第15話 苦い口付け
私が薬師室から出ると、物陰からスッと人が現れた。
小さく悲鳴が出て思わず身構えるが、見知った顔にホッと胸を撫でおろす。
「シュウ前王妃様がお呼びです」
シュウ前王妃付きの侍従は私にそう声をかけると、着いてくるよう促した。
何度も顔を合わせたことがあるので知っている侍従だが、ひっそりと待たれると不気味さを感じてしまう。
また今日もお話の相手か……。
正直、乗り気ではない。こんな日はカザヤ様の身を案じて一人で過ごしていたかった。内心ため息をつく。
いつもの方に前王妃の部屋につくと紅茶を入れて待っていてくれた。
「ようこそ。今日は忙しかったらしいわね。だからハーブティーを入れてみたわ」
「私のために……。ありがとうございます」
お礼をするとシュウ前王妃は満足そうに微笑む。
今日の出来事は耳に入っているようだ。まぁあれだけの騒ぎになったのだ。当然だろう。
前王妃はいつものように私を相手に話を弾ませる。時々、薬師として相談に乗るのでただの暇つぶしというわけでもなさそうな気はする。
しかし……、と私は前王妃の顔を眺める。前王妃の顔色がいまいちだ。
もともと色白だが、今日は青白く見える。体調が思わしくないのだろうか。昨日は専任医師から安定剤を処方するよう言われていた。
眠れないからだと聞いていたが……。
「夜は眠れていますか?」
そう聞くと、シュウ前王妃は小首をかしげた。
「そうね、まずまずよ。最近、一人で寝ると気分が落ち込んでしまうのよ。どうしてかしらね」
言葉とは裏腹にフフフと笑われる。
「あぁ、そうだ。ラナ、今日はここに泊まってくださらない?」
「えぇ!?」
「それがいいわ。すぐに準備させるから」
シュウ前王妃はそう言うと、こちらの言葉も聞かずに侍女に準備をするよう命令した。
「し、しかし……」
「もう遅いし、今日は泊まった方がいいわ。……今日は外が騒がしくなるでしょうし……」
呟くような言葉に眉を顰める。
今のはどういうことだろう。
「外が騒がしいとはどういうことでしょうか? 前王妃、何かご存じなのでは?」
そう聞いても、シュウ前王妃は微笑むだけで答えようとはしてくれない。
「心配いらないわ。この塔は守られているから何も起こらないもの」
前王妃はそれだけ言うと、侍女の元へ行ってしまった。残された私は窓の外に目をやる。暗く静かな夜が広がるだけだ。
しかし、前王妃の言葉が引っかかる。
外が騒がしいとはどういうこと? まさか昼間の件と関係があるのだろうか。カザヤ様の身になにか……?
確かめたくても前王妃は何も言わない。それどころか、私を部屋から出す気はなさそうだ。
「カザヤ様……」
私は不安でざわつく胸を押さえた。
そしてこの日、私は客室に泊まることになる。
眠れないと思っていたが、ベッドに入るとストンと眠りに落ちてしまった。
目が覚めると、もう朝陽がとっくに昇っていたのだ。
きっと寝る前に出されたお茶に何か入っていたのだろう。軽い頭痛にそう感じ、私は一人ため息を落とした。
盛られたことに気が付かなかったなんて薬師失格だわ。
重い体を叱咤して、支度を済ませると部屋がノックされた。侍女に促されてリビングへ行くと、シュウ前王妃が朝食の前に座っていたのだ。
「おはようございます」
「おはよう、ラナ。よく眠れたようね。さぁ、朝食にしましょう」
