ひのくにへ - 2

…………



「どこいくの?」

「自分で火の国に行くんだっつったろ」

「あーはいはいそうですね」

 なんて性格が悪い奴だとミミは頭を抱える。火の国へ向かうことはわかっているさ。地図だってないこの世界で突然歩き出したら困るってもんだ。

 どれくらいかかるかも、それが果たして最短距離なのかも、なにもわからないまま歩いているのだから、せめて方角とか周辺とか教えてくれてもいいじゃないか。

 周辺.....と聞いて、はたと思い出す。

「あのさ、向かう前に温泉入ってもいい?」

 ぴたり、と隣の少年が足を止めた。

 面倒くさそうにこちらを横目で見たけれど、すぐにまた正面に移し歩き出す。

「あのさ、話聞いてた?」

 歩き出した背中に声をかける。

「温泉入って体洗いたいんだけど」

「温泉入るのか体洗いたいのかどっちだ」

「どっちも」

「我儘なヤツだな」

 心底面倒臭そうに言われて、思わず口ごもる。この世界には、ふたつの機能近くに両立させるものはないのか。

「温泉の近くにシャワーはないの?」

「んなもんねーよ」

「ないのかぁ」

 残念だが、贅沢は出来ない。髪を洗う際にシャンプーとかないと髪がきしみそうな予感がする。

「君たちはどうやって汚れた体を洗っているの?」

 指出しのグローブを嵌めた細い指が指した先は、綺麗な川。

 なんてことだ。ここには便利な器具がないのか。

「シャンプーは?」

「ちゃんとした言葉を話せ」

「ちゃんとした言葉だけど!?」

 シャンプーを知らないこの人はどんな世界で生きているのだろうか。ああ、この世界か。納得。

(機械とかなさそうな世界だしね)

 森。草。川。人工的なものが一向に見当たらない。おそらくだが、時間の概念そのものも存在しないのではないだろうか。

 少年の歩く道に従い進むと、ほのかに硫黄の香りが鼻の奥を刺した。

「温泉の匂いだ」

 それを辿って走れば、だいしょうさまざまな石で囲われた温泉が湯気の間から顔を見せた。露天風呂に近いかもしれない。

(案内してくれたのかな)

 後ろを振り返れば、どこかをぼんやりと見ているサラ。口を小さく動かしているのを微かに捉えた。

「ま、いっか」

 脱衣所はないが、他に人気もない。

 一瞬、少年の方を恥ずかしそうに振り返るが、こういうのは早く終わらせた方がいいとミミは自分の服に手をかけた。

「おい」

「っ!?」

 脱ぎかけたその瞬間に声をかけられ、ミミの体は大きく跳ね上がった。

「あんたらは石鹸で体洗うんだろ」

 そう言って、手のひらサイズの小さな包みを渡された。葉で覆われ細い肌色の紐で縛られている。

 石鹸と、彼は言った。つまり、この中に入っているのは言葉通りのものなのだろう。

 たしかに、洗わないよりはマシだ。近くに川もあるだろうし先に体を洗うのはアリだ。

「ありがとう」

 さすがにこれは素直にお礼を言うよりない。

 受け取ると、彼は背を向けてどこかへと歩いていってしまった。

「……近くに川がある場所聞けばよかった」

 石鹸がこの世界にあることに感動してしまっていたため、問う余裕がなかった。

「……ん?」

ふよふよと、ちいさい何かが空中を漂っているのを視界に捉えた。

 よくよく確認する。

 米粒くらいの小さなしずく型の頭に、雲が羽のように形を変えて周りを漂っている。

「……君、なにもの?」

 問えば、初めてこちらを認識したらしく、ぴたりと動きが止まった。目はないが、こちらをじっと見ているような気配を感じた。

『すがた みえる?』

「うん」

 頷き、辺りを見渡す。先程は気にしていなかったが、どうやらこの子だけではなかったようだ。

『みえる。とも。うれしい。』

 何重にも重なった音。飛び回っている姿とうれしい、という言葉から、おそらく喜んでいるのだとミミは感じた。

「ねえ君たち、ここの近くに川はない?」

『ミミ いう ちかく ない』

 名乗っていないのに、ミミの名前は知っているらしい。不思議な生き物たちだ。

「そっかぁ……」

 ミミは残念そうに肩を落とす。もしかしたら、ここに来る前にサラが指してた川が一番ここから近かったのかもしれない。それなら、もっと早く確認すればよかった。

『川 水 欲しい?』

「ん? ああ、頭とか体洗いたくて」

 突然、頭に受けた衝撃で、ミミの言葉は最後まで続かなかった。

 ぼたぼたと水滴が地面に吸い込んでいくのを見て、ようやく先程の衝撃は水の塊が降ってきたのだと認識した。冷たい。脱ごうと思っていた服も濡れて体に張り付いている。

『水 水』

「ちょっと! 水は今じゃないしこんなにいらないから!」

 その言葉の後、続いて滝のように降ってくる水にとうとうミミは叫び声を上げた。

 それが辺りに響いた途端、ぴたり、と上から降ってきていた大量の水が止まった。

 見上げるが、先程の水は幻だったのではと勘違いするほど何も無い青空だけが広がっていた。

「なんだかよくわからないけど、水かけてくれるんだね」

 ずぶ濡れの服を脱ぎながら声をかければ、彼らは肯定するように空中を回った。

「ふぅ……あったかい」

 その後、小さな紆余曲折を経た。彼らは、水は出せるがそれを上手く制御出来ないらしい。何度も頭からバケツの倍の量を一度に浴びた。何かの修行だろうか。勢いが強くて体が痛い。特に頭。首の筋をやられかけた。

