ドリームメーカー

星宮ななえ

第1話


「夢売ります」

 少女はそう言って、にこりと笑った。

 

 駅のロータリー沿いにあるコンビニの二階に、その店はある。

 暫くクリーニングにも出していないスーツと、くたびれた革の鞄を持って、俺はその店を訪れた。

 人ひとりが通れる狭い階段を上がると見える、漆黒の扉の向こうに、十畳ほどの「夢売り屋」が店を構えている。

 扉を開けると、意外にもその店の店内は明るい。

「いらっしゃい」

 そう言って、真っ白いカウンターの向こうでにこにこと笑っているのが、冒頭の台詞を言った少女だ。

 オーナーから店番を任されているのだろうか。年の頃は十五、六くらいで、その顔にはまだあどけなさが残る。

 ここは、訪れた人々に夢を売る、夢売り屋だ。 

「おじさん、また今日も夢を買うの?」

 少女は言う。三十八歳、もうおじさんだと言いながらも面と向かってその言葉を掛けられると、少し堪える。

「今日も買うよ。この前の夢は、どうも合わなくてね」

 ここを初めて訪れたのは一年程前になるだろうか。

 それから、ここで夢を買うのは今回で四度目だ。

「一応、その人に合う夢が引き寄せられるはずなんだけどね」

 少女は、不思議そうに首を傾げながらそう言うと、金庫からコインを出した。

 店の片面の壁には、カプセルトイの機械が二段に重なって三十台は並んでいる。

 そう、夢はこのガチャで買うのだ。

 ガチャから夢が出てくると、それが自身の心の中で根を張って、それを目標として動こうとする。

 俺がここに来て、最初に出した夢は「セールスマン」だった。この夢は割とすぐに、簡単に叶ってしまった。とはいえ、当時四十近い男が無職のところからの正社員採用を勝ち取ったので、少しは「頑張ったね」とも言ってもらいたい。ちなみに昔から口は達者なので、現在、売上も上々だ。

 次の夢はなんと「父親」だったのだが、これは相手がいないことには、どうにもならない。一応、今も自分なりに頑張ってはいる。すまないが、あまりこの話はこれ以上は深追いして欲しくはない。

 そして、前回出てきた夢は「サーファー」だ。これも夢という部類になるのかとは思ったが、実際ちょっとやってみたいとは常々思っていたので、背中を押された気分になった。

 波と一体になる感覚とやらを味わってみたい。なによりモテそうだし。

 俺は、それをきっかけに休日には必死になって海に通っていたのだが、サーファーだと胸を張って言える前に、腰が悲鳴をあげた。

 なので、おじさんの見栄で、合わないと誤魔化しただけのことだ。秘密にしてくれ。

 さて、今回はどのガチャを回すか、まずはじっくりと見極めてみよう。

 どうせなら、体が悲鳴をあげない程度に、もう少し挑戦し甲斐のあるやつがいい。

 よし。今回はど真ん中にある、このマシンに決めた。

 コインを入れて、ハンドルをガチャリと回す。

 がしょん、と音を立ててそのカプセルは出てきた。

 中身を確認して、俺は目を丸めた。

 なるほど。今回の夢は、なかなか手強そうだ。

 しかし、手強いからこそ、とても面白そうで胸が高鳴る。

 俺は店をあとにした。

 

 数日後、俺はまたその店を訪れていた。

 少女は俺の顔を見て言う。

「ちょっと早すぎない? もし夢中毒になっていたのなら、もう売れないよ」

 俺は首を振る。

「おかしなことになったんだ」

 少女は「何が?」と言って、クレーム対応と書かれたマニュアルのファイルをばさりとカウンターに乗せた。

 俺は、事の経緯を話した。

 

 この間引いた俺のガチャのカプセルの中身は「芸人」だった。

 この夢は、大きい。なかなかの長期戦になるかもしれないな、俺はそう思った。

 とりあえず俺は、まずは下調べにと劇場に足を運んだ。

 そこでは、たくさんの芸人が笑いを売っていた。

 それを間近で見た俺は、とんでもない高揚感に包まれた。

 すごい。何なのだ、この胸の高鳴りは。内から湧き上がる、この闘争心は。

 俺も今すぐにでも、この世界に身を置きたい。

 爆発する思いは、あっという間に焦燥感となる。

 そうだ、とりあえずどうしたら芸人になれるのか、スタッフの人にでも聞いてみよう。

 俺は早速、受付をしていたスタッフに声を掛けた。

 そこでこう言われたんだ。

「あんた、どこ行ってたのよ」ってね。

 背中を思いっきり叩かれた。

「ねぇ、みんな! 宗ちゃん帰ってきたよ」

 その人の声掛けで、大勢のスタッフ、先ほどまで舞台に立っていた芸人の人たちまでもが集まってきた。

 驚いたよ。みんな、俺の顔を知っている。

「急にいなくなって死んだかと思った」

 そんなことを言って泣いている人もいた。ちょっとタイプの女の子だったから、今度会ったら携帯の番号でも聞こうかなぁ。あぁ、いやその……。さて、どこまで話したかな。

 そうそう。どうやら俺は、そこで働いていたみたいなんだ。

 売れない芸人として、長く。

 絶対に売れっ子のお笑い芸人になるんだと息巻いて、毎年のショーレースにも欠かさず参加してたらしいぜ。

 でも俺には、その記憶が全く無い。

 どうしてだ? 何故なんだ。

 

 少女は、その話を聞くと「あぁ」と言って人差し指を立てた。

「おじさん、それ、自分が前に売った夢だね」

 俺は、訝しげな顔でこめかみに手を当てた。

「元々自分の中にあった夢を売ると、その夢に関する記憶は全て無くなっちゃう。おじさんが初めてこの店に来た時に、そう説明したでしょ」

 少女は続けて言う。

「でもまた、戻ってきたんだね」

 そうか……これは俺が売った夢だったのか。

 でも、どうしたことだろう。この夢が戻ってきてからというもの、俺の毎日は息を吹き返したかのように花が咲き、生きている意味を見出したかのように充実している。

 だが俺は、この夢を売った。

 こんなにも俺が求めていた、この夢を。

 そこにはきっと、相当な葛藤があったはずだ。 

「夢、売ります?」

 少女は言う。

 俺は首を振る。

 きっとこの夢は、俺のところに何度だって戻ってくる。

 別れられない恋人のように。

 でも、もう俺はこの夢を売ることはない。

 恋人も一度離れると、その大切さに気付くと言うが、これも同じだ。

 なら、後生大事に、末永く、持っていてやろうではないか。

 例え、俺に本当の恋人が出来なくてもな。

 

 俺はその後、その店を訪れることはなかった。

 俺の夢は今「売れっ子のお笑い芸人」だ。

 

 

 

 

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ドリームメーカー 星宮ななえ @hoshimiya_nanae

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