席について食べ始めると、シュウ前王妃は「あぁ、そうだ」と世間話をするような軽い口調で話し出した。
「昨夜、カザヤ様が襲撃されたそうよ」
「え……」
口調に反して重い内容に目を見開く。
「襲撃……? あ、あの! それでカザヤ様は……!?」
騎士団の人数が減り、襲撃の可能性は高かった。それなりに備えているだろうが、心配でたまらない。
私は震える手を押さえる様に膝の上でギュッと握りしめる。
「カザヤ様が心配?」
「それはもちろん……」
「カザヤ様が好きなのねぇ」
面白がるような声に何も言えずに俯く。
今は私の気持ちなどどうでも良かった。ただカザヤ様の安否だけが気になる。
「カザヤ様は無事よ。ただ少し怪我はしたみたい」
「怪我!? どこに!?」
思わず立ち上がると、シュウ前王妃は吹き出して笑った。
「そこまでは知らないわ。でもどうやらあなたをお呼びのようよ」
前王妃は部屋の隅を見ると、侍従が小さく頷いて扉を開けた。そこにバルガが礼をとっていたのだ。
「バルガ様……」
「お迎えね。じゃぁまたね、ラナ」
ひらひらと手を振るシュウ前王妃を横目に、私はバルガと共に前王妃の塔を出た。
前を歩くバルガの背中を見つめる。怪我はしていないようだけれど服は煤とほこりにまみれ疲れている様子が見て取れた。
「バルガ様。昨夜、襲撃があったとお聞きしました。カザヤ様のお怪我のご様子は……?」
黙ったままのバルガに恐る恐る聞くと、歩みを止めずにチラッと振り返る。
「襲撃があったのは今朝がたのことです。カザヤ様は腕にお怪我をなさいました。怪我自体はたいしたことはないのですが、どうやら剣の刃に毒が塗られていたようで、熱が出ています」
「毒……」
サッと青ざめるが、バルガは大丈夫だという風に首を振った。
「医師によると咄嗟によけたのでかすった程度なので心配はいらないと。ただカザヤ様がラナをずっと呼んでいるんですよ」
私を……?
カザヤ様の部屋に近づくにつれ、警備がとても手厚くなる。騎士たちは一晩で回復した人が多かったようだ。これならもう心配はいらないだろう。
ホッとしていると、部屋の前まで来ていた。
促されながら寝室へ向かうと、カザヤ様が熱い息を吐きながら寝込んでいた。
「カザヤ様!」
思わずベッドサイドへ駆け寄る。
それに気が付くと、目を開けて体を起こした。それを咄嗟に支える。
「ラナ、来てくれたか。お前は何もされていないか?」
真っ先に私の心配をするカザヤ様にじわっと涙が浮かんでくる。
何かされたのはカザヤ様の方じゃない……。
「はい。私は昨夜、前王妃様の塔に泊まっておりましたので……」
「シュウ前王妃の塔か……」
それを聞いて、スッと目を細めどこか考える様に遠い目をする。そしてふっと私に視線を戻すと、温かい瞳で見つめられた。
「ラナが無事でよかった」
「私が何かされることなんてありません。それよりカザヤ様の方が心配です」
うろたえる私にカザヤ様は笑い出す。
「心配ない。少し毒に当てられて熱がでただけだ。ラナが来てくれたからもう元気だよ」
そう笑うが、目はトロンとして息も熱く辛そうだ。
カザヤ様が無事でよかった……。生きていて良かった……。
思わずその大きな手を取る。カザヤ様の温もりを感じ、ホッと息を吐いた。
「ラナ……?」
ハッとして顔を上げると、カザヤ様が驚いたように目を見開いている。
しまった! なんて失礼なことを!