 だがしかし、その後に入る温泉はとても心地よい。手足ははじめに痺れを覚えたが、やがて全身が湯の温度に馴染み、気持ち良い吐息が漏れる。

「幸せだぁ」

 ここが異世界だということを忘れそうだ。

「おいあんた、いつまでここにいるんだ」

「うぉあっ!?」

 振り向いたその先に立っていた少年とその声に、盛大に水を跳ねさせながら尻もちを付いた。

「あ、あ、あのねぇ。驚かせないでよ」

「早くしねーと識の王に会い損ねるから着替えろ」

 サラはそのとき、ちら、とどこかを見た。

 が、すぐにまたミミの方に視線を向ける。

「俺もあいつに用があるんだ。すぐ着替えねーなら置いてく」

 なんて酷い物言いだ。彼も用事があるのならたしかに悪いことをしたし急ごうとは思うが。

「わかった。ごめん、それは謝る。すぐに準備する。でもさ、もう少し優しい言い方できないの?」

 ミミの言葉が最後まで届く前に少年は石の縁から降りてしまった。

「嫌な奴……っ」

 大きな声で悪態をつき、べー、と舌を出した。

 その後温泉から出ると、服の上に体を拭けるような布が置いてあり、その上に水が入っている透明な容器と見たことがない果実が置いてあった。

「これ、君たちが置いてくれたの?」

 辺りに漂う不思議ないきものに声をかければ、

『サラ』

「……サラ?」

 一瞬、戸惑いが表情に漏れてしまったが、すぐに思い直し

「サラが用意してくれたの?」

『サラ 好き』

 駄目だ。もしかしたらあまり話が通じないかもしれない。

 喜ぶように飛び回る彼らに溜息をつき、ミミは体を拭き、着替えたのだった。

「あの、これありがとう」

 ぼんやりとどこかを見ている少年に声をかける。

「タオルもそうだし、水と実も、おいしかった」

 相手の印象は悪いが、ミミのために用意してくれたのは事実だ。実際、水もおいしくて全て飲んでしまった。果実も、見た目は手のひらサイズのりんごのような形をしていたが、1口鍛れば甘く瑞々しかったのを思い出した。

「あ、そ」

 だがしかし、態度は素っ気なく、さっさと歩き出してしまった。

 たしかに口も態度も印象悪いが

(実は、優しい人なのかも)

 と思ったが、すぐにその掌は返された。

「あんたねぇ、もう少し人に優しくできないわけ?」

 まず、歩くのが速い。整備されていないでこぼこされた道を歩いているため非常に疲れる。

 だから休憩を訴えても無視される。たしかにミミも人一倍体力がある方だが、慣れない道と環境は想像以上に体力を消費していた。

 どれくらい歩いたのか、空から時間経過が分からない。相当歩いたようにも思えたし、全然歩いていないようにも思えた。

「貧弱だな」

「ぐぬぬぬぬぬぬ……」

 自分よりも幼い見た目の少年は息一つ乱していない。

 それが悔しいやら情けないやら、負けず嫌いが顔を出して、ミミは結局苛立ちながらも足を止めることは無かった。

「ほんと君……」

 言いかけたが、前を歩くサラが足を止めたため、つられて声も足も止まった。

「……着いた」

 ぽつりと、ミミの小さな口から溢れた。

 遠くに、道中よりも整備された土の上に立つ木製の小屋がいくつか見える。人もいるようだ。簡単に確認したところ、体躯の大きい男が多い気がする。

 感動するミミの横で、サラは先に歩き出す。

「いいか、絶対に俺に関わるな」

「はあ」

「言ったからな」

 少年はそう言い残し、先に向こうへ行ってしまった。

 とんでもなく嫌な奴だけど、

「お礼、言いそびれたな……」

 なんだかんだ、ここまで案内してくれたのは間違いない。喉が渇いた頃を見計らって水も分けてくれていたし。

 なにより、ミミ一人ではたどり着けなかった。彼がいたからこそ、今ここに立っている。

「見かけたら、お礼だけでも言おう」

 関わるな、と言われたが、お礼を伝えるくらいは問題ないだろう。

 ミミは頭の済で考えながら、火の国へと足を踏み入れた。

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異世界モノ語 〜小さな世界を救ってほしいみたいです〜 琴月海羽 @miwa-kototsuki

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