第16話 料理と食事は違うのだよ
公園のど真ん中で仰向けになっていた。
上着を羽織るようになった今日この頃。
ブルーシートが、悟のために布団になっている。
空にいるのは夕暮れへと向かう落ち着いた太陽だ。目をつぶって休んでしまえば陽光が目に入ることもほとんどない。愛結以外は来ないだろうから大の字になる躊躇いもさほどない。
「変死体かと思いましたよ……。何しているんですか?」
……本当にタイミングよく来るとは思っていなかったのだが、いつの間にか愛結が覗き込こんでいた。
垂れ落ちる黒髪を手で押さえる姿は新鮮だ。
「芝生みたいな、寝転ぶことのできる柔らかな地面とは縁がない。とはいえ、一度くらいはこうして空を知っておこうと思っていた」
次にやる時はシートを厚めにしようと起き上がる。
彼女にも勧めてはみたが首をふられた。飛行機の操縦席からの景色は貴重だろうが、たしかに誰もが見たい訳でもないだろう。
シートを畳んでベンチに戻る。
この日も愛結から軽く相談を受けた。
「簡単で、速くできて、安くて、栄養のある料理って何かありますか?」
「万能を司るネット検索はどうだった?」
「もっともっと簡単なものを探しています。ネットの料理は見た目とかがとても綺麗ですよね」
悟は両腕を組む。
愛結がもつイメージが何となく分かった。
「かつての偉人が言った。料理と食事は違う、と。時間やお金という大切なものを浪費することなく、それでいて健康的に生きたいわけか」
健康、を立てるところに、愛結らしさを感じる。
とくに楽しくない者にとっては、料理は勉強と差し支えないかもしれない。だからこそ工夫する意義がある。
「後日、近いうちに会えるか?」
「はい。ここ最近は時間があいています」
悟が頭に浮かべるは、紙皿、ガスコンロ、鍋、総計五百円の食材など。
愚直な者が称賛されるように、人は頑固な生き物。
実感しなければ、実行はできない。
少なくとも悟はそう。
今、求められるは――実践。
「この公園は火を使うことを禁止されていない。お腹はすかせておいてくれ、バーベキューをする」
ところで、待ち合わせをするのは初めてだった。
*
翌日。
悟に新たな仲間ができた。
ファンタジーゲームのように大荷物だったため、相棒と合わせて大きなリュックサックが来てくれたのだ。だが、もし夏だったら汗にまみれていたし、そもそも屋外で熱い料理など食べる気になれなかっただろう。秋だからこその、快適な奇跡といえる。
「またせた」
胸を張ると視界がいつもより開けるが、やるべきことは目の前の公園にある。友人と何かを成す以上、楽しんでやりたいものだ。
「いえ、ありがとうございます」
愛結の格好はより柔らかな印象だった。
もこもこな深緑のセーターを身につけ、迎えるように立っている。布団にくるまった小動物のような温かみ。
ガスコンロの上に鍋を置く。
普段は自宅で味噌汁を作る際に世話になっているが、今回は別の食材と踊ってもらう。食材の入っているクーラーバッグにはこれでもかというほどに保冷剤が入っている。
「では、今から『五分』で一品を作る」
携帯の機能でタイマーを使用する。しかし、愛結が首をかしげる無理もない。
『三分』と表示されているからだ。
「細かく切られたニンジンがこのタッパに入っている。すでに電子レンジで二分温めたことで柔らかい。『柔らかくなるまで炒める』を吹っ飛ばせるということだ。レンジに頼っている間に食器類などの準備をしていたと仮定する」
ごま油が鍋に滑り込む。
サラダ油より健康にいいと聞いた。
「こま切れ肉を、肉の色かわるまで炒める。木綿豆腐と、さっきの柔らかいニンジンを入れて混ぜる。味見しながら適当に醤油をかける。――肉野菜豆腐炒めのできあがり」
「……おお」
タイマーは鳴り響く前に止まった。
紙皿を二枚とりだし、少なめに作ったそれを分ける。
「舌が肥えていなければ、それなりに食べられるはずだ」