「申し訳ありません!」
慌てて手を離すと、ちょうど寝室が開いてカザヤ様の専任医師に呼ばれる。薬を取ってくるよう言われ、薬師室へ戻り処方通りに解毒薬と痛み止めと消毒薬を持ってくる。
手を握るなんて大胆な真似をしてしまった。
恥ずかしさをこらえながら、持ってきた薬の説明をする。
「これは解毒薬です。少し苦いですが、即効性はあります。すぐに飲んでください。あと、怪我したところの消毒をし直しますね。毒によるかぶれや炎症を抑える塗り薬もします」
薬を飲むのを見届けると、カザヤ様に怪我した腕を出すよう伝える。
「わかった」
カザヤ様はおもむろにガバッと服を脱いだ。
「……っ」
目の前にさらされた上半身に胸がうるさくなりだす。
鍛えぬかれた上半身は逞しく、均等が取れていて男らしい姿に言葉が詰まる。
自分の頬が熱くなるのが良く分かった。腕を出すだけで良かったんだけど……。
赤くなった顔を見られたくないので、やや俯き加減で消毒を行う。
頭の上からカザヤ様の視線を感じるが、顔なんて上げられない。緊張して手が震えそうになるのを心の中で叱咤しながら消毒をして包帯を巻いた。
すると、フワッといい香りがした。カザヤ様の香りだと気が付いた時には、手元に影がおりて近い位置で見降ろされていた。
「ラナ……、こっち見て」
柔らかく甘い声が聞こえてくる。
初めて聞く声色にドキッと指先が震えた。雰囲気ががらりと変わったことに気が付かないほど私は鈍感ではない。
なに、急に……。どうしよう……。包帯を巻き終えたけど、顔があげられない。
静かな部屋に私の心臓の音が聞こえてしまいそうだった。
「ラナ……」
強請るような言い方。まるで甘えるかのような、優しい言い方。
ずるい。そんな声で言われたら逆らえない。
ゆっくりと顔を上げると、カザヤ様が目を細めて微笑んだ。思っていた以上に近い位置にいる。真っ赤な顔が見られてしまった。
「カザヤ様……」
「襲撃があった時もずっとお前が心配だった。無事で良かった」
「私が狙われるなんてことありません」
目線を外しながら首を振って答えると、大きな手がそっと頬に触れた。
その手の熱さに小さく肩が跳ねる。
「いや十分にあり得る。俺がお前を大切にしているのを知っている奴は増えたからな。お前をどうにかしてやろうと企むかもしれない」
カザヤ様の言葉に目を瞠った。
大切にしている……? カザヤ様が私を……?
言葉が出ずに真っ赤な顔でパクパクしていると微笑まれた。
「俺の気持ちは不純物ではないからな」
そう呟くと、カザヤ様の唇が私のそれと重なった。
初めは触れる様に。次に固まった私を解すように何度も軽くついばむ。心地よさに一瞬体の力が抜けると、それを見過ごさずに口付けを深くする。
思わず抵抗しようと、カザヤ様の胸を右手で押すとそれはやすやすと掴まれてしまう。
「あ……、んっ……!」
薄く開いた唇の隙間から甘美で優しい舌が入り込む。
一度、私の舌にトロッと絡ませるとそっと唇を離した。
「俺の毒がお前に入ったりするか?」
触れそうなくらいの距離でそう囁く。見つめてくる熱く甘い瞳に溶かされそう。
答える私の声はかすれていた。
「だ、大丈夫です……。体液に混ざるほどの量でもないですし、もう解毒薬が効いてきているはずなので……」
自分で言った体液という言葉にカァァっと赤くなる。今の行為だけでも倒れそうなほどなのに。
カザヤ様は私の反応に気をよくしたようにフッと笑うと、再び唇を合わせた。
この前のかすめる様なキスではない。カザヤ様の熱に溶けてしまいそう。心地よくて頭の中がふわふわとしてくる。
唇が離れて見つめる目は熱を含んだ色っぽい瞳。
私は? どんな顔をしているだろう。真っ赤でただ茫然としているに違いない。甘い口付けの余韻が残り、頭の芯がしびれる。でも胸の中は苦い気持ちが広がっていた。
「また時間がある時に会いに来てくれ」
囁く声。命令でもなく、拘束力もないただ懇願に近い声。
気が付けば小さく頷いていた。
ただ、私の肩を軽く抱きしめるその背に腕は回せない。そんなことをしていいはずはないのだ。
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