紅穹の月~夜巫月の四将の物語~『黄泉月の物語・改訂版』

mamalica

序章 黄泉の果てより

紅き闇の始まり

 

 闇空には、ほむら色の巨大な月が鎮座している。

 すべてをもうとする如く、巨躯の半身を地から覗かせている。

 黒銀の雲を纏うそれは、面妖なる影を地上に降ろす。

 

 

 それを眺める浄衣姿の者たちは四十人余り――。

 男は白い上衣に細い袴、女は白い上衣に裳を巻く。

 

 彼らは禁忌の地の『黄泉の泉』のほとりに集い、静かに宿命さだめの時を待っていた。

 鈍色の泉の水はうねり、背後から吹き付ける風は枯れた草を揺らす。

 

 古びた輿こしに掛けていた老巫女は、淀む水を眺める。

 渦巻く流れの中に、一条の真紅が浮かぶ。

 それは力尽きたように、鈍色に溶け込み――消えた。


 傍らに控えていた若者は、血の滴る刃を白き布で包み、地に置き、拝礼する。

 老巫女は、若き巫女の手を借りて輿こしを降りる。

 裸足で枯れた草を踏みしめ、両の膝を付く。

 

 草が浴びた返り血が浄衣の裾を染めるが、老巫女は動じない。

 妖しの月を見上げ、掠れた声で氏族の者たちに説く。


「明けのときは、閉ざされたり。光は、闇の彼方にぬ。二つの国は夜半よわに包まれ、命は影の底に墜ちる」

 

 だが、不穏な言葉とは裏腹に、老巫女の瞳には爛々たる光の筋が輝く。


「だが、信じよ。心正しき若人わこうどたちは、この地に還って来る。三千世みちよの時を超えて、この地の闇を払うであろう。白き翼の神古門みことよ……かの若人わこうどたちを護り給え。その力を、貸し与え申しあげよ。方丈の大巫女キヨリが乞い給う……」


 老巫女は地に額を付け、古きカミに祈りを捧げる。

 お付きの巫女たちも、同じ姿勢で祈りを捧げる。


 

 ――月の放つ妖光が強さを増した。

 人々の浄衣も、真紅に染まる。


 老巫女は頭を上げ、冷えた息を漏らした。

 すべきことは果たした。

 あとは、その『時』を待つのみ――。


「キギよ……犬たちはどうした?」

 老巫女は、後ろに控える幼い少年に問う。

 少年は目尻を拭い、切々と答えた。


「二日前に放ちました。ここを離れたら、落ち延びられるかも知れないので」

「……では、ばあもそれを祈ろう」


 老巫女は少年を手招きし、広い袖に包み込む。


「この地は、我ら一族の墓所である。泉の水を産湯うぶゆとし、死せる後は身と魂を土に委ね、来るべき時の為に『カイ』を巡らせた。選ばれし若人わこうどたちは、この黄泉の流れに導かれて還って来よう……」


「……はい……!」

 少年は、大巫女の膝に頭を乗せる。

 人々も手を取り合い、温もりを分かち合う。

 心をひとつにし、地の陰神メガミに魂を委ねる。



 ――地が、激しく鳴いた。

 

 彼方の――王都から、漆黒の光柱が天を貫くように伸びた。

 それは月を貫き、蠢き、目にも止まらぬ速さで八方に伸びる。

 

 蠢く黒雲が空を覆い――月から太い棘が伸び、轟音と共に地を貫き始めた。

 棘は百年を生きた大木を二十本束ねたほどの太さで、目にも止まらぬ速さで地を裂いていく。

 棘の数はどんどん増え、抗う術なく命は奪われ、泉も激しく凪ぐ。

 都も、町も、村も、全てが漆黒の影に呑み込まれる。




 ……地を貫く棘の群れは近付いて来る。

 血の臭いが大気を染める。

 貫かれた大地が慟哭する。

 

 太い棘は禁忌の地の上空に達した。

 棘が伸び、枯れ木を潰し、土が舞う。

 

 全てが貫かれていく中――泉を守護する『カイ』は、邪悪なる意思を弾く。

 黄泉の水脈への侵入を阻む。



 





 やがて……静寂が訪れた。

 地を貫いた棘は朽ち、灰と化し、静かに降り積もる。

 それも吹く風にさらわれ、何処ともなく飛散した。

 地の裂け目も癒え、町も都も、元の形骸かたちに戻った。

 人の姿をした影たちも動き始めた――。

 

 それは、心を失ったむくろだ。

 邪悪なる意思に操られて動く人形ひとがただ。

 

 ここは『死者の国』であってはならぬ――。

 ここは、花吹く『花窟かぐつちの国』だ――。

 

 影たちは、王都へと向かう。

 御神木の真下の王宮に。

 主の待つ王宮に――。



 

 そして――禁忌の地に降り積もった灰も散り去った。

 鈍色だった『黄泉の泉』は澄み、煌々たる紅き月を映す。

 そこに走り来るは、四つ足の黒き影たちだ。

 

 四つの影はほとりに立ち、清らな水を眺める。

 大きな二つの影は、舌を出し――舐めた。

 小さな二つの影も、それに倣う。

 

 影たちはクンクンと鳴き、身を寄せ合い、地のにおいを嗅ぐ。

 小さな影たちは、安堵したように眠りに就いた――。


 

  ・

  ・

  ・



 ……これは、永き闇との闘いの物語。

 時を超えたえにしで結ばれたたけき者たちの物語。

 

 それを、これから語り説こう。

 我、『果てなる者』が、次の世に発つ前に……。

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