【完結】義姉の言いなりとなる貴方など要りません
かずき りり
第1話
「お嬢様。クレシー侯爵家からの遣いが来ております」
「……約束の時間から三時間。……今日は早かったと思うべきかしら?」
遣いから渡された手紙に手を伸ばしながら、そんな皮肉を口にした。
どうせ来ないのだろうと最初から諦めてはいたが、他に予定を入れてしまえば、此方の非になる。だからこそ、私は読書に勤しんでいたわけで……。渡された手紙の封を破ることなく、そのまま開いていた本に視線を落とす。
「あの……」
クレシー侯爵家の遣いが、私の行動に狼狽えながら声をかけてきた。
「見なくても内容は予想がつくわ。分かりましたと伝えて」
「は……はい……ありがとうございます」
遣いの者は、申し訳なさそうに深く頭を下げ、退室して行った。
あの人も状態は理解しているのだろうし、こんな嫌な役目を押し付けられて、ある意味被害者なのだろう。
「可哀そうに……」
「仕える主人を間違えた本人にも非があります」
同情心から呟いた言葉に、私付きの侍女であるマリーは、怒気を含ませた声色を隠す事なく返してきた。怒りから殺気も放たれているのか、部屋の温度が一度程下がったように感じる。
「手紙を渡して下さい。せめて手紙を変わりに消し炭へと変えてきます」
「……一応、中身を確認して……」
「そんな必要は全くもってありませんが、お嬢様が言うのであれば私が一瞥しておきます」
「一瞥……」
マリーの言葉に、微笑ましい溜息をつきながら、手紙を渡す。
「私の代わりに怒ってくれて、ありがとう」
「むしろ怒って当然の事です」
きっとマリーがここまで怒ってくれるからこそ、手紙を開封しようと思えるのだ。でなければ、私だって開ける事なく破り捨てるだろう。それが貴族令嬢の嗜みではないとしても。
怒りに任せて、己の行動を顧みる事なんて出来なくなっていたと思える。
マリーが怒ってくれる事によって、自分自身が冷静になれるというか、第三者視点で物事を見られるのだ。
「本当にありがとう」
更に感謝の言葉を述べれば、マリーは仕方ないと言わんばかりの表情をした後、手紙を持って退室した。……マリーが部屋を出た途端、扉の外から紙の潰れるような音が聞こえた気もしたけれど。
「私が貴族令嬢で居られるのは、マリーのおかげね」
日々積み重なる怒りで我を忘れる事なく、自我を持ち続けて居られる。
「それにしても……本当に愚かな」
だけれど、怒りが全てなくなるわけではない。私の矜持は傷つけられているのだ。
約束をしていた相手、ジャン・クレシー侯爵令息は、私アンヌ・ヴァロア子爵令嬢の婚約者なのだ。
◇
「本当に申し訳なかった!」
翌日、謝罪に訪れたジャンは、私に向かって勢いよく頭を下げた。
「……」
「でも、アンヌは俺の事情をよく知っているだろう?」
何も言わず、ただ紅茶を口に含むだけの私に向かって、ジャンは縋るような瞳で訴えてきた。
「貴族の婚姻なんて、家同士の契約でしかないものね」
「そうじゃなくて! 俺の立場だよ!」
言外に、お前に対して一切の興味はない、という意味を含めたのだけれど、ジャンは全く気が付いていない。
「……昨日も義姉さんが倒れて、俺しか邸に居なかったから……」
「毎回デートの日にばかり倒れるとは、ご都合が良いようで」
「義姉さんは体が弱いんだから仕方ないだろう!」
事実に憶測を付け加えて答えた私に、ジャンは噛みつくかのように返してきた。でも、本当に私との約束がある日にしか倒れないのは都合が良いとしか思えない。マリーも視界の隅で、思いっきり何度も頷いていた。
「……だから俺が養子に入ったわけだし……」
呟くような声。
そう、クレシー侯爵家には一人娘が居る。それがブリジット・クレシー公爵令嬢だ。
ただ、ブリジット嬢はとても身体が弱く、家を継げる程ではないという事で、遠縁の男爵家からジャンが養子縁組されたのだ。立場的にジャンは義姉に強く出られないのも理解できる。できるけど、跡継ぎとして侯爵家に入ったのであれば、貴族同士の付き合いも考えなければいけない。
毎回のように、義姉を優先し、婚約者との約束を土壇場で無しにするのは、いかがなものか。……なによりも問題は、それをクレシー侯爵に訴えても変わらない事だ。
本当に、ヴァロア子爵家を見下しすぎなのではないだろうか。
「正当な血筋である義姉さんを蔑ろになんて出来ない……アンヌなら分かってくれているだろう?」
お決まりの言葉に、いい加減、平手打ちをかましたくなる程だ。けれど、マリーが今にもジャンに飛び掛からん形相で身体を震わせているのを見れば、少しは溜飲が下がる。
「……式の準備があるという事を忘れてはいませんよね?」
そう、あと3か月もすれば結婚式があるのだ。
昨日だって、業者を入れる前に、二人だけで打ち合わせをする筈だった。二人の考えをすり合わせて、お互いの家を尊重した式を、と。
「あぁ! 勿論だとも! 忘れてはいないよ!」
私に許されたと思ったのか、ジャンは安堵の笑顔で答えた。
所詮、家同士の契約でしかない結婚に、私的な感情は必要ないのだ。私はジャンに対して特別な感情は抱いていない。ただ家との繋がり、利益の為に結婚をする。けれど、ここまで見下されたままで良いのか……私の胸に少し靄が出来た。
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