公主、湖岸にて友と安酒を呷る

睦 ようじ

公主、湖岸にて友と安酒を呷る

「遅い、遅いぞ!」

 桃源の側にある落頑湖らくがんこの中。

 龍の公主である楊祥姫ようしょうきは濁った水をかき回し、叫んだ。

 いつもの時間の飲み友達が来ない。それだけでやきもちするのである。

「えぇい、なぜ龍たる私がこうも待たされなければならんのだ。いっその事、奴が住む村にまで」

 そう呟いていたところ、

「おうい」

 と、いう声が上から聞こえてきた。


□◆□



 村の役人、風信ふうしんは酒瓶を片手に鷹揚おうようとした声で湖に向かって声を出す。

「楊祥姫はいるか?」

 湖は静かであった。風信は小さくため息を吐くと、

「留守ならば仕方が無い。一人で飲むとしようか」

「待て!」

 低く大きな声が響くと水面が膨れ上がり、大きな音を上げると祥姫が伸び上がって出てきた。

 水が飛び散り風信にかかる。風信は服についた水を払うと、

「また飛び上がってきたなぁ、祥姫。そんな事をしなくても酒は逃げんぞ」

「黙れ、信。待たせたお前が悪い」

「はいはい、公主様は相変わらず気が短いな。龍神は皆、そういうものなのか」

「……」

 祥姫は唸りをあげる。

 風信は、目を細め笑みを浮かべると、

「今日はいい酒を持ってきたのだ。飲もう」

 祥姫は、喉を鳴らすと空高く息を吐いた。

 煙が舞い、風信の視界を遮る。

 やがて、煙が途切れると湖の側に艶のある長髪の紫の衣に金の糸で飾りつけをした服をまとった女性が立っていた。

「……」

 風信は頭を軽くかくと、

「今日はその姿なのだな」

 と、言った。

「いいでは無いか、人の姿に取れる龍の特権だ。人の衣服のようなものだ」

「前は伝記にあった西方の龍人、その前は古の英傑。後、俺に化けて出てきた事もあったな」

「よく覚えているな」

「人のなりを覚えるのだけは、役人である以上得意なのでね」

 風信は、二つ器を出した。

「さて、飲もうか」



 □◆□



「美味いな」

 祥姫は、器に入っていた酒を飲み干すと呟いた。いつもの酒より芳醇な香りと味がする。

「いいだろう。実はそれは銅貨3枚で手に入る安酒だ」

 祥姫は、驚いた顔をして酒を見る。

 言われてみると酒に濁りがある。

「これは、どういうもので作ったのだ?」

「たまたまだが、村のものがいたずらでここの桃源から持ってきた、桃の果汁を絞っていれたそうだ」

「何!それはけしからんな」

「無論叱ったが、これが実に美味くてな」

「ほう」

「秘伝ではあるが、それを真っ当な酒にする製法がある。其奴そやつには、しばらく酒造りを命じて償ってもらうことにした。それで、この酒は桃を盗んだ詫びも兼ねてお前にも飲んでもらおうと思ってな。ゆくゆくは、この村から売り出しても良いかもしれん」

 酒を煽ると、風信は遠くへと目をやった。

 先には小さな村と多くの木々がある。

「そうすれば、この村にも売れるものが出来る。

 後は商人が良き風聞を流してくれて、良いものを持ってきてくれれば栄え、人も増えるだろうさ」

「人が増えれば、罪を犯すものも増えるのではないか?」

 祥姫は、首をかしげる。

「まぁ、確かにな。だが、俺は逆を狙っている」

「逆?」

「例えばだが、罪を犯し都より逃げてきたものがいるとする。

 俺たち役人が捕まえる。

 罰としてここで働かせ、真っ当な暮らしをさせる。そうすれば、少しは獣心と言われるのも収まり、人としてやり直せるところもあるのでないかとな」

「甘すぎないか?」

「会議でも言われたさ。

 だが、ここは龍神が住まわれるという、恐れ多い場所だ。

 法も話も使い方によっては人を変えるものさ」

「そうか?」

「例えばだが」

 風信は杯をあおる。

「お主、昨晩暴れただろう。やたら湖のところに雷光が響いてたからな。

『悪さをすると龍が雷光を落とす』

 とでも言って怖がらせる。

 そんなところで、悪党も大きな顔もできまい」

祥姫は顔をしかめる。

「あれは、お主が酒を供えにこないからだ!」

「だから、今日来たのだ。勘弁してくれ」

 風信が頭を下げると祥姫は杯の酒を飲み干し、さらに自分でついだ。



 □◆□



「今年は、桜が花を咲かせるのが遅いかもしれぬな」

 風信は、寂しそうな声で呟いた。

「そうなのか」

「数年前の先任の役人の日誌を読むと、このような寒さでな。

 ひょっとしたら同じかと思った」

 祥姫は、風信と同じ方に山を向いた。静かに目を閉じると呼吸をして、目を開く。

「安心しろ信。私には感じるぞ。木の中で花を咲かせようと木は力を蓄えているぞ」

「本当か、祥姫」

疑わしそうに風信は声をあげる。

「誰に物を言っている。私は龍の公主だぞ。

 天地の自然のことわりぐらいはある程度、分かるものさ」

 花のような笑みを浮かべ、祥姫は器を風信に差し出す。

「さぁ、まだまだ飲もう。そして、お前の話を聞かせてくれ」

「俺の話か。世渡り下手の馬鹿者の話なぞ聞いて面白いかね」

「だからこそだ。まつりごとの汚濁の中に高潔とあろうとしたお前の話は実に面白い。お前の無骨な滑稽さもあるが、筋を通そうとしたお前に私は好意をいだ……」

 と、言いかけて顔が赤くなるのを感じて祥姫は口を閉じた。

「どうした、何か言ったか」

「い、いや。何でもない。

 とにかく、飲もう。

 そして、お前の滑稽な話を聞かせてくれ」

「まぁ、そんなので酒のつまみになるのならな」

 風信は、酒を煽ると訥々とつとつと語りだした。

 その二人の間に、静かに暖かな風が吹くのであった。

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