「……はい。おいしいです」
互いの性格か、単なる日常の癖か。食事を嚙む速度は卓也の方が一・五倍くらい速かった。あるいは、愛結の方が〇・七五倍ゆっくりだったかもしれない。
空になった鍋に、再びごま油が投入された。
再び燃やされ踊りにいく。タイマーが指し示すはやはり『三分』だ。
「五分クッキング二品目。電子レンジで温められたキャベツとナスがある。適当に投入して炒める。だしこをかけて味見しながら調節する。卵を入れてかき混ぜつつ、さらにだしこで調節。できあがり」
「はやい……」
「卵は素晴らしい。何とかなる食材の筆頭だ。最悪困ったら全部卵で閉じればいい。ポイントは、卵を割って直接鍋に入れること。お椀を別に用意して溶いてから入れるとじっくり作ることになる。速度重視なら思い切るべきだ」
食べる愛結の頬はほのかに赤い。
見た目の美しさは皆無だが栄養的には問題がない。形の美はなくとも食材の明るい色がこちらの目を開かせる。余分なものをそぎ落とし、取るべきものを躊躇いなく選ぶ。取捨選択が生むのはマイナスでなくプラスだ。
「三品目。ツナ缶、ネギ、プチトマト、レタス 新玉ねぎ……とにかく焼かずに食べられるものを細かくして投入。牛乳とコンソメで煮る。できあがり」
ついには動かすことすら忘れられた携帯タイマーは寂しそうだった。
量が多くなってしまったため、七割は悟が食べることになるだろうが、不味くはないから腹に入らないことはない。
汁物は紙皿ではこぼれるため、常備している紙コップを使用する。
行儀やマナーうんぬんの問題は、一度きりを理由に切り抜けたい。
「繰り返すと飽きられるという試練はあるが、食材と調味料の組み合わせを変えることで解決できる。根っこの部分は同じ。細かいことは考えず、切って、鍋に入れて終わりだ。……納豆はいるか?」
首をふる愛結をみて素直に相棒へとしまう。
四品目の納豆で、適当に単品で出すこともできるという意図は示した。
「いつもこうやって色々考えているんですか?」
「面倒くさがり屋の最大の長所は、改善しようと考えることだ。苦しいと思いやすい分、そこから脱出しようとする力が強い。林道さんが相談をしてくれたように」
温かな食事が喉を潤す。
ひと月前まで暑かったせいだろうか。空気へと混ざっていく白い湯気を久しぶりに見ている気がする。いつものように、悟は案を投げるだけ投げた。これからは愛結がどうするか。これからの彼女の時間が華やかになることを願う。
そんなふうに、感慨にふけって終わらせるつもりだった。
だが、
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「……」
……だが、わずかに悟の身体は硬直した。
愛結の性格から考えてみれば、それは当然言うべきことだろうし、まったくおかしくなどなかったのだが。
「どうかしましたか?」
「いいや……」とわずかに視線が下がる。
「食事の挨拶は大切だと思っただけだ」
詳しく聞かないでくれ、とか。とくに態度では表していない。秘めたいことでは特になかった。
だからきっと、追及しなかった愛結の方が踏み込まないことを選んだ。悟の今の態度でどれだけを察したのかは分からないが。
気を取り直し、悟はベンチに大きく寄りかかる。
「数か月前に虫歯になったことがあった。親知らずの裏側だったよ」
「ああ、あそこ忘れやすいですよね」
「こちらを常にうかがって、隙ができた瞬間に襲ってくる胆力。こちらも真剣に立ち向かわねばと切に思う」
「家に帰ったら歯を磨かないとですね」
強引に話題を変えたが、滑らかにはなっていった。
いずれは愛結にあのことを話す予感がある。
無理に引っ張りだす必要はもちろんない。
なるようになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます