっていいんですよねこの人」

男がゆっくりと近づいてくる。

踵を返して逃げようと思ったけどもう遅かった。網にかかったように動けない、前に進めない。夜外に出ることを後悔する。


 初めて魔法使いが現れた例の事件が起こったのはある春の日の夜だった。

明日の課題も終わらないまま見ていたテレビの画面はニュース速報に切り替わり、例の事件について一斉に報道し始めたんだ。


「大阪に魔法使い襲来」


その内容は大阪は道頓堀で奇怪なマスクを身に着けた三人の男が街に炎を放ち、道を凍らせ、雷を落とし暴れまわるというものだった。

「魔法使いだ?」

その時はタイトルに現実味がなさ過ぎてついふふふと笑ってしまった。

凍る道頓堀川も焼けるグリコサインも切断面から漏電する電柱も逃げる人もそれを引き起こしていた三人の魔法使いも、全部が全部ゲームの映像かのように見えた。

 しかしそんな中で聞こえる生々しい子供の泣き声、老若男女の命乞いの輪唱、がれきに挟まれ焼けこげる人、そういった生々しい情報は僕に、いやこの放送を見ていたみんなに現実感を与えたことだと思う。

「また来るのでその時はよろしく。」

 魔法使いのうちの一人がそう言って三人は空中に浮かぶ黒くて丸い穴に入っていった。

事件ののちに三人はそれぞれのマスクの特徴からこう名付けられた。


ヌタウナギの口のように縦二列に牙の生えた牙の魔法使い

口が縦に二つ並んだ二口の魔法使い

左右に血涙を流す目があしらわれた血涙の魔法使い


 大阪での魔法使い襲来事件では5000人の死者の他に2000人の行方不明者が出た。

いや正確に言えば行方は知れている。三人の魔法使いは人間を捕まえて例の穴に入れていたんだ。行方不明とされている人たちは今もまだ魔法使いに連れ去られたままである。


 これが四年前の話。

今でも魔法使いはたまにやってきてはいたずらに人を殺し、連れ去っていく。

 しかし意外と僕らの生活にはほとんど変化がない。夜八時以降の外出禁止というただ一つを除いては。

 魔法使いは夜にしか魔法を使えないし、人の住居に立ち入ることはできないらしい。だから今僕らは夜外に出歩くことができない。そういう風に決められてしまった。

だって家の中にいれば魔法使いと会うことさえないのだから。

 だから今魔法使いに捕まっている人たちはみんなバカだ。そう、今夜の僕のような。

 

 今日は嫌な一日だった。予習してない科目に限ってあたるし同じクラスの未来さんに彼氏がいることも知った、コンビニのおつりは10円足りなかったし置き傘が無くなっていた。

 だから自暴自棄になって夜外に出ることを決断した。

いや、そういう理由をつけて前々から気になっていた夜の外に出ようと思ったのだ。

深夜一時、先週買っておいたスニーカーに履き替え窓から家の外に出た。学校帰りの公園も人の気配の一切しない駅も家々からうっすら漂う残滓のような人の気配もすべてが新鮮だった。

「なにもしてないのに楽しいな」

外に出て40分ほどが過ぎたころ、適度に緊張も解け調子に乗ってスキップを踏みながら歩いていた。その矢先、出会ってしまった。魔法使いたちに。


たちとは言ったが魔法使いは一人だった。いまこの場にいるのは僕と魔法使いの二人だけである。たちというのは僕がみじめに逃げようとしているこの時にもうひとり来たからだ。


「やっばいなこれ」

やっとのこと逃げる判断ができたが、振り向き走り出した瞬間に壁にぶつかった。

いやそこに壁はなかったのだが僕の歩みは止まってしまった。

おでこ、あご、むね、腹、腰のあたりに細い感触、そのまま進もうとすれば多少はたわむが押し返される。道に糸が張られているように。

しかし腰から下に感触は感じず這って逃げることはできそうと考えた時には体は既に実行に移していた。


背後で男の笑い声が聞こえた気がする。


糸をくぐった先には網が待っていた。

肩と顔に網の感触を得た時にはもう遅く、罠にかかった獲物のように僕の体は宙に浮いていた。もがいてももがいても手足はからぶるばかり、自分の無力を体感することしかできない。

網の中でもぞもぞと動きながらも僕はあきらめて笑うことしかできなかった。


魔法使いはゆっくりと歩きながら問いかける。

「傷はありませんか?痛いところは?」

言葉が出ないまま首を縦に振る。

「それはよかったです。では帰りましょう。」

魔法使いが懐から何かを取り出そうとしたとき、澄んだ声が響いた。


「わるいんだけどさぁ、ちょっと待ってくれない?」

妖艶な、かつけだるそうな話し方であるが自信にあふれ一種の高潔さもうかがえる声がかけられた。

網の中で必死に目をやるとそこには全身を黒い衣装に包んだ女が立っていた。

20代後半くらいだろうか。

首元でバッサリと切りそろえられ、首筋にかけてふわりと広がった白色に近い金髪、オールインワンで胸元から足首まで続く黒いパンツには左足の太ももの外側と右足の膝のあたりに大きい穴が開いている。さらにその上から薄いコートのような形の服を前をあけながら羽織っている。なんというか威厳を感じる美しい女性だった。


男は言う

少しうれしそうに

「あなたも魔力の気配がないですねぇ」



 

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