あと少しでユートピア 胡麻を摺ろう 幸せになるために

夏原 秋

胡麻すりの神様

「これで胡麻を摺ると評判が良いんだよ」

 男が満足げに話している。「いーんだよぉ」のイントネーションが朗らかだ。

「他のすり鉢にはない独特の風味が出せるんだ。こいつは胡麻すりの神様だ」

「カミサマだぁ」と、伸ばし気味の語尾に合わせたような緩やかな動作で私を覗き込んでくる。朝日の逆光で薄暗いが、柔らかく細められた目元と大きな三日月のような口元のシルエットは、笑顔であることがはっきりとわかる。


 これから数十年後に私は、世にも不思議なすり鉢として、御伽話か民話の題材にでもなりそうな予感すらある。しかし現実はそういう小綺麗な話ではない。

 彼の言う「独特の風味」とはおそらく、すり鉢の細かい溝にこびり付いた汚れの効果だ。古道具をさんざん持ち腐れていたせいで、カビさえ腐り化石になったのだ。言うなれば汚れの類いである。すりこぎ棒に削られて、少しずつすり胡麻に混ざっていく。継ぎ足して使われる秘伝のタレのようなものだ。


「おばあちゃん家のすりゴマ」

 パッケージに貼られたラベルに、丸みのある太ゴシック体。そのインパクトある野暮ったさが、風味と絶妙にマッチしてウケているらしい。付加価値。ブランディング。消費社会が実質崩壊した今でもそれを主張したがるのは、この男がたまたま持っていた商売人としての素質のおかげか、それとも強烈な承認欲求の顕在か。

 悲しいかな、私を使えば使うほど、溝の汚れはこそぎ落とされて、その評判が良いと言われる風味は次第に失われていくだろう。誇大広告と噂が立つ日が来るのも、そう遠くないはずだ。


 ご覧のとおり、私はすり鉢だ。今も男の胡座に固定されて、ごりごりとすりこぎ棒をあてがわれている。摺りたての胡麻の芳ばしい香りが濃くなっていく。

「胡麻すりの神様」とは都合の良い呼び名だ。私としては心外である。それならば大樹に巻いたようなしめ縄を私にも巻くべきだろう。

 人間は身勝手で適当な生き物だ。そしてそのさがは、まとわりつくようにしつこくてねばっこい。すり鉢で摺る、とろろ芋のようだ。


 私は長年、いろいろなものを見聞きして知識と言葉を得た。しかし人間に伝える術はない。何を感じても、何を考えても、また一つの時代の始まりと終わりを、こうして眺めるだけである。

 埃まみれの風呂敷の中から掘り起こされて、少しだけ晴れやかな気分だ。そして私が仕舞われている間に世の中は変わってしまったらしい。